『カルチベイトバイブル 正義と微笑と六〇人のカルチベイト考』のあとがきを公開する
2022年10月に刊行した自費出版本『俗物』に引き続いて、新潟県燕市を拠点とする鎚起銅器職人・大橋保隆が2024年4月4日(木)に『カルチベイトバイブル』を刊行した。太宰治によって聖書の言葉を引用しながら書かれた「正義と微笑」を現代における聖書に見立てながら、有名無名を問うことのない60人におよぶ方々の寄稿文「カルチベイト考」を掲載している。
編集にたずさわった者として、本書のざっくりした概要と言えるようなおよそ二千字ほどのあとがきを巻末に書いたので、ここに公開したい。
さいきん「必然性の調達」という言葉を使うことがふえた。自分がつくりたいからつくる(欲望)というよりもむしろ、そうである必然性を見つけてしまったからつくる(つくらざるをえない)というふうに。
本をつくるきっかけについても、内容についても、装幀についても、ぼくは必然性を調達するための補助をしているにすぎない(そしてそれこそがじぶんの欲望の上位概念として存在している)。
おもにそのような流れについてこのあとがきではふれている。
あとがき
二十歳で成人式をやって、六十歳で還暦となり、近年1/2成人式を十歳でやっている。育児書には人格の土台が三歳までにできあがるとあったり、「人間は、十六歳と二十歳までの間にその人格がつくられると、ルソオだか誰かが言っていたそう」だが、だとしても二十歳までの中間地点を祝うのに、二十歳から六十歳までの長い四十年に中間地点を置かないことは不思議でならない。もはや成人すれば、大人としての、のっぺりとした時間が続くわけではないとしても、節目は存在しないように思える。
『CULTIVATE BIBLE』は、二〇二二年十月に刊行した自費出版本『俗物』に引き続いて、新潟県燕市を拠点とする鎚起銅器職人・大橋保隆が出版人となって刊行された。
この「俗物」というタイトルは、本書三一頁にある「ああ、誰かはっきり、ぼくを規定してくれまいか。馬鹿か利巧か、嘘つきか。天使か、悪魔か、俗物か」より拝借したものであり、『俗物』の製作と刊行をきっかけにして個人として活動していた大橋保隆が同年十一月二十日に会社をつくることなり、その会社名を「カルチベイト」とし、——経緯については本書二五五頁の大橋保隆「エゴイストが砂金をつかむとき」に詳しい——これもまた本書一五頁の「大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん諳記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ」から拝借したものとなった。そういう意味において、青年期の日記をもとにした青春小説が、まもなく齢五十にして天命を知ろうとする鎚起銅器職人に響く、とは驚くべきことかもしれない。逆に言えば「節目」とは、このようなしかたで突如として出現する。
『俗物』を刊行し、個人事業主だった鎚起銅器職人が、自費出版本の編集作業を通じて組織として動くこと、あるいは自らの自由をあえて手放し、むしろ組織の意思にしたがうことに惹かれて株式会社カルチベイトを立ち上げるという流れに対して、その結節点となった「正義と微笑」にまつわる本をつくる必然性が立ち上がった。欲望がテーマのひとつだった『俗物』になぞらえて言えば、自分の経験的欲望ではない、超越論的な視座からの啓示のようなものと言っていい。
そこから有名無名を問わない六十名の方々に「六〇人のカルチベイト考」として寄稿を依頼していった。『俗物』に寄稿いただいた方々に加えて、工芸、本屋、農業(園芸)、在野研究にまつわる方々を、さらに新潟という土地においてこれまで私たちをカルチベイトしてくれた方々も含めて、多種多様な寄稿者にご参集いただいた。ちなみに芹川進が所属していた学級の人数も六十名であり、クラスの顔ぶれは世界の多様性の縮図という見立てにより寄稿者もそのおよそ同数とした。
本の構成や装幀について、かんたんな説明をしておきたい。
『正義と微笑』において、日記と聖書が相互補完的な役割を担っているとの同じように、『カルチベイトバイブル』も「正義と微笑」と「カルチベイト考」を入れ子構造になるように配置した。
そして、二〇二四年現在、「正義と微笑」は、誰にでもアクセスできる青空文庫はもちろんこと、『パンドラの匣』(新潮文庫)や『太宰治全集 5 』(ちくま文庫)で読むことができるが、大きめの判型にレイアウトする以上、読書体験としての質を高めるための工夫をいくつか凝らしている。
ざらつきのあるラフな質感の紙に、ほどよい文字の大きさ、ゆったりめの行間、乾いた鉛筆手書きによる日付。
古典作品が持つ重厚さに対していかに軽さを出せるか、それによって現代性を与えることができるのか、を最大限考慮した。
いっぽう、「六〇人のカルチベイト考」については、まるで古い文学全集のようにぎゅぎゅっと文字を詰めて二段組みとし、フラットに五十音順で並べた。さらにプロフィールは巻末にまとめ、寄稿ごとに寄稿者氏名のみの表記とすることで未知の文章と出会う偶然性を高めたいと考えた。
一高受験に失敗し、意識が朦朧としたなかで、芹川進の眼前に浮かんではすぐに消えてしまった幻影を、そのまま装幀に移し替えている。絹のような繊細な肌理と織物のような柔らかい手触りを持つ「緑」の表紙に、こんこんと湧いて草の上を流れる水は、花ぎれとスピンの「青」で表現した。
本書が現代の聖書として繰り返し読まれ、「六〇人のカルチベイト考」という誰かの思考の軌跡が、読み手のなかになんらかの種をまき、耕されるきっかけとなることを期待してやまない。
「六〇人のカルチベイト考」の寄稿者とそのタイトル
寄稿いただいた方々とタイトルは以下のとおりです。
あらためてこれだけの方々にご寄稿いただいたことには感謝しかありません。
帯について
帯は、主に本を手に取ってもらうための宣伝手段なので、著名人に寄せてもらった帯文だったり、中身がひと目でわかる惹句が踊るのが通例だろうけれど、そういう要素は【「正義と微笑」の決定版】のみにとどめ、あえて売る気のなさを表明してしまうような帯でよしとした。
とはいえ、「正義と微笑」のなかで以下に引用したパイナップルの汁にまつわる文章は無意味であるがゆえに、とてつもなく惹かれるものがあり、この本を手にするようなひとはそれをわかってくれるひとだと勝手に決めつけることにした。
はたしてこの目論見は、どのくらいの読者に届くのだろうか。
『カルチベイトバイブル』は以下のお店(2024.5.1現在)で手に取っていただけるので、ぜひお近くの書店に行ってみてほしい。
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