つぶやき10ー記憶と感情の剥離(3)
※震災に触れますのでご注意ください
前回までの記事は、一番下にリンクを貼っています
二つの記事を読み返して思ったことは、私は、その時の感情を全く覚えていないということです。事実はうろ覚えの部分はあるにしろ覚えているし、考えていたことも少しだけ覚えているけれど、怖かったとか悲しかったとか、そういった感情を全く覚えていません。なので、その時に感情があったのかすら怪しいと思っています。
祖母への電話を切ったあと、私はもう一度電話の列の最後尾に並び直しました。母の職場に掛けるためです。父の職場の電話番号は覚えていなかったのですが、母に掛けると連絡は行くだろうと思っていました。母に無事だということを伝えたあと事務所に戻り、お水や食料(缶詰)などを買い求めに行こうと提案して、二人で出掛けました。橋を渡ればコンビニもあるので、何かあるだろうと思ったからです。
埋立地につながる唯一の橋を渡っている途中で、橋が上下に50cmほど亀裂が入って分断されていることを知りました。これでは車は通れない、そう思いながら橋を渡り終え、右手見えるコンビニに入りました。
コンビニは停電していたように思います。その中には長蛇の列ができており、私達はお水と缶詰(他に何を買ったか覚えていません)を手に持ち列に並びました。このとき、お金を払ったかどうかの記憶もありません。
とにかくお水は手に入れたしと思い、避難場所がどこなのか探そうと歩き回りました。その途中に見たのが倒壊した阪神高速でした。そして、歩き続けていると倒壊した家から遺体を出している人、救急車は間に合わないからと声高に叫んでいる人など、たくさんの人達を見ました。
どこをどう歩いたのか覚えていませんが、途中でお弁当を配っている軽バンの女性がいたので近づきました。その女性に話を聞くと、朝のお弁当の配達に回っていたけれど、こんな状況だからお弁当を無料で配っています、とのこと。私達も有り難くお弁当を頂きました。
高架に寄り掛かるように倒れている家を横目に見ながら、避難所が分からなかった私達は一旦会社に戻りました。頂いたお弁当を食べたかったけれど、友達は「自分だけ食べることはできない」と言ったので、事務所を出て二人だけでお弁当を食べました。何を話しながら食べたのか、何を思いながら食べたのか、全く思い出せません
事務所に戻ると、友達の職場の同僚は長田区にお住まいで、家の下敷きになって骨盤骨折しているとの連絡が入っていました。そこから、事務所の電話を借りることが出来たので、大阪に住む姉に電話を掛けました。電話も一度でつながることはほとんどなく、何度も何度も掛け直してつながる状況でしたが、姉に近況報告をすることで、両親との間に入ってもらうことになりました。
……つづく
阪神高速の倒壊は、実際目で見たはずなのに、私はずっと“もしかしたら、ネットの画像が刷り込まれているだけなのかも”と思っていました。実は見ていないのに、見た気になっているのではないかと。それがなぜ、やはり実際に見ていたのかと思ったかといえば、つい先日、阪神高速の倒壊場所について、私の被災した地区の詳細な場所についてを、あれから初めて調べて知ったからです。