6/26 居候日記 「戦争時の画学生の姿」
こんにちは。居候してる人です。
6/26の朝、長崎県に着きました。長崎にくるのは2回目です。さっそく以前長崎きたときに居候させてもらった友人と合流し、長崎県美術館へ連れてってもらいました。
連れてってもらった美術館には、日中・太平洋戦争中に志半ばで命を奪われた画学生たちの絵画が飾られていました。企画展「戦没画学生慰霊美術館 無言館 祈りの絵」展と題して、平和都市の長崎県にて期間限定(7/8まで)でやってます。
戦死した画学生たちのすがた
長崎県美術館で見た絵には、画学生1人1人の背景と時代背景が強く表れていました。「風景」「両親」「兄妹」「恋人」…飾ってあった多くの絵には、風景や大事な人の絵がかいてありました。絵のとなりには、「妹に優しい兄だった」「絵をかくこと以外なにも考えない人でした」…など画学生1人1人の人柄やエピソードを親族によって紹介されており、絵から見えてくる画学生たちの素顔は人間そのものでした。
戦争という背景があるからこそ、死を目の前に自分が残せるモノを残そうとする姿が絵から浮かびあがってきました。彼らは紛れもなくぼくたちと同じ人間です。
学生時代にかいた絵、出征直前にかいた絵、出征したことで完成されなかった絵、たくさんの状況下でかかれた絵がありました。戦時中の画学生にとっての絵をかく環境は厳しいものです。どれだけ願おうと、戦争から逃れることはできませんでした。
戦争に行けば、自由に絵をかく環境は無くなりました。しかし絵をかくことが大好きな画学生たちは、出征先でも絵をかくことができる紙切れや素材を見つけると、そこに絵をかいていたみたいです。本当に好きなことをやるのに必要な理由は「好き」以外ないんだなと感じます。
戦後70年が過ぎたいま、ぼくたちは戦没した画学生らのいる時代よりも、はるかに自由な時代を生きています。いまある時間は「画学生がのどから手が出るほどほしかった時間」です。それだけ貴重な時間を生きているのだと強く感じました。【絵をおいかける画学生の強い想い】
居候のぼくが見た、長崎県の風景は、人間でした。長崎県美術館で家族や恋人が好きな画学生の絵をみた影響で、長崎県にいる風景とともに人間の姿を見ていました。
その後、居候先で寝ました。終わり。