追いかける恋をする覚悟
昨日、自分が思っていたことを送ってから1日。
一時間程度話して、何とかお互いの落としどころを見つけ、破局の危機は免れた。
彼曰く、私が送り付けた文面は「別れたい」といっているようなものだったらしい。
そんなつもりで送ったのではない。
私が悲しいと感じたことを、普段なら飲み込むことを、あえて伝えようと思ったから送ったまでで。そして、彼が私との関係を続ける意思があるかどうかを確認したかった。
普段ならこんな面倒事、尻尾を巻いて逃げ出してしまう。
振られる前に振るし、追いかけられても逃げ出すし、問題や面倒事に直面したら「ぱっ」と消えてしまう。
私の人生は大体、そんなものだ。
責任を伴うことは最後まで諦めずにやり遂げるが、人間関係では違う。
厄介だと思ったら捨てるし、消す。
すべての人間関係が価値のないものだと思っている。私の友人はこの世でただ一人だ。あとはただ、知っているだけ。名前と顔を一か月もしたら忘れてしまうだけのちっぽけな存在だ。
恋愛もそうだった。
嫌になったら一方的に切るだけ。話し合いなんてしない。通話で話すことすら断って、ただ残酷に切り捨ててきた。
今回、彼にそうしなかったのはひとえに「好き」だからだ。
私は好きになるとそれしか見えなくなる。人であっても作品であっても。好きなもので満たされたいと思うから、際限なく追いかけてしまう。
人を追いかけたのは大学生の時に付き合っていた元元元元彼だけだ。そのときもずっと我慢して、堪えて、そうして結局捨てられた。
捨てられるのだったら、自分の考えを知ってもらおうと思った。
こういう部分が不安で、悲しかった。察してもらおうというか、私の考える「普通」だったからそう思ったことを説明した。
彼は言葉の額面通りに受け取ってしまう、と言った。
それは私が悪かった。察することはできないと、彼から何度も言われている。
これから長く付き合っていきたいと思っている。
だからここで価値観の妥協点が見つからなければ続かない。その思いで話し合いに臨んだ。
本当に、本当は、逃げ出したかった。
連絡が来て、ああ、やだ、逃げたい。そう思いながら通話をかけた。
切り出し方が分からずただ意味もなくへらへらしていた。
私が好きな小説のフレーズに、「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」というものがある。それがずっと、頭にあった。暗くなり過ぎないように、でも真剣な話をするからふざけすぎず。
声は明るく、話す内容はわかりやすく、簡潔に、自分がどうしたいかを伝え、彼が何を考えているのかを聞く。
感情が昂って少しだけ泣いてしまったが、すぐに泣き止むことが出来た。
泣くのはずるい。それはわかっているが、涙腺が緩いのか感情が昂ると涙が勝手に出てしまうのだ。
それを謝りつつ、冷静に、お互いの希望を言い合った。何をしたいか、どうしたいか。平等で対等だからこそ、私自身の要望だけが通るだけは嫌だとも伝えた。
彼の事情もよく分かった。
私との考えや価値観の違いも。
彼は「真逆でごめんね」と謝ってきた。
私は一笑に付す。
「真逆だから好きなんだよ」
11も年齢が違うから、それが顕著に見えるが、私は変わっている人しか好きになれない。
自分と同じような人種ではない、自分と違う考えの方が好きなのだから。
今回、決めたことがある。
決めたとしてもまたきっと不安になるだろう。悲しくなるし、寂しくもなるだろう。
また同じように「好かれていない」と泣く夜も来るのだろう。
でも私は追いかける恋が好きだ。
好きな人を全力で追いかけている瞬間が、楽しい。
すぐに捕まえられないのが楽しい。
自分の思い通りにならないことが面白い。
そうして、私の際限のない好意を受け止めてくれる彼が、大好きだ。
嫌じゃないと言ってくれることがどれだけ嬉しいか。
かわいいと頭を撫でて嬉しそうにする彼が、どれだけ愛しいか。
追いかける恋の覚悟。
私は、私の好きを追いかけていく。
それは自分のためで、私がお金を稼ぐ理由。生きている理由。
まあ、適度にのめり込み過ぎないように。
この記事を読んでくれている人が同じように「追いかける恋」をしているなら、応援したい。
追いかけられる方が幸せかもしれない。
安心と安寧があるかもしれない。
それでも多分、追いかける恋が好きなのは、変わらないと思う。
例え思うようにいかなくても、ここまで人を好きになれたことが人生においての功績になる。
私はそう、信じている。