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この世界をつくってゆくもの

令和六年 元旦
昨年は、「逆のものさし人参畑塾」で皆様と対話させていただき、本当に有難うございました。本年もどうぞよろしくお願い致します。

今年は、こうしていきたい。年末に感じたことと、年頭に思うことを、ここに記させていただきます。

昨年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の最終回、大阪夏の陣で、徳川家康に敗れ、豊臣秀頼と茶々(淀殿)が自害し、落城するシーンで、茶々の最後の台詞。

「日の本が、つまらぬ国になるであろう。
正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ妬みあざける、やさしくて卑屈なか弱き者たちの国に。
己の夢や野心のために、なりふりかまわず、力のみを信じて戦い抜く。
かつて、この国の荒れ野を駆け巡った者たちのはもう現れぬ」

NHK大河ドラマは、製作者・脚本家による史実に即しながらもドラマ・物語であるから、歴史的研究が進み大枠の史実に近しいとはいえ、真実そのものとは言えない。

400年前の人の心と、現代人が描くその時代の人の心とは、“不易流行”で、いつの時代も変わらない“不易”な人の心の部分もあるが、時代背景や社会状況によって変わる“流行”の人の心の部分もある。

この大河ドラマで描かれているストーリーは、製作者・脚本家が、こういう見方考え方をしたのであろうと、多角的な視点を大いにいただいたことを、熱く感動しました。

このドラマを通して、製作者・脚本家がテーマとして伝えたかったことは、「自分の命よりも大事なもの、そのために命を使う」、その武士道の心だと私は受け止めました。

(ただし、大義・忠義の武士道という概念は江戸時代がもっと進んでからのもの。
戦国時代はご恩と奉公の封建社会で、手柄をたて所領をいただき名を高めることが第一で、大義とか忠義とかは人によって様々であるから、力による支配が世の中を動かしていた時代。
関ヶ原の戦いの時は、東軍の家康も西軍の三成も、全国の諸大名に密書を送り懐柔を計り、謀略や裏切りを制することが重要な戦略。また、家と家とが婚姻関係で結束を強めるのも重要な戦略)

現代に、テーマ「武士道」の、「自分の命よりも大事なもの、そのために命を使う」、それを投げ込んだのが「どうする家康」だと思います。

ドラマの中では、

茶々は、父浅井長政と母お市の方が秀吉によって死に追いやられたため、何者にも屈しない絶大な権力を息子 秀頼に夢み託した…野心。

三成は、秀吉恩顧の家臣、秀頼を立て、大義や忠義を柱にした豊臣政権を夢見た…野心。

家康は旗印の、厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)の、苦しみ汚れたこの世を浄土に変える、戦なき世を夢見た…野心。

それぞれが、それぞれの正義のために戦い抜いた。

その時代が終わりを告げることを嘆く茶々の言葉。

「己の夢や野心のために、なりふりかまわず、力のみを信じて戦い抜く。
かつて、この国の荒れ野を駆け巡った者たちのはもう現れぬ」

「日の本が、つまらぬ国になるであろう。
正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ妬みあざける、やさしくて卑屈なか弱き者たちの国に」

そして、さらに最後のシーンでは、家康の若き日の「鯉の話」が描かれている。

絶大な権力者信長から贈られた価値の高い鯉が池からいなくなった。家臣の誰かが食べた!? 信長の制裁に怯え、家臣たちを追及する家康は、次第に信長という権威よりも大事な家臣たちの存在に気がついていく。

そして、またシーンが変わって、

戦国時代の最中、妻 瀬名と息子 信康が夢見て奔走した、国をまたいで人と経済が自由に往き来して、区切って争わない日の本の建設。

瀬名と家康が静かに語り合う姿の向こうに、現代日本の姿が、東京タワーとビル群が立ち並ぶ景色が、蜃気楼のように浮かぶ。

以上の最終回のシーンにも、過去の回にも、現代日本人へ向けられたメッセージが随所に散りばめられていた。

「日の本が、つまらぬ国になるであろう。
正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ妬みあざける、やさしくて卑屈なか弱き者たちの国に。
己の夢や野心のために、なりふりかまわず、力のみを信じて戦い抜く、
かつて、この国の荒れ野を駆け巡った者たちのはもう現れぬ」

現代日本人の心に深く響く…

“自分の命よりも大事なもの、そのために命を使っていますか?”

その侍精神を、司馬遼太郎は“電流”と呼び、現代人の心にも“微弱な電流”が流れていると、侍精神の“電流”が迸る数々の作品を遺しました。

そして、もう一つ「どうする家康」で私が強く心動かされたのは、それぞれの役者さんの迫真の演技です。
己の信じるところへ、その頂きへ、なりふりかまわず駆け上がっていく姿。
その精神の高みを目指す、その姿こそが武士道だと、思いました。

そして、ドラマ・物語であって真実とは違うかもしれないが、製作者・脚本家が描こうとした世界から発せられたメッセージは、多くの人の心に届きました。

多くの人が、何かを感じたでしょう、何かを考えたでしょう。

真実かどうかではなく、本当かそうでないかではなく、物事の側面の一つを切り取ったものであっても、

想像したことを表現し、思うことを言葉という概念で発信することが、

この世界を方向づけ動かしていくことに、他ならないということ。

そのように、私にも、この世界に伝えられるものがあるはず、と感じました。

“自分の命よりも大事なもの、そのために命を使う” それを体現するものを土台にした言葉で発信していきたい。

お読みいただき有難うございました。



「終極からの摂理」 和田友良著
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=178601312

“自分の命よりも大事なもの、そのために命を使う” その力になる本だと思います。


「逆のものさし人参畑塾」とは、
時代が変わっても変わらない人間の生き方を、歴史・先人から学ぶ“縦糸の読書”を通して、本質を学び、今に活かし、後世へ伝えていく勉強会です。

明治初め福岡の女医 高場 乱(たかば おさむ)が、薬用人参畑の中で始めた塾「興志塾」(通称人参畑塾)で、西郷隆盛の精神を継ぐ頭山満ら玄洋社を育てました。

私利私欲に偏らず仁を尽す「殺身成仁」、何かに誰かにぶら下がらない「天下一人を以て興れ」、その精神を伝えていきたい。

「逆のものさし人参畑塾」ブログ
https://note.com/tsubaki3103/m/mdb300ef0c5dc

「逆のものさし人参畑塾」のもとには、「逆のものさし道」での学びがあります。

「逆のものさし道」とは、
縦糸の読書を師とし、実践と対話を通して、世間の常識や大勢の空気に流されない確かなモノサシを身につけるための勉強会。

読書・実践・対話の中で、“本当のことは何か”に目を向け、またその“本当”から自分自身を問う、それを繰り返して進む「道」です。

「逆のものさし人参畑塾」は、その「逆のものさし道」での学びを、方法や知識としてではなく、

“本当”のモノサシを身につけ、物事を見る目が変わり、深い静けさと湧き上がる躍動を湛えた心を養うことを目指しています。

「逆のものさし道」
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=154570292

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