小学生編Ⅱ
とにかくソフト大好き❤
僕は小学校3年生でソフトに入りそれまで学校に行くのが本当に嫌いでしかたなかったんですがソフトの練習がある月曜日と木曜日以外は学校に行ってました笑僕の家の家庭は僕がする事には全くと言っていいほど口出しはされなかったです笑
学校行きたくなかったら行かなくていいし学校行かないからって遊ぶわけでもなく家の手伝いして蒲鉾作り終わったらキャッチボールしたらノックを家の前でひたすらやってました笑
今思うと学校に行けとよく言われなかったなと思います笑
そんな中本当に飽き性でそろばんもテニスも何も続かなかった僕が唯一続いたのがソフトで毎日8時から9時まで素振りもしてました!親もビックリするぐらい続いたのでソフトに関しては本当に応援してくれたなと思います。仕事が終わったら飲みたいビール我慢して行きたいパチンコ、ボート我慢して練習に来てくれたり今思えばあの頃が1番親子らしかったのかなと思います笑
勝つ喜び
僕が小6の時に8年ぶりに大会で優勝をしました
本当に古豪と言われていて最近は全く強くもなくリーグ戦でもどんどんとランクを下げていき僕が6年生の頃には1番下の3部リーグになってました。
そこからコツコツとエースを中心に勝っていき僕達が卒業する前には1部リーグまで上がったのです。小学校では珍しくナイター設備もあり本当に今思えば恵まれた環境でソフトできてたんだなと思います笑その中でも1番記憶に残っているのが優勝した時エースと2人でダウンしてる時にこっそりと2人で嬉し泣きした事ですね笑
本当に何かを頑張って来たことがなかった僕が1番頑張ったソフトで優勝できた!って事は本当に嬉しかったです!勝つ事でこんなに報われる気持ちになるんだと思いました!
恩師との出逢い
小学校5年生の頃諫早市の選抜で監督をしていた先生がいて、一緒に行っていたエースの子とエースの子のお母さんと監督が有喜に来てくれたら良いのにねと話をしていたら、なんと!僕達の学校に赴任してきて何と僕達の担任の先生になったのです!本当に僕の学校嫌いを治してくれた先生ではじめて学校が好きと思える時でした!怒られることも沢山あったんですがちゃんと怒ってくれる先生ではじめて怒られてあったかい気持ちになったのを覚えてます。
本当に小学校の記憶って6年生の頃の記憶しか無いんじゃないかってぐらいに楽しかったのを覚えてます。人の事を良く見てくれて良いところも悪いところも全部伝えてくれる先生で悪いところはちゃんと治そうとしてくれる本当にいい先生でした!
とある事件
ソフトとは全く関係なく少し家庭のお話をして行きます。
僕が小6の頃に父と別れて出て行った母が僕を連れて行こうとして喧嘩になり警察まで来ると言う僕の中で結構なターニングポイントといっても良いような事件がありました。
それまで母は僕が父のそばからいなくなったら仕事をしなくなるからと言って父の方に居たのですがいきなり連れて行くといい、喧嘩になりました
2人の本当に人を殺してもかまわないってぐらいの顔をして喧嘩してるのを見た時に自分は何をどうすればいいんだろうって全部が訳分からなくなりました。ソフトも卒部してもう少しで中学生になるって言うのにこの人達は何をしているんだろうと思いながら怖くて泣いていました。
母が連れて行くと言っていた理由も今となれば確かになとは思います。その理由は、売り上げをギャンブル、飲み代に使い、電気、ガス、電話などがしょっちゅう止まっていたのです。今思えば普通じゃありませんでした。小さい頃は全部ギャンブルなどに使ってるとも思わず売れてないんだなとばかり思って、仕方ないかと思ってました。
なんなら電気、ガス、電話が止まったりするのが僕の普通でした。そんな事もあり母が連れて行くと言っていたのですがまぁ母も母でさほど変わりはありません。そんな中助けてくれたのが恩師の先生です。次の日学校休んでも良いぞと言ってくれたのですが、僕はこのまま学校に行かなくなるんじゃないかと思い、いつも遅刻ギリギリで行くのにその日だけはとにかく家にいたくなかったので1番に学校に行きました。学校に来てもらった事を褒めてもらい、先生に親子でも、翼は翼あの2人に振り回されずに自分の意志をしっかりと持った人になってほしいと言われ、普通ならグレてもおかしくない所を救ってもらい他にもソフトの監督コーチ同級生にも沢山支えてもらいなんとさ卒業する事ができました!
今更ですが僕がこのノートを書こうと思ったのはこんな家庭環境や自分はダメな人間だとか誰かのせいで自分の夢を諦めてもらいたくないと思ってるからです。僕も昔はよく親のせいにしたり家庭環境のせいにしたりしようとしてました。でも、周りには沢山支えてくれる人が居る親は親自分の人生には関係ないと生きていこうと家を出てもたくさんの人が本気なら助けてくれると言う事を伝えて行きたいと思ったからです。
本当はNPBの選手になって沢山の人に伝えたかったのですがその夢は叶いませんでした。
なのでこうして何かしらに書いて1人でも多くの人に伝えて行ければなと思ってます。
僕の体験談で何か変わる人がいるかもわかりません、逆に不愉快になる人もいると思います。
それでも、何か、誰かのプラスになれるように頑張って書いていきます。
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