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禅と哲学のあいだ

山岡鉄舟の弟子の大森曹玄、
そのまた弟子である形山睡峰師、

そういう直系の形山先生の講話を、読書のすすめでお聴きしました。



形山先生は、
現在、茨城県かすみがうら市の無相庵で座禅を指導。また、各所の禅会に赴き講話されています。檀家を持たずお葬式を行わず、修行に明け暮れ、自給自足的な生活をされています。

二ヶ月に一回の読書のすすめにおいての講話、今回が12回目。

西洋の二元的思考を外して、真の実在とは何か、を東洋の思想で哲学的に表した西田幾多郎の「善の研究」を読み解いていただいています。

禅は、座禅や日常の修行によって不立文字の悟りを体感するものですが、「善の研究」は、真の実在を根本的に考え抜いた西田の哲学が言葉によって表されています。

形山先生は、禅の立場と、西田の哲学的思考とを重ね合わせて、真実在とは何か?ということを、

身近な例え話で、角度を様々に変えて、言葉で表せないものに言及してくださいました。

山岡鉄舟直系の禅の修行や学問を通して、自ら探究してつかみとった、

「すべての物が対立することで成立しているというなら、その根底には必ず、その対立を統一しようとする、ある働くものが潜んでいる」という真実在の根本的方式を、

私たちの中にも流れ通じているというその真理を、

惜しみなく話してくださいました。


ご著書「禅と哲学のあいだ」「禅に問う」「非ずのこころ」を拝読して、

第一回目の講演会を含め、12回の講話をお聴きして、今、

深淵な森に分け入り、陽が射し込んだところに、こんこんと湧き出ている泉を見つけたような、

真理の光に照らされて、心の曇りが霧散したような、そんな感じがしています。



講話の後、私一人こっそり形山先生にお聞きしてしまいました。

白隠禅師の「隻手の音声」という公案について。

両手を合わせ叩くとパチンと音がしますが、隻手(せきしゅ、片手)だと、どういう音がしますか?というもの。今日の講話の内容に通じることで、お聞きして、より今日の講話がよく理会できました。

私の「逆のものさし人参畑塾」の中でも、こういうことをお話していきたいと思います。

「逆のものさし人参畑塾」
https://note.com/tsubaki3103/

次回の形山先生の講話は、
12月11日(土)です。


また、
読書のすすめ清水店主から、形山先生の講話の後にお聞きして驚いたことがありました。

それは、形山先生が佼成出版社から出された「禅と哲学の間で」のご著書によって縁が結ばれて講話をしてくださっているとばかり私は思っていましたが、

清水店主が“縦糸の読書”を通して探究し続けているこの世界の本来的な本質的な真理を、
山岡鉄舟、大森曹玄、形山睡峰師と脈々と流れる精神の中にそれを観て、形山先生に講話をお願いしている、ということ、

形山先生を通して、その向こうの見えないところを観て、大森曹玄や山岡鉄舟の精神までをも観ていること、“二重の見”という、今「逆のものさし講」で学んでいることを、あらためて学ばさせていただきました。

こういう目の前には観えないことが、パッとその向こうが観えるようになりたい!

「逆のものさし講」
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=154570292


読書のすすめにお問い合わせください↑
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