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人を巻き込むのならば「すべき」ではなく「やりたい」で語ろう。

いちいちこうあるべきだから、などと「すべき」で話す人、苦手です。

言いたいことはなんとなくわかるのだけれど、何故か「すべき」で語られると反発したくなってしまうもの。主張する本人はきっと経験からものを申しているわけで、一理あるのはわかるのですが・・・。

どの立ち位置からの「すべき」なのか

僕たちが今いるのは、先の見通せない変動の時代。先のことなんて誰もわかりません。「すべき」を唱える人の積み重ねてきた成功が、これからの世界でも通用するかと言ったら答えはわかりません。

それなのに、個人的な経験からこれが正しい。「こうすべき」とやられると、それは「どの立ち居位置からのすべきなんだよ」とどうしても反発したくなってしまいます。

「すべき」が支持される理由

一方で社会を見回すと、どうも「すべき」で人を説得しようとする人が今もたくさん存在しています。

人は誰しも不安を抱えている生き物です。だから何かをすべきとか言われると、なんだか正解っぽい気がして、つい信用してしまいたくなります。

これだけ不安定で明日の見えない世の中。進むべき道を断言してくれる人を求める気持ちもわからなくもありません。

実際に「すべき」を支持する層がいるから、いまだに多くの人が活用するし、幅を利かせているわけです。

そのニーズがあることは否定しないし、場合によっては「すべき」を使うのは良いとは思います。ただ、可能性の一つでしかないことを過度な自信を持って「すべき」と断言する人をみているとちょっと気持ちがザワつくのも事実です。

「すべき」を「やりたい」に置き換えては

そこで「すべき」に変わって提案したいのが「やりたい」を語る方法です。

「すべき」を「やりたい」に変えることによって何が起こるか。僕の経験から得られた効果を3つほど紹介します。

反発されにくい。

まず「すべき」で語ってしまうと、どうしてもこれが正解といったニュアンスが含まれます。そのため「すべき」で語られた場合、言われた側に対して正解を受け入れることが求められてしまいます。

もし自分が違う意見を持っていた場合「すべき」と語られるとなんだか押し付けられたような気がして反発したい気持ちになってしまうのです。

それに対して「やりたい」で物事を語ると、あくまでも発言者の個人の意志です。そこには相手に対する強制がありません。そのため反発が生まれにくいということがあります。

人が巻き込まれやすくなる。

前述したように「すべき」は相手に従うことを求めます。主張するもののルールに従うため、相手には余白が存在しません。それに対して「やりたい」は主張するもののルールに従うことは求められず、関わり方に余白が生まれます。

そのため「すべき」の元では関わり方を見出せなかった人でも、「やりたい」の元では関わり方の自由度が高まり関わりやすくなる。結果、人が巻き込まれやすくなるという面があります。

主体性が芽生えやすくなる。

上記と同じ理由で「すべき」の場合は、次の展開がある程度決まっていますが「やりたい」の場合は次の展開がかなり自由に選べます。

関わり方の自由度が高まるのと同時に、主張の自由度も広がります。関わる人が自由に自分の意見を述べることができ、主体性が芽生えやすくなります。

最後に

とはいえ、「やりたい」がよくわからないという人も多くいらっしゃると思います。自分の「やりたい」を見つけたいという方にはこちらに挑戦してみてください。



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たなか つばさ@仕事旅行社
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