会社は自然体になっていく
ここ数年で「自然体」であることの重要性が高まっているような気がしています。なぜそう感じるのかの言語化にチャレンジしてみます。まだ全然まとまっていないのですが、それを前提にどうぞ。
数年に一度リブランディングを実施
仕事旅行社では、数年に一度リブランディングを考える会議を不定期で行います。会議では僕らの実現したいことの再確認と、それを言葉やビジュアルに落とし込むことを行います。
会議で出てきた言語化、ビジュアル化された会社のイメージに合わせて、HPのデザイン修正やサービスの修正を行っていくことで、我々の進むべき方向を明確に持ち続けようという意図があります。
具体的には、僕らが考えている世界観(妄想)を絵に描いてみたり、キャラクターを作るとか、会社を人に例えてその人物像を作り上げるなどということをするちょっと恥ずかしい作業ではあるのですが、これをやることで自分たち自身の存在を客観視することや、向かうべき道筋を再確認すること、自己理解を意図しています。
背伸びしている感が否めない
一通りの作業を終え、いざ結果をHPに流し込んでみると...なんでしょう。ものすごい違和感を感じるのです。なんだかちょっとやりすぎな部分や、カッコつけすぎな感じが否めません。
並ぶのは叙情的な表現や、なんとなくクールなキーワード。誰がみてもカメラマンが撮ったのだとわかるようななんだか異常にオシャレな写真たち。
他人にメッセージを伝えることが目的だから、多少なりとも演出する必要があるのはわかります。でも、なんだか実態と違う気がする。背伸びをしすぎている感じが否めなかったのです。
大げさかもしれませんが、背伸びしないと自分たちのサービスには誰も振り向いてくれない。だから大げさに表現する、要するに自分の自信のなさの裏返しのようにも思えたのです。
同時に、本当はもっとダサダサで、ごちゃごちゃで、社長が社長扱いされないのが実際の我が社。それを体裁よく見せることは、他者に対しても自分に対しても誠実で無い気がしてしまったのです。
5、6年前に同じ作業をした時には全く感じなかったのですが、なぜか今回に至っては異常なまでに違和感を覚えたのです。
カッコつけが難しい時代
「盛る」という言葉が市民権を得ましたが、これだけ情報が世の中に溢れるようになると、人に注目してもらうために過度にカッコつけたり、演出する流れが盛んになります。
一方同時に情報が溢れるようになったことで、どこからか素の自分というものが透けて見えてきてしまう時代にも突入しています。
例えばSNS。いくら自分のSNSでカッコつけた投稿を心がけていても、友人がアップした写真や文章などで身の丈の自分がバレてしまうなんてことは当たり前ですよね。
それでもカッコつけがバレるよりも「盛る」方のがメリットがあったから、ここまでみんなが演出をする様になった訳です。
でも、そのパワーバランスが、コロナの影響によって急速に崩れてきたように思うのです。
理由は幾つかありますが、例えば在宅ワークが急に増えてきたことでオン、オフの顔の使い分けが曖昧になったこと。
会社に行かないことにより、物理的にオンオフが無くなったことで、仕事時にプライベートが侵入してきました。
普段威厳たっぷりのクールな上司とオンライン会議していたら「パパァ〜」と子供が乱入なんてシーンは珍しくありません。
オン、オフの使い分けができないことが自然体のトレンドを強めているのではないでしょうか。
自然体の自分を出す
「盛る」なんて言葉が市民権を得て久しいですが、世の中は「自然体」に向かいつつあります。
今後は自分を装うのではなく、できる限りそのままの自分を出すことが重要になっていくはず。
自分の弱いところも、強いところも、いいところも悪いところもすべてを含めて晒していく。身の丈の自分で人と接し、繋がりを築いていくことが重要です。
まさに人間力、会社力?!が試される時代でもあるでしょう。取り繕うことができないから、ありのままの魅力を持つ人なり会社なりサービスになっていくことや、誠実であることが極めて重要になっていくからです。
さあ、みんなもう「盛る」のはやめて「自然体」で生きよう。
今日はとりとめのない文章になってしまいましたが、読んでくれてありがとうございます!ではでは。
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