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血のワシの羽ばたきを。
僕の父さんは地方で一人、アパート暮らしをしている。
そのアパートの大家さんは慈愛に満ちた人で、すき好んでか、それとも、国から何かの助成金があるのかハッキリはしないが、年金暮らしで身寄りのない人間と、身体障碍者や知的障碍者ばかりを受け入れている、そんなアパートに入居しているのだ、と話していた。
父さんと母さんが離婚したのは僕が小学生の時。僕には弟がいるのだけれど、僕らこどもが知らない内に話は進み、朝起きたら全てが決まっていて、父さんの姿も見えず、もう帰ってこないのだと知らされた。
それから僕たちも引越しが決まり、たまに父さんが僕らを探して会いに来てくれたけれど、母さんは、今後は二度と会うな、と口を酸っぱくして言った。父さんも、会った事は誰にも言うな、と僕に言った。まだ子供だった僕は、離婚と呼ばれるものがどういう事かを知らなかったし、好き同士がくっついて、好きではなくなったから別れる、ただそれだけの事だと思っていた。離婚という言葉に付随する物の中に、法的な効力があるとは知らなかったし思いもよらなかった頃の事だ。親同士がうまくいかなくても、僕は父さんと母さんの子に違いはなかったし、なぜ会ってはいけないのだろう、そんな思いばかりが弧を描いた。
会ってはいけない戒厳令が敷かれた時代、父さんは、街をあとにする、と伝言をくれた事があった。今のように便利な通信機器のない時代だ。僕だけは父さんが当時住んでいたアパートを知っていた。学校帰りの道を少しだけ遠回りしてその場所を通り、部屋の外にだされた植木鉢の下をのぞき込む日々だった。そこにお互いの伝言を挟み込んでやりとりをしていたからだ。そのお知らせを受け取ってからというもの、不安ばかりが胸をよぎった。何か大切な物を落とした時のような背筋の寒さと、孤独と絶望に苛まれた。
あの時代の離婚はまだ珍しく、転校先でも片親だという事が、気の毒だったり、可哀想と映った為に、僕はずっと新しい環境に馴染めずにいた。どこか見えない部分で線引きをされているような状況で、明るくしていれば空元気かもしれない、と周りから心配をされ、お腹が痛くてうつむいていると必要以上に声をかけられ、どんな顔をしていれば普通に過ごせるのか、を知らなかった。だから、新しい学校では殆ど教科書とにらめっこした状態で過ごした。その方が周りも安心したし、僕自身も好奇の目を向けられないで済む。
僕がそろそろ小6にあがろうとする頃、弟は小2の教室にいた。それぞれ急に担任に呼び出され、一体何があったのかと兄弟で顔を見合わせている時に奥から着替えの済んだ僕の担任が、車の鍵を片手に現れて
『お父さんから学校に電話があって、今から街を出られるそうだ。僕は話を聞いていて、君たちの事を誰よりも愛しているという事もよくわかったし、今から僕の一存で見送りに行く。言いたい事があるなら今言っておけよ。今日の事は、お母さんには内緒にな。』
そういって僕らを車に乗せた。小さな町の木製の駅舎はまだ雪がチラついていて、線路わきの土の色と苔の色、ふんわりと舞う雪の白に凍え、父さんは僕たちを抱きしめた。その様子を眺めていた先生の目は真っ赤で、美しかった僕らの日常は一気に音をたてて崩れ去った。願わない現実が押し寄せた時に人間は、言葉も出ず涙も出ず、何の感情もわかない、という事を僕は小学生にして知った。響いていたのは帰り道の車の中で嗚咽を止められなかった先生のしゃくりあげる音だけだった。
父さんが街からいなくなってからというもの、母さんは壊れていく一方で、家の中も、関係も、ひどい物だった。それらから受けとる悩みを吐き出せるはずの植木鉢も、僕にはなくなってしまった。年月が流れ、日常的に続く母さんからのあまりの仕打ちは実の親にまで及び、祖母は病気になり、いつの間にか現れた新しい父親が入り込んできた家の中で、祖父は皺の多い手で、それまで台所になんてたった事もなかったのに、食器洗いや洗濯を、まるでシンデレラのように押し付けられて死んでいった。祖母の死に目にも、祖父の死に目にも、僕は立ち会っていない。
色々があり過ぎて、心を失くした母さんには途中で愛想をつかしたし、家族を養ってやっているんだからいう事を聞け、と言っては荒ぶる、新しい父親役のその男が僕は大嫌いだったから、あの家には近づかなくなった。だから祖母も祖父も、知らぬ間にこの世から消えてしまっていた。ある夜に、こっそりと、もう少し大人になったらお前は逃げろ、と助言をくれたのはシンデレラ役の祖父だったし、もし会えなくなっても、僕が母さん以外の事は大切に考えていた、という事を祖父は知っていたはずだ。亡くなる時に
「お前らはあの子に頭を下げて謝れ!」
と母さんに怒鳴った事は、随分と時が立ってから、風の噂で聞いた。
僕が心を寄せるのは自分を置いてでも逃げろと助言をくれたその祖父と、家族の中では血の繋がった父さんだけだった。子供にはわからない"大人の関係"と呼ばれるものの中で、父さんはろくでもない男だったのかもしれないし、僕が聞かされていた話は父さんの立場が悪くなるものばかりだったけれど、僕らには父親としての愛情を見せた人だった。こどもは金で釣れる生き物ではない、と知っていてか知らずか、愛情の方を多めに残した人間だった。まぁ父さんは、端から金を持っていないが。そんな中で僕は大人になった。
数年前に遠く離れた父さんからリストラされたからお金を貸してほしいと連絡を受けた。僕は母さんたちと離れてから、父さんを探し出して連絡をとっていた。親が子供の面倒を見るのは当たり前だとはいえ、僕にはその当たり前が該当しなかったので、子供が親の面倒をみてもいいだろう、と思い、一緒に暮らさないかと提言した。どうなるかはわからないけれど、やってみる価値はあった。でも、一緒に暮らせたのはたったの二年間だった。
家族単位で暮らすと個人の自由は削られる。大人になった僕には、もう新しい自分の家族がいた。父さんは母さんとの離婚後、自由気ままに生きて来てしまったので、誰かと一緒に過ごす、という事がなかなかに難しかったようだった。酒の量が増え、言動も言葉も暴力的になった。何がそんなに嫌なのかを聞いてみた事がある。父さんは、誰かの世話になる事が嫌なのだ、と言った。男の意地だろう。人間はいつまでも若くないのだから、頼る事は悪い事ではない、と話したけれど、父さんとしてみると、何もしてやれなかった人間に自分の世話をされているという現実があまりに惨めで、自分を苛むのだ、と言っていた。自分の中だけにその感情を留められれば良かったが、生憎、そうではなかった。想いは溢れだし、漏れだし続け、最後には悪態をついて、周りから嫌われる方向を選んだ。
これ以上は僕が築いた家族にも迷惑がかかってしまう事となる、その為には離れるしかなかった。僕の気分としては、野良犬を引き受けて飼い犬として飼う事となったのだけれど、その犬が他人を噛んでしまい、仕方なく保健所へ、の気分にそっくりだった。本望ではないものの、仕方のない事もある。血をわけていて、今後の心配もある反面、それでも個人の意思は優先すべきであり、当の本人が出ていきたいというのを無理に引き留めるわけにもいかなかった。僕はうなだれながら、二回目のお別れを告げた。
距離を保ったその後は、いがみ合いの続いた日々が嘘のように穏やかだった。あの時は言動や行動が大人げなかった、と父さんは反省していたし、僕としてもこれで良かったのだと思うようになった。少ないながらもバイト先から頂けている給与から、毎年の孫の誕生日には、お祝いとしてお金を送ってくれるまでになった。若い頃、僕らとお別れするまでの間、会社員として働いていたのはほんの少し期間だったために、父さんに入る年金はとても少なく、それだけではとてもじゃないが生活が出来ないから、と、パチンコ屋の景品交換所でバイトをしているそうだ。月のバイト代は十万にも満たず、ふた月に一度、支給される年金とを足した、そんな中から孫たちのお祝いをしてくれる。気持ちは有り難いがそれでやっていけるのかと聞くと、自分が今、身を寄せているアパートは慈愛の満ちた大家が持つ、最後の拠り所のような場所だからと言った後に、少しは格好つけさせて、と言った。本来なら、してやる立場の親役を自分から途中降板してしまい、その後、世話になったのに、尻尾を巻くように逃げだした自分がいまも許せないでいるのだろう。昭和世代は格好つけが多い。僕はその事もよく知っている。
そんな折、世間にはわけのわからない感染症が蔓延し始めた。誰も彼も、何が悪い、どこが悪い、誰が悪いと罵り合い、それぞれがそれぞれに自分の立場だけから物を言い始める。終息の目途は立たず、国は補償するような、そうでもないような、そんな優柔不断さでいるので、いつまでも人は自粛心を抑えられず、だらだらと長引きそうな状態にある。
父さんの仕事先はパチンコ屋だし、生活に最重要かと聞かれたらそんな事もない娯楽施設だから、僕としては、何ヶ月分かの生活費を負担する必要もあるかもしれないな、と感じていた。多少の痛みが生じても、全ての動きを一旦止めて、これ以上の感染者が出ない事が、世の中を早く元に戻す最善策であるし、経済難も脱出できる道だろう。全てが止まっている間に、国が補償案を組んでくれればよい。動きが止まってしまうのならば、援助の必要性もあるだろう、と考えていた。
数日前、父さんの二戸隣の部屋で暮らす人が亡くなった。その人は急性心筋梗塞で部屋で倒れ、発見された時には既に冷たくなっていて、即日、火葬に回された。その人も身寄りがないに等しい人だった。仲の良かった父さんは、世の中はこうだし、バイトもなくなるかもしれないし、友達が死んでしまった、と悲しみに暮れていた。
程なくしてテレビのニュースで、死後に感染症が判明する事例が相次ぐ、と流れた。もしかしたらその人も、と思い、父さんに連絡を取るも、父さんは、あの人は心臓が原因だったから、と疑わなかった。死因がはっきりしない時、死亡報告書には直接的な原因を書く。多くの場合、それは心臓が止まったから、であり、急性の心筋梗塞と記されるのだ、という事を僕は言わなかった。あの精神状態である。これ以上不安にさせるわけにはいかない。
世間はとうとう、営業を自粛しない店や、娯楽の為にでかけてしまう人達を糾弾し始めた。それぞれに命も大切だけれど、明日食う飯に困ってしまう人たちもいて、それでも自粛している人にとっては、お前らはいう事も聞かない、政府のいう事を聞いて籠っている人間を殺す気か、と言わんばかりに詰め寄り始めた。個人的に攻撃するしかなくなってしまうのは、きちんとした、安心で安全に身をまもれる状態を打ち出せない政府にあるのに、自分は自粛して守っている事を、まるで偉くて立派な事のように盾にして、罵る。出来ない人間がいても、なんらおかしくはないのだ。出来ない人と出来る人がいるからこそ、この世や社会が成り立っていて、僕はそれを家族感で体感しているので、統制のとれる人間がもっとしっかりしてくれなければな、と感じている。自粛している事を偉いし立派だとも思わない。誰かに言われたからこうして我慢して身を守ってやっているのだ、とは感じた事はない。誰かに守られて当然だと思った事もなければ、そうされてもこなかったので、自分の判断でそうしていると考えている。させられている、と受け取る人にとっては、どうしてもそうなってしまうので、早く政府が動いて欲しいと思う。
あれだけ言われているのにパチンコ屋はまったくしめようとしない、客も客だ、遠出をしてまで打ちたいのか、といった意見を聞くと、尤もだ、と思う反面で、パチンコ屋は昔、身を隠すには最適の働き口であり、そこには女性でしか務まらない性風俗のように性別をわける物がないだけに、ある意味、行き場のない人たちを助けてくれた場所でもあったので、そうした立場に身を置いた事のない者が言える言葉は何もない、と思うのだし、依存症という名の病気もある。それら社会のはみ出し者とされる人間をまるっと抱え込んだのがパチンコ屋という存在なので、僕は何も言わない。僕にはその人たちを面倒みられるだけの甲斐性はないし、責任の持てない事を言葉にしようとは思わない。
父さんのバイト先も閉業する方向らしく、泣き言が増えた。何かがあったら助けるから、と宥めてみても、やっぱり世話にはなりたくないと言うし、あまり執く言い続けるのも本人にとっては気が休まらないであろうと思い、いざとなったら僕がなんとかするから、その時には言って欲しい、とだけ告げるに留まった。
先日は、今度は隣の住人が熱が高くて咳が止まらず、救急車で運ばれたという。壁が薄いから、とか、用事をしているから、で、殆ど声も聞かず、文章だけでやり取りしている僕らの会話は、状態を目で見ているのとは違い、熱が出ても、咳があっても、それらは言葉にはされず、僕はとても心配している。きっと我が身に何かがあったとしても、伝えてはこないだろう。数日前に長々とした謝罪文が入っていた。自分にはいつまでも後悔している事がある、と。
子どもの成長をみられなかった事、子どもが知らぬ間に大きくなって孫まで見せてくれたのに、自分がしてやれる事はたまの小遣いを渡せるだけで男としても親としても情けなく失格だと思っていた事、でもそれを口に出してしまうと認める事になり、ずっとわだかまりとして抱いていた事。
それら全ての返事として、僕は
「そう感じているのなら、生きて孫に顔のひとつも見せに来てよ」
とだけ、返した。僕は思う。お金よりも何よりもこの世でひとつ、誰かを助けるものがあるのだとしたら、それは思い出であり、誰かからの気持ちだ。感情以外のものは旅立つ先では用なしとなる。責める気にはならない。確かに父さんや母さんがもっとしっかりとした親であれば、僕は辛い思いをしてこなくて済んだかもしれない。ここまで生きてくるのは生易しいものではなかった。それでも僕を作った人たちだ。最後まで二人の名に恥じる事なく、生き抜いてやろうと思う。父さんはたまに、僕の優しさや頭の良さを嫌う。その事も書いてあった。
自分の子とは思えないほど、しっかりしていて頭もよくて、その優しさが親が与えてしまった環境からくるものだとしたら、随分苦労をさせたのだろうと理解が出来る、だから辛い部分もある、と。
そうかな、今となれば、僕は父さんの子でよかったと思ってるよ。それ以上は何もない。これからも僕たちの生きる道は辛く険しいだろうし、僕はこの程度では音を上げないよ?なぜなら、父さんの子だからね。
これは僕にある意地であり、血潮である。僕には僕だけの、誰にも劣らない血が流れている。
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