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[芸術家のキャリア]退職し異国の地オランダでアーティストとなるまで
今回は、wearable artを専門とするアーティスト兼アート研究者に取材させていただいた。飛び級を重ねて大学へ進学し、芸術大学を卒業せずにアートの研究学位を二つ取得。その後、ギャラリーで美術展の企画・運営を手がけるマネジメント職を経て、アーティストとして活動している。昨年はフローニンゲンでファッションショーを成功させ、wearable artをアートとして認知させるべく創作に励んでいる。今回は、彼女のキャリアとwearable artについて話を伺った。
アメリカ出身の彼女は幼くして移り住んだオーストラリアの中学・高校を経て大学でアートを学ぶ。しかし、卒業を待たずして自身の作品と練り上げた研究計画書をもとに、芸大卒業をしていないにもかかわらず、絵画の研究学位を取得する課程への入学を許可される。周りより賢くさらに行動力も備えていたのだろう。「常に教室のなかで年上に囲まれていた」と語る。
一つ目の研究学位を取得後、トランスヒューマニズム・アートの研究を始め、二つ目の研究学位を取得。修了こそしなかったものの、博士課程にも在籍しアートに打ち込む。
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しかし、研究学位を得たとしてもアーティストとして生計を立てることは簡単なことではない。彼女は創作活動を続けながら、ギャラリーで働き始める。ギャラリーでの仕事は多岐にわたり、主な仕事は美術館での展示会の企画、加えてアーティストのプロデューサーや手続きを助ける代理人のような仕事をする。アートディーラーとして働いたこともあったそうだ。
美術展の企画と聞くと想像しずらいかもしれないが、例えば国立西洋美術館などで行われたモネ展などのように特定のアーティストの作品を集めたり、近代アートや印象派などとテーマを決め、それに沿った作品を集め美術展を開くための準備をする。有名どころで言うと、ピカソやアンディ・ウォーホールの作品を取り寄せた特別展を開いたこともあるそうだ。こういった美術展を開催する際には、まず展示のテーマを決め、それに沿った作品を集め展示する。作品を集めるのも簡単ではなく、テーマに沿った作品を予算や展示規模に合わせてアーティストもしくは美術館やコレクターから取り寄せ、それぞれが引き立つように、テーマが伝わるように展示する。
有名作品としてピカソやアンディ・ウォーホールの作品を取り寄せ美術展を開催したこともあったそうだ。ギャラリー勤務の8年間で、大小合わせて年間10回ほどの展覧会を企画したという。もちろん美術館での美術展だけでなく他の会場だったりショーのようなものも含むという。例えば、美術画廊などのような展示も手がけたという。
一見するとアートに一番近い所で働く華やかな仕事のように思われ、「お金を稼ぐという上では良かった」と語るが、本当にやりたかったのはアーティストとしての創作活動であり、マネジメントではなかったという。結局、ギャラリーでの8年間は人生の後悔の一つだと振り返る。
そんな彼女が転機を迎えたのは、オランダのアーティストグループへの参加だった。オーストラリアでグループを知りその一員となるべく申し込む。
アーティストグループとは、共通の芸術的ビジョンやテーマを持つアーティストたちが共同で創作活動を行う集団のことだ。有名な例として、モネ、ルノワール、ドガ、ピサロらがパリで結成した印象派が挙げられる。
晴れてメンバーとして認められた彼女はオランダに渡りアーティストグループでアーティストとして活動する。しかし数年ほどでそのグループを脱退。以降は独立したアーティスト、そしてアート研究者として活動する。このころからwearable artの創作に更に力をいれる。
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アーティストとしての仕事は作品を販売することに加えて、企業や行政から依頼を受けて作品を作ることもあるそうだ。ある時は、アーティスト仲間と共に行政から街中にインスタレーション作品の展示を依頼され創作したこともあるそうだ。例えば、私たちが普段、街や公園で目にするようなモニュメントやオブジェも彼女のようなアーティストに行政が依頼し存在しているのだ。アートとは意識して見ると、縁のない遠い世界でなく私たちの生活の周りにあふれているものだ。
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しかしアートの世界で成功を収められるのは、ほんの一握りの人だけだ。医者や弁護士になるというのとは、比べ物にならない、とてつもなく厳しい世界だ。彼女は、「アーティストとして生きるには、本当に心の底からアートが好きでやり続けられ者でないと出来ない」と語る。生半可な気持ちで目指せるような仕事ではない。
現在、彼女はwearable artを専門とするアーティストとして活動している。彼女の作る作品は服だ。しかし彼女はファッションデザイナーではない。あくまで一人のアーティストとして服を作っているのだ。いまだに服は芸術作品として認められることは少なく多くの人はそれはアートでなくファッションだと言う。しかし彼女に言わせれば、「機能性を持つものはアートでない。(だから普通の服はアートではない。)ただ私の作品は服の形をしたアートだ」と言う。言葉で説明するのは難しいが、彼女の作品は服というキャンバスに描いたアートと言うのが正解に近いだろう。
昨年には、市内でファッションショーを成功させ、今年もファッションショーを企画しているという。ショー単体での利益は数百万円ではあるものの、一体どれだけのアーティストがそこまでたどり着けるだろうか。金銭的には恵まれなくとも、これは大きな成功といえるだろう。
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そんな彼女の願いは、「wearable art がアートであるという主張を少しでも広く浸透させる」というものだ。wearable artという服の形をしたアートがアートとして広く受け入れられるのは時間が必要かもしれないが、彼女のようなアーティスト一人一人の活動のおかげで着々と広まりつつあるだろう。また世の中に対しては「持続可能な社会を築き環境保護に取り組むべき」と語る。ボランティアの同士達とフローニンゲンのフードロス削減活動に参加し、市場やスーパーから廃棄予定の食材を回収し、無料食堂で提供する活動を行っている。理想のために小さくとも自分に出来ることを見つけ行い、少しずつ世界を変えようとする彼女の行動には感銘を受ける。
そんな彼女が人生で大事にしているこてはやはりアートだそうで、人生の指針として「自分がやっている事は本当に好きな事は問い、本当に好きなことをやるべき」と語る。アートの研究学位を取得後、一度はギャラリーでマネジメントサイドで働くも、今は故郷を離れアーティストとして活動する彼女の言葉には重みがある。いまの私は本当に好きな事、やりたい事はない。それを見つけられたらと思う。