見出し画像

【小説】恋を忘れたカナリアになって

 もう恋はできない。

 あたしはそう思った。
 誰かの幸せを壊してまで、自分の想いを突き抜けるなんてバカなこと、もうしてはいけないのだ。たとえ秘密の恋だって、秘密なんかいつかはバレる。日の元にさらされるに決まっていたのに、なんで気がつかなかったんだろう。
 秘密がバレた代償は大きかった。
 あたしの夫と相手の妻への慰謝料、離婚、娘の養育費、親との勘当、すべての親戚との縁切り、借金返済、計算しきれない利子の額。

 いくらあたしが脳内お花畑女子だとしても、さすがにこんな状況になっては、自分がバカだと自覚しないではいられない。
 お風呂に落ちるか、漁船に乗るか。
 どうしたものか。

 だから今となっては、もう恋はできない。

 惚れっぽくて、恋だけがあたしの人生のすべてだったのに。
 誰かに恋している間だけは、あたしはあたしになれたのに。

 もう恋なんてできない。

 だって、恋してる間、あたしは浮かれているだけでいいんだもの。
 明日の心配や、今夜の寝る場所の心配や、苦しいことなんかなんにも考えなくていいんだもの。ただ、男のぬくもりに甘えてさえいればいいんだもの。



「おーい、休憩終わるよー」
 工場長の声に、あたしはノートパソコンを閉じて、ロッカーに戻した。
「はーい」
 午後の、単純な繰り返しの作業が始まるのだ。




 

いいなと思ったら応援しよう!

中野谷つばめ
サポートしていただいた金額は、次の活動の準備や資料購入に使います。