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鐵舟居士の真面目
「鐵舟居士の真面目」
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山岡鐵舟(やまおかてっしゅう)居士(こじ、出家せず在家のまま修行する仏道者)
剣・禅・書の達人。
1836~1888年。
9歳にして撃剣の道を志し、13歳の頃より禅の道に入り、44歳に無刀流を開く。
日本の歴史にその名を刻む、
幕末明治維新、江戸城無血開城を実現した官軍参謀 西郷隆盛と幕臣山岡鐵舟の談判。
徳川譜代の家士数万人の命が救われ、江戸百万の民が戦火に焼かれるを免れた。
西郷隆盛が、“命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、仕末に困る人” そう、評した山岡鐵舟。
その時の談判の様子を鐵舟居士が筆記したものがあり、
そこに鐵舟居士の真面目が浮かび上がる。
また、鐵舟居士の書き残したものはほとんどなく、山岡家に残る資料や遺品、実際に居士とふれられた方々の話から、
幕末明治維新の際に国事に殉じた人々の霊を弔うために鐵舟居士が建立された全生庵の、
後を継ぐ和尚方が鐵舟居士の言行と実像を伝えているこの書籍は、
私の心に鐵舟居士の至誠の姿をありありと映した。
そして、
両刃交鋒不須避
好手還同火裏蓮
宛然自有衝天気
鐵舟居士が取り組んだ碧眼録のこの公案が、
私の心に投げ入れられた。
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