見出し画像

人生における恋愛の存在意義を考える

私は、結婚はしたくない、子供もほしくない、それでも恋愛はしたい人間である。
若い頃は好きな人を作っては付き合い、別れ、またすぐ好きな人を作るということを繰り返して、恋多き青春を送っていた。
ただ、大人になると恋愛する頻度が落ちていき、30代に入ってすぐもういいやと思い、孤独に生きていこうと決意した。
それでもまた恋愛をしたいと思ったのは、友人のおかげだ。

その友人Tは、前々職で出会った友人で、初めて会った時からとても気が合った。ソウルメイトというのはこういう人を指すのかもしれない。スピリチュアルなんてわかりもしないが、そんなことを思うほど、私はTとすぐに打ち解け、仲良くなった。
前々職はなかなかにグレーな職場で、同じ部署、隣の席ということもあり、私たちは同僚で、お互いの良き理解者だった。ランチに行くこともあれば、夜通しカラオケをすることもあり。
それまで生きてきて初めて気の置けない友人が出来た。
そう感じさせてくれるほどに、Tはおおらかで、私のめんどくさい性格をすべて肯定し、受け入れてくれる存在だった。
私は自分で言うのもなんだが、とても面倒な人種である。
人間が嫌いだから人混みが多いところは避けたいし、肉料理が基本的に苦手、食べ物もその他諸々についても好き嫌いが激しく、さらには口が悪く嫌いな相手への拒絶がすごい。
気難しい爺さんのような私ではあるが、Tは私の好みを覚えて、彼氏のように優しく穏やかに隣にいてくれる。
かわいい雑貨屋さんを見つけたからと連れて行ってくれるし、おいしいカフェがあれば予約を取ってくれる。
私が行ってみたいというとすぐに調べて、行こうかと言ってくれるスパダリそのものであるTは、私が唯一心が許せる友人だ。
Tだけは裏切らないと思って心から信用しているし、困っていたら絶対に手を差し伸べる覚悟もある。
そんなTと出会ってから恋愛なんて必要なかったし、Tがいれば私は満たされていた。

それではなぜ、恋がしたいと思ったのか。
単純に、人を好きになりたかった。
それはTがずっと側にいてくれたことで生まれた感情かもしれない。こんなにいい人がいるなら、また人を好きになりたいと思えたからだ。
私もTのように、誰かに優しくして、受け入れて、大切にしたい。もちろんTがしてくれたことをTに返していくつもりではあるが、それとは別に「許せる」存在が欲しかった。

人間が、本当に嫌いなのだ。
欲に塗れて浅ましく、口を開けば自己保身しかない。承認欲求を散りばめて、注目を集めることが正義だと誤解し、偽善を振りかざし、自分だけが幸せになれればいいと思っている。
Tと出会う以前の私は、全人類がそうだと思い込んでいた。
けれど今は、全員がそうではないと分かっている。
Tのような人もいるのだと知ったから、そう思うことが出来るようになった。

だから今度こそ、本当の意味で人を好きになれるのではないかと思い、恋愛がしたかった。
とはいえ、恋愛がしたいと思ってすぐ出来るのなら、苦労はしない。
とりあえずマッチングアプリをしてみたものの、メッセージのやり取りが苦手で、顔で決めるのも何かが違うと感じ、試しては消し、別のアプリを試し、という日々を送っていた。
何人かと会ってはみたが、メッセージのやり取りと印象が違う人や、様子のおかしい人ばかりで、私は好きになれなかった。
そんなことを繰り返して、恋ができないまま、3年ほどが経っていた。
好きな人が欲しい。
匿名SNSでも探してみたものの、現れるのは頭が下半身に支配されている人ばかり。
まともに出会うことなんてできない環境に置かれている。冷静に分析した結果、私は一旦、好きな人を探すことから離れた。
ゲーム友達を作ることを優先しよう。
出会いがありそうなネトゲもしていることはしていたが、私が命を懸けているゲームは出会えるような環境ではない。
だからSNSでフレンド募集をして、友達になれそうな人をフォローして、一緒に遊んでみて、というのを繰り返した。
初めてフレンド募集をやってみたが、まあいるわいるわ変な輩が。
あまり詳細を書いてしまうと身バレしてしまいそうなので割愛するが、ネット恋愛の悪いところを煮詰めて生まれたような怪物たちがわんさかいた。
話の通じる人はごくわずかだ。
これはあくまでも私の経験であって、引きの悪さもあるかもしれない。
だが、ネット恋愛であちこちトラブルが起きるのはこういう人がたくさんいるからなのだなと、妙に納得してしまった。

不思議なもので、友達を探していたら、いつの間にか付き合うことになった人と出会うことが出来た。
私のフレンド募集に反応してくれて、一緒にゲームをしてくれた人。
通話をしても柔和で優しく、ゲームが上手な人。
もちろん、彼ではなく出会ったフレンドたちも、まともな人は一握りはいる。一握りだが。

出会って3カ月で付き合うことになり、今月で付き合って5カ月が経とうとしている。
私と彼は中距離恋愛なのだが、日々思うのは、恋愛の存在意義についてだ。
確かに私は恋愛がしたかった。誰かを好きになり、許し、受け入れ、大切にする。
Tに教えてもらったことを彼に多少は出来ていると自負もしているが、連絡をしない、会えないとなると、付き合っている意味について考えたくもなるというもの。
私は恋人には構ってもらいたい。というか、心を許せる人間が片手で足りるほどしかいないから、片手に入る人たちには定期的に声を掛けて欲しいと思ってしまう。
もちろん自分からも声を掛けるし、それに即レスをくれるTのことが好きだ。愚痴でも暇だからでも何でも、会いたいと言えば大体会ってくれて構ってくれるTの方が、よっぽど彼氏なのではないかとすら思う。
しかしそれは私とTのスタンスが似ていて、数駅離れているだけの距離に住んでいるからでもある。

彼に会うためには電車を乗り継いで早くて1時間40分程度。電車がなければ2時間掛かってしまう距離だ。
会いたいと思ってもすぐには会えないし、そもそも彼は会わなくてもいいタイプらしい。
社会人で付き合っているなら、2か月に1回くらい会えればいい、と言われて「恋人とは」と思ったし、2、3カ月に1回でもいいと言われたときには流石に「付き合っている意味ある?」と聞き返してしまった。
連絡も大してくれるわけではなく、通話もしない。恋人になってからゲームもあまりしてくれなくなって、寂しさを抱えているのに、そんなことをのたまう。
彼はお金がないと言って、月々の会う回数を減らしてお金を貯めて旅行に行きたいらしい。
2、3カ月会えなかったら私は確実に冷めてしまうし、正直私もお金がない。それでも会いたいと思うから、身を削って会いに行っているのであって。
3カ月後に好きじゃなくなった人と旅行なんて誰が行けるだろうか。
感覚が違い過ぎていて、私には理解が出来なかった。
旅行云々はもしかしたら、会わないための口実かもしれないが。

会いたくないわけではないというが、そんなことを言うくらいには好きではないのだろう。
彼のいう「お金がない」はつまり、私にお金を使いたくないことだとして、真摯に受け止めている。
好きじゃないからそういうことが言えるんだよと。付き合っている意味なんてないねと。そう言った。別れるつもりかと思って聞いたのに、そうではなかった。
彼は本心から言っているらしい。別れるつもりはない、本当にそれだけ会えればいいのだと言う。
彼も心から好きな人が出来たらそんなことを言っていられなくなるだろう。
いつか私が捨てられたとして、彼がそういう相手に出会えたらいいなと思う。誰かを全力で好きだと思うことは、幸せなことだから。

彼の言動に振り回されて、陰鬱な気分になる度、昔の記憶が甦ってくる。
ああ、そうだった。恋愛でとても面倒なものだった!と。
何せおよそ9年振りの恋愛で、恋に恋していた期間が長くて、忘れてしまっていた。
振り回されて、苦しんで、追いかけることに疲れ、時々立ち止まって、もうやめようかなと考える。
私が離れようとすると不思議なことに彼が近づいてきてくれるから、好きだという気持ちを持ち直し、また追いかけるの繰り返しだ。
不毛だと思う。でも、無駄な時間ではない。
私の人生において恋愛は、なくてはならないスパイス。
少し苦くて辛くても、それ以上にぐっと美味しくなるのだから、やっぱり求め続けてしまう。
人生をよりよく過ごすために、必要なもの。
それが、私にとっての恋愛だ。



いいなと思ったら応援しよう!