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伐る木を見る林業、残す木を見る林業 【連載コラム】林業家はなにをつくるか③


連載コラム「林業家はなにをつくるか」3本目。

前回、「林業家は、山をつくる」と書きました。

今回は、それをもう少し詳しく深掘ります。


林業にも、いろいろな形態がある


どの業界にも、きっとある話だと思いますが、
一口に「林業家」と言っても、様々な形態があります。

漁業に、一本釣りから、延縄漁から、底引き網まであるように。
農業に、ハウス栽培から、有機農業、無農薬、自然栽培があるように。
あるいは、建築に木造日本家屋から、高層ビルがあるように。

※どれかに優劣をつけたいわけではありません。
同じ「業」のなかに、多少大げさに言えば、
各事業者ひとりひとりに、それぞれの思いとスタイルがあり、
まずそれを知らなければなぁと思います。

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山形県で延縄漁の漁師さんにお世話になり、漁へ同行させていただいたことがあります。この日は4000本仕掛け、80匹釣れました。「大漁だ」と言っておられました。


それでいて、僕や弊社・株式会社皐月屋や、
林業や山の仲間が集まる「智頭ノ森ノ学ビ舎」では、
「林業家は、山をつくる」という意識は、共有されていると思いますが、
やはり、「山をつくる」ということを考えていないのでは、
と側から見ていて感じてしまう林業事業体もあります。

では、その違いはどこか。


伐る木を見る林業、残す木を見る林業


林業の先輩に「残す木を見る林業」という言葉を教えていただき、
ハッとした覚えがあります。林業を始めて間もない頃です。

「山をつくる」とは、もっとわかりやすく言えば、
「価値の高い山を、次世代に残していく」ことであり、
林業家が手を加えることで、より価値の高まっていく林業のことです。


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間伐後の山。間伐遅れのため、下草はまだないが、今回の間伐で光が入り、より良い山になったらいいなぁと。


「山の価値」というものは、もちろん木の質以外にもたくさんありますが、
やはり、「残った木が良質である」ことは、重要な指標の一つです。

あるいは、聞いた話になってしまうのですが、
良質で高く売れる木ばかりを狙って伐り、
作業後の山には、良い木がまったく残っていない、
というやり方をする事業体もおられるようです。

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皆伐そのものを否定するわけではありませんが、山への負荷を慎重に考えることは必要だなぁと思います。


極端な例をあげれば、宮崎県でよく聞く「盗伐」。
「盗伐」とは、所有者に無断で木を伐採して、売ってしまうことですが、
これなど、ただの窃盗で、「山」のことなど考えていないと思います。

盗伐のレポート(文章記事)
森林を無断で伐採、バレたら「間違えました」 “盗伐”業者の汚い手口
盗伐のニュース(動画)
12月15日放送 徹底取材Next調査班「知らない間に切り株に…相次ぐ無断森林伐採の実態」


前者が「残す木を見る林業」だとすれば、後者は「伐る木を見る林業」だと言うことができるのではないか。
そして、この違いが、「山をつくる林業家」か否かを、
だいぶ的確に表現しているのではないかなぁと感じます。

もちろん、大別は大別でしかないことは認識しなければなりませんが。


それから、「山の価値」というものは、
「山」というからには、その要素が「木」だけであるわけはなく、
例えば、
・壊れない作業道が密に(施業がしやすいように)入っている
・下草が生え、土壌の侵食、流出が防げる
・広葉樹が混じり、生物の棲み家になる
・保水力が高く、山裾の集落に水を供給してくれる

など、山の価値の指標は多様であって、
「木」だけではないことは、何度でも強調しなければいけないと思います。

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作業現場の近くにある、水取り場。山のふもとの集落に水を供給します。


余談 〜「奪う林業」と「育てる林業」

林業系でnoteを書いている、同年代の成田くん。
彼が、今回と同じようなテーマで、「奪う林業と育てる林業」という記事を書いていました。

その定義は、以下。

それは略奪的林業と育林的林業になる。日本の人工林は後者になる。一方、海外で天然林から伐採する林業は前者になる。

その違いは樹木が木材として利用できるまで成長するのに、自然の力のみで成長するか、人が枝打ち、間伐など積極的に行い樹木を育てるかということになる。

いままでの観点から言えば、正直、不十分だと思います。


日本の人工林すべてが、枝打ちや間伐を通して「育成」できてはいません。ましてや、先にも見てきたように、人工林においても、
木を育てるのでなく、短期的な利益を求める「略奪的」な行為もあります。
あるいは、天然林でも、自然の循環速度に合わせて木を伐採すれば、
「略奪的」ではなくなり、むしろ「共生的」な林業になると思います。

それゆえに、天然林か人工林かで、
略奪的か育成的を分けるは適切ではないと思います。
それを彼も理解しているかもしれませんが、理解しているのであれば、
文章という、一方的な発言である以上、読み手への誤解がないように、
それは明記すべきだと思います。

という、友人、同志としての激励として記し、彼へ直接送っておきます。
陰口、批判ではありませんので、ご容赦ください。

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水俣の漁師・緒方正人さんは、「漁師は泥棒だ」と言います。

「よくよく考えてみますと、漁師というのは泥棒なんですね。...
とにかく、わたしたちは「免許」も持たないで、まして自分で生んでもいない、育ててもいないものをまるで自分の品物でもあるかのようにして「取り」にいくわけです。そうしてみると、漁師というのがまったく泥棒以外の何物でもないのだと言っていいように思います。」

『チッソは私であった』緒方正人 p.80-81

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もっと深く考えれば、
植林して育てる「育成的林業」も、
自然の植生を伐り開く「略奪」行為から始まります。
結局、天然林林業も、人工的林業も、
人の都合によって自然を改変する行為には変わりなく、
ただ、それが規模に応じて、技術が生まれ、変わっていっただけのことかなぁと。

「林業家は森を守る」という表現をたまに聞きます。
それは、間違いではないと思うのですが、
まず第一に、人の都合があることを、冷静に認識しておくのは、
範囲の狭い「自然」を賛美することになりかねないのでは、と思います。


長くなりましたが、こんなところで。
伐る木を見る林業と、残す木を見る林業についてでした。

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つばさ

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