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理想の母を手放す

「いいお母さんだね。」
たいていの友人は、私の母を見るとそう言ってくれる。
私はそれを聞くたびに、もやっとした気持ちになる。
社交辞令だと分かっていても、心の中で、小さい頃の私がバタバタと手を振る。「ちがう、ちがう!」と。

私はやっと40歳になって、母を嫌いだと思えた。
遅い反抗期だと、自分でもあきれる。

40年間、母を好きだと思い込んでいたし、
嫌ってはいけないと思っていた。

3人姉妹の2番目に生まれた私は、のほほんと生きていた。
子供の頃、衣食住に困ったことはないし、夏は海に、冬はスキーにつれていってくれた。ピアノにスイミング、習い事も通わせてくれた。

ただし、それを望んでいるかは別にして。

例えば、小学生の頃、習いごとは私を憂鬱にしていた。
「一緒にプールへ行こう」そう言って連れていかれた場所は、スイミングスクールだった。私は騙されたと思った。
その場所は、浮き輪でプカプカのんびり流れる、癒しの空間ではなく、
同じフォームを繰り返しやらされる、だたの四角い箱だった。ベタベタとする水着も、息継ぎするたびに少しづつ口に入る水も、なにもかも嫌いだった。
やめたいと何度も言っても、やめさせてもらえなかった。
「続けることが大事だよ」と、はぐらかされた。

そのくせ、妹が辞めたいといえば、すぐ辞めることができた。
「妹は小さいし…」
当時の私は、そんな風に自分を慰めていた。

真意を知ったのは、成人してからだった。

「上の二人には、厳しく注意して育てたけれど、言っても聞かないと分かって、下の子には何も言わないことにしたの。でも、言わなかったら言わないで失敗だったわ。」

実家の庭の大きなつつじの木の前で、「よい天気ね」みたいな調子で、悪意なく母は言った。

私は平静を装いながら、ニコリとしたが、心の中では、ぐるぐると走馬灯がめぐっていた。じゃあ、あの時も、まだ別の時も…。
小さい頃のいたたまない気持ちの私が、わーわー泣いていた。
「子供の意志なんて、関係なかったんだ。」
「失敗や成功という基準で自分は見られていたんだ」

そして母にも、にごった色の心があることをようやく気づいた。

ふりかえると、母は、大きな声で怒鳴ったりしない。
だけど、なだめすかし、結局思う通りにする。

「そのほうが良いみたいだよ」と一般論に責任転化する。
「へんじゃない?」と言って、恥の心を刺激する。
「お姉ちゃんもやっているから」と私の意志は問われない。

母からのネガティブなコニュニケーションは、分かりやすい具体的な攻撃ではないので、私は、自分に責任があるかのように感じていた。
不機嫌な空気は分かるが、言葉がキツイわけではないので、表立って反論しにくい。

気持ちを通わせたことがなかったので、関係に亀裂が入ったら、どう修復したら良いか検討もつかなかった。

だから、反抗なんてとんでもなかった。嫌うなんて、恐ろしくてできなかった。

だけど、40になって、理想の母をあきらめることができた。
シンプルに趣味も思考も合わないんだと気づいた。

やっと母を嫌いだと思えた。

小さい頃の自分は、大人になった私が癒してあげればいい。
取り残された感情を迎えに行ってあげよう。

その役を母に、やってほしいとも思わない。
やられたくない。

私は、母に感謝している。
母なりに、育ててくれた。
それだけでいいことにしよう。

母との線引きをする。

未練がないといえば、嘘になるけれど、
今は、精一杯母を嫌ってみよう。



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花岡燕
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