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26歳でおちいったクォーターライフクライシスについて相談してみた|黒井理恵さん

26歳も、もうすぐ終わり。
この先の人生について、私は悩んでいました。

私はフリーランスとして働いていますが、会社に所属していたときと違い、どのように動いていくかを自分ひとりで決めていく必要があります。

いえ、フリーランスになる前、会社員だったときも「このままでいいのかな~」「なにか変わらなきゃいけないかな」などと考えていました。

20代後半から30代、人生の4分の1が終わった頃に訪れる人生への焦りや、人生の停滞感を『クォーターライフクライシス』というそうです。

参照:クォーターライフクライシスの正体と攻略法について-|キリ番踏んだら私のターン|長井短 - 幻冬舎plus
https://www.gentosha.jp/article/19021/

この先の人生をどう進んで行こうか。
自分の人生の舵をとるためには、優先順位をどこに置くか、自分のテーマを決めなければならない、とひしひしと感じていました。

そんな時に、近所のコワーキングスペースを運営している、黒井さんの存在を知りました。

コワーキングスペースの運営のかたわら、ファシリテーター(※1)のお仕事をメインにしつつ、インタビュアー・ライター・編集者・町おこしのイベントの運営まで、フリーランスで様々な活躍をされている方とのこと。

※1 ファシリテーター
会議や研修などの場の進行や、参加者の発言を引き出すサポート役。議題をより良い結論へ到達するように導く役割も持つ。

僭越ながら、黒井さんと自分に、フリーランス・ライター・女性という共通項を見出した私は、何かアドバイスをいただけないだろうか……と、さっそくコワーキングスペースのInstagramから連絡をとり、お時間をいただきました。

しかし待ち受けていたのは、私の想定していた次元を超えたお話でした――。

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黒井理恵さん
北海道名寄市出身・在住。Nスポーツコミッション(名寄市)事務局次長、naniroBASE&Lab.副所長(名寄のコミュニティスペース)、(株)DKdo取締役、NPO法人森の生活(下川町)理事。静岡県立大学国際関係学部卒業後、東京の出版社、企業PR・ブランディング企画制作会社を経て、2014年にUターンし現職。前職ではCSRコンサルタントとして、多数の上場企業のCSR広報、マネジメント、理念づくりや、社会課題解決型新規事業のプランニングなどに携わる。2006年からファシリテーションを学び、現在は自治体・企業・NPO・市民向けに組織・人材開発をベースに年間約60回、延べ約3000人以上に向けてワークショップや対話の場を開いている。
黒井 理恵さん note
https://note.com/kuroi_rie

取材に伺った日のコワーキングスペース naniroBASE&Lab.(なにいろベースラボ)はにぎわっていました。

地域の大学生が集まって課題か何かの話し合いをしています。黒井さんのご友人方もカウンター席に集まってきました。
そんな和やかな雰囲気の中、黒井さんに人生相談に乗っていただきました。

――黒井さんは、20代後半から今にかけてどのようなお仕事をされていましたか?

26歳の時に、今のメインの仕事であるファシリテーションに出会い、そこで人生がわーっと変わりました。転換期だったと思います。

拓殖大学が社会人向け・一般人向けに、国際開発教育ファシリテーター養成講座という1年間のクラスをやっていて、それをたまたま電車の中づり広告で見つけました。
ずっと社会課題を解決するような仕事に近づきたいなと思っていたから、その情報が目に飛び込んできたんでしょうね。

当時『ファシリテーター』という言葉は知らなかったんですが『開発教育(国際協力や異文化共生などについて理解する教育活動)』は大学時代から携わっていたテーマの一つだったので、また学びたいなと思ってその講座に通い始めました。

その講座に1年間通ったあと、28歳の時に、編集者として勤めていた出版社を辞めCSR(※2)を軸にした企業ブランディングやコンサルティングをする会社に転職しました。

※2 CSR
企業の社会的責任。企業が自社の利益を追求するだけでなく、社会へ与える影響に責任をもち、社会や地球に対して適切な意思決定し、活動することを指す。

CSRという言葉は、転職活動を始めたときに「社会貢献 会社」とネットで検索して初めて知りました。企業の力を使ってよりよい社会や世界をつくるんだ!と興奮したのを覚えています。

転職した後はCSRの会社で編集者として2年間、営業として2年間働きました。
そのあとは編集と営業を基盤に置きつつ、コンサルも行ったり。いろんなことに複合的に取り組んでいました。

36歳の時に地元・名寄市に帰ってきて、フリーランスで働き始めます。Uターンのきっかけの一つが、3.11――東日本大震災という衝撃的な出来事。

それまでは世界中で起きている社会課題に企業という大きなものをぶつけて解決しようと思っていたのですが、考えが変わり、ぐっと現場に寄って、手触り感を持って社会を良くしていきたいなと思ったんです。

今は人材開発や組織開発というキーワードで、地域の方や行政、学生とまちづくりやコミュニティ形成を進めています。町の活性化、というのは、その町で自ら動く人が増えていくことだと思っているんです。なので、名寄という町を舞台に自分のやりたいことをやる人を増やしたい、そしてそれが社会課題解決やよりよい未来づくりとリンクしていたらさらに嬉しい!という気持ちで活動しています。

――社会の仕組みを変えたいという大きなテーマで動かれているんですね。私にはない観点かも……。

普通はない(笑)
天から与えられた使命なんだと思います。この課題やっといてね、と天から言われたとしか説明つかないんですよね……。

どこかで出会った女の子も、ものすごく環境問題に興味があるって言っていて。その子も小学校くらいのときから、ごみ問題が気になって気になってしょうがないとのこと。
「分かる~」ってなりました(笑) 私はそれが世界の貧困問題や経済格差で。 我々、変な子だったよね~って。

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――黒井さんは、社会の仕組みを変えたいというテーマを軸にこれまで動かれていたと思います。でも、私はその熱量がずっと続かないんです……。黒井さんのそのエネルギーはどこから湧いてくるんですか?

一つは楽しいからです。楽しくないことは続かないので。
あとは、怒りとか……責任とかかな……。

社会について政治家に文句を言っている人がいますが「だったら何かやんなよ」って思っちゃう。いろいろ行動した上で文句があるなら、話は別ですが。

私が中学校3年生の時にタイムカプセルを埋めたんです。当時はちょうど20世紀から21世紀に変わるタイミングで、テレビでも周りの大人たちも、21世紀に向けてものすごい期待をかけていた時代だったんですよ。
35歳になったときにそのタイムカプセルを開けたらこう書いてありました。

「未来に期待しているヒマがあったら、今すぐ自分たちで何かやればいいのに。でも自分たちにやる力がないから、未来にむやみに期待をかけているんだな」

イヤな子だよね(笑)
でも、自分の人生を自分で握っていない人にイライラするというか……。

自分でできることは自分でやりたいんですよね。だからより良い社会を作るために動き続けられるのだと思います。


――最後に……20代後半から30代の私たちにアドバイスをください!

自分の人生は自分以外誰も生きてくれないから、人生を自分で握って、動かしていった方が幸せだと思います。

ベトナムに行ったときに、エステに行ったんです。
穴の開いた枕に顔を入れて、うつ伏せで施術を受けていると、急に「私って私以外の何者にもなれないな」ってことに気づいて……。

これまですごく優秀な人に出会ってきました。仕事が早くて、頭が良い。地方に行って新しいビジネスを立ち上げる人とか、途上国に行って社会課題解決のためのビジネスを立ち上げる人とか。

私はなんでそれができないんだろうと思っていたのですが……そう思ったところでどうしようもないんですよね。

逆に、他の人は私になれない。どうしようもなく、私は私にしかなれないことに気づいて、感動して、エステ中涙と鼻水まみれに(笑)
でも穴の中に顔が入ってるから拭けないのさ(笑)

いろんな人がいてうらやましくなったりするじゃない?
でも、自分は自分にしかなれないから自分を精一杯楽しくするしかない。

どんな人にも絶対良さはあって。でもそれって、多くは外から気づいてもらえるものじゃなく、自分で「私、がんばってるな」と思うしかないんですよね。

あとがき

小学校6年生の時に人生をかけて取り組むテーマを見つけた黒井さん。

お話を伺った後は「やっぱり人生のテーマを見つけている人はキラキラしていていいな、私はそんな素敵なテーマをもってない……」なんて思っていました。

でも、この記事をまとめている最中に、「自分は自分にしかなれない」という言葉がじわじわと効いてきたんです。

黒井さんにも言われたじゃないか。自分の人生なんだから、自分が人生を動かさなければ。
人と比較するんじゃなく、自分で自分の道を見つけなくちゃ。

いろんな出会いを経験しながら、私らしく。
ゆっくりでもいいから、自分のテーマを見つけていこう。

そんな風に思えたのでした。
黒井さん、貴重なお話をありがとうございました!

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