OTT
選ばれたのはOTTでした。まだジャケ写が無いのでこれを初めて回収した思い出の地、渋谷のヴィレヴァンを貼っておきます。
というわけで今回はOTTの解釈をしていきます。
最近のライブではイントロから泣いてしまうこの曲。歌詞が本当に良くて。。。。。
“もう駄目だと言ったって
納得しない本能が
僕を無理やり駆り立てる“
これは夢とか理想に対しての言葉で、叶えるのは容易ではない壁にぶつかったときに出る「もう駄目」という弱音。けれども諦めきれなくて、諦めたくない一心=「納得しない本能」が夢や理想を叶えるための原動力となって動く姿を現している。また、このパートを歌っているのがairaさんなのが解釈一致すぎる。まさに彼女の生きる姿なのだ。
“そう殻に篭ったって
欲も自我もなくなって
持て余すだけの人生なんてごめんだ”
この文的に一度殻に篭る(=現実に打ちのめされて自分だけの遮断された世界に入る)経験があったのではないだろうか。
その殻から出た時に、殻に入っていた時の止まった時間を後悔しているからこそ、挫折しても下を向かず前を見続けるべきというメッセージを感じた。
“誰1人 見向きもしない
ゼロから築いた場所”
始めたての頃は誰も見てくれなかった。ビラを配ったり、ステージに立っても人が来ないといったゼロだった始まりのころからを思い出している様子で、ゼロから一つ一つ積み上げてきたからこそ今この場所があることを実感している。そんな想いから今見てくれている人たちへの感謝すら感じる。
“例えばこの世に影を落としても
僕を見つけてくれた君のために
一度捨てかけた身体を抱いて
全身全霊で歌うから"
「例えばこの世に影を落としても」では理想とか夢を叶える過程での壁にぶつかったときや、現実に打ちのめされたときや後悔するときのことを指す。
個人的に「この世に影を落としても」という表現がとても好きだ。
「僕を見つけてくれた君のために」これは歌い続ける明確な理由を表明している。決意表明といっても過言ではないだろう。
「一度捨てかけた体を抱いて」これは、影を落とした時にやられた自分自身のことを捨てかけたことを指している。
要は、完璧でない自分や欠点や短所のある自分も自分だと自己容認する時だ。そんな自己容認を経て強くなっていく自分があるのだろう。つまり、自分を愛すこと。
White nightで「きっと進めるはずと信じてみたいの こんな僕もこんな僕がいいんだと」と自己容認をしたいと嘆いていた。これが回収された瞬間でもあって、自己容認できたからこそ前へ進めると信じれるのだ。
「全身全霊で歌うから」君のためにすべてを捧げて歌い続けるからという意味だ。自己容認をしたからこそ全力を出せるフルパワーの状態になった。だから、全身全霊というワードが初めて使えるようになったのだ。
“この生き様こそ愛だ”
この自他ともに愛する姿、夢を追いかけ続ける姿、歌い続ける理由。なぜそれを続けられるのかそれは愛があるから。
もっとかみ砕いていくと、すべての原動力は好きという想いに直結していて、その気持ちがあるから頑張れるし、また立ち上がれるのだ。その”好き”という言葉の意味合いよりも強い”愛”という言葉を使っているので、好きよりも圧倒的に強い想いなのだ。
「僕を無理やり駆り立てる」の駆り立てるものの正体なのだ。本能=本心であって当たり前のように追いかけ続ける。納得するまで本心からの愛を追いかけ続ける人生なのだ。そこにその人だけの輝きが生まれ、ステージできらめくのだ。この全人類に通じる歌詞を早く世に出したい。この文だけであまりにも感じられるものが多すぎる。
“そしてきっときっときっと鮮明な
ずっとずっとずっと鮮烈な
未来へ”
「鮮明な」これは夢や希望への解像度が上がること。よりそれが確立していくことを望んで愛を追いかけるのだ。あとは、持つ輝きがより増すことを指しているだろう。きっとという言葉は未来への断定である。
「なりそうかな?」じゃなくて「絶対そうする」という強い言葉なのだ。
そして「鮮烈な」ではっきりした確立された未来を追い続けるのだ。最高を更新し続ける、現状に満足しない、ゴールラインなんてないという想いを感じる事ができる。本心で追いかけているからこそこの言葉が出てくるのだ。
White nightの「最低も最高も全部ひっくるめて追い越すんだ」って歌詞を追い越した先に見えるのが鮮烈な未来という答えを表しているのだ。
“まだやれる延長戦
考えんな終わりなんか
掴みたいものがあるなら”
これは前節の補足のようなものと捉えていて、終わりなんて無いし、掴みたいものは日々更新されていくのだ。もう限界と思った時に、まだやれると”愛”が体を突き動かす。
あるなら動くのだ。無ければ動く意味が無くなる=アイドルとしての終わりである。アイドルは生き物のようなもので、生きる意味が無くなったら輝きも何もなくなってしまうのだ。
限られた時間の中で輝き、美しく散っていく。その本質をよく捉えているなと感じた。
“もうかつての戦友も
今じゃどこにもいないんだ
全てを背負って荊棘掻き分けろ"
この数の多い界隈において同じコンセプトで歌っているグループはゼロではないし、対バンを組んだ人はたくさんいる。けれど、消えてしまっていることばかりで。
だからこそ生き残っている自分らは、その人らの想いも背負って茨の道の出口を求め、輝きを求め進むのだ。
君に対して届けばいい。ステージから見た全員に刺さらなくてもいい。そんな、難しいコンセプトを持ちながら進むのだ。だからこその他のグループにない輝きがある。このパートをアイドル歴が一番長いるゐさんが歌っているからこそ、その世界というものを誰よりも知っているからこそ歌えるパートであって、泣きポイントなのだ。
“ただ一人 信じてくれた
君と見たい夢がある”
この数が多い界隈の中で、pipiaを好きと言ったり、ライブに来てくれるファンがいて、もちろんライブに来る理由、好きな理由は違う。同じ人なんていないからこその「ただ一人」という意味で、そんな想いはpipiaを信じているから生まれるものである。
夢の形は違うかもしれない。でも気持ちは一緒であることは確かということを分かったからこその「君と見たい夢がある」という詩なのだ。
”MONOPRISM”の「今は同じ気持ちなんだって言いたい」(歌詞カードないので誤植してたらごめんなさい。)というものを達成したことが分かるのだ。あの時からの成長というものが見えて。
皆と見たいじゃなくて、”君”と見たいのだ。1人1人夢の形が違うからこそ、1人1人に寄り添いたいのだ。どれだけファンを大事にしているのかよくわかる。
“例えば世界に見下されても
『傷は戦った者にしかつかない』
一度消えかけた心を燃やし
全身全霊で守るから”
『傷は戦った者にしかつかない』この歌詞が本当に本当に大好きで。
戦った者だけにつく戦歴の証。だからこそ守れるのだ。
世界という大きな大きなものに見下される=否定される。否定されても君が肯定してくれるから、心を燃やして戦い続ける。そして君が誰かに否定されても肯定するからという「全身全霊で守るから」というのが本当に良くって。。。肯定が持つ力を最大限まで引き出している。
何百人に否定されたとしても、誰か肯定してくれる人が1人でもいれば、頑張って生きていける。生きる理由、頑張る理由になるのだ。これこそ肯定の魔法なのだ。
個人的にこの歌詞が自分の辛かった過去を肯定してくれていてとても救われる。傷は戦った者にしかつかないって当たり前なのかもしれないけど傷を負った人にしかわからない何かが存在しているのだ。傷を負ってどん底へ落ちてそっから這いつくばりながら再起してきた人生を肯定してくれる。着いた傷は戦った証ってことになってそんな経験も今の糧となって生きているんだって実感できる。その過去に対しての後悔ってのは拭っても拭いきれないものだけれども、そういう言葉で少しずつその過去を肯定できるのかなと感じる。だからこのパート本当に大好きです
“この生き様こそ僕だ
だからもっともっともっと見ていて
ぎゅっとぎゅっとぎゅっと離れない”
届ける側受け取る側、同じ生き様なのだ。だからこそ僕という自分を表す言葉を使えるのだ。同じ気持ちだからこそもっと見ていてほしい。ずっと寄り添う気持ちの強さが「ぎゅっとぎゅっとぎゅっと離れない」という詩である。 pipiaのコンセプトを最大限表しているパートといっても過言ではない。
“何も何も何も怖くない
つないだ手が熱くなる
溶けそうなほど”
君がいるから何も怖くないのだ。「手が熱くなる」これは想いが大きく(熱く)なっていくことを表していて、溶けそうなほどにまでなっている。これが後に愛になっていく過程なのだ。
MONOPRISMでは、手の熱さもいつか忘れてしまうと歌っていた。それが溶けそうなほどにまで鮮烈なものに変わっていき、忘れることのないものへ変化したのだ。
また、溶けるという表現から冬だったり、寒い季節という推測ができる。
だからこそ、MONOPRISMの「遠い冬に残すメロディ」の正体がOTTだろう。今は同じ気持ちだって言えて、溶けるほどの熱さがあるから忘れる訳無いのだ。夢に見てたステージというものが明確になって、残せる状態になったのだ。
“ただ一人 信じてくれた
君に見せたい景色がある”
「君に見せたい景色がある」今のpipiaでいうと武道館に立つ姿、オリコン一位を取る姿だっとりと今ある夢や目標の終着点のことを指している。掴みたいものは更新され続けられるから、それが叶えばまた次の夢に向かって走り続けるだろう。人生は挑戦で夢を見つけて走っていくのだ。その原動力に君が必要不可欠だから、共に歩んでほしいという願いも感じる。
Wonderlandの「誰1人置いていかない 身を重ねて委ねて さあ」というどこへ連れていくのか明確になった瞬間でもある。君に見せたい景色があるから身を委ねてほしいのだ。
“何もかも 嫌になるとき
思い浮かぶ顔がある“
「何もかも 嫌になるたび」人生において夢や目標を追いかけるときにぶつかる現実と理想の壁、そんなときに人生が嫌になっている。そんな状態である。でもその時に応援してくれる人や大切な人が思い浮かぶ。だからこそ動きだす。壁を破る。その原動力なのだ。
“例えばこの世に影を落としても
僕を見つけてくれた君のために
一度捨てかけた身体を抱いて
全身全霊で歌うから"
「この世に影を落とす」これ言い換えればあの世に行ったとしてもと捉えることができるだろう。死後の世界。「=身体を捨てる」ということになる。
上記記事を見るとわかりやすいと思うのだが、人間何か失敗したときや、嫌なことがあった時に頭の中で防衛機能が働く、逃避、否認、投映、抑圧といった負の記憶を見ないようにする、記憶から消す、自分じゃないと他人に置き換える、空想世界に逃げるといったものが行われていることが多いのではないだろうか。そうなると、自分じゃない自分になると言えるだろう。そんな中で君と出会って成長していったのだ。成熟した防衛へ変わっていった。=「体を抱いて」というまるで体が二つあるかの表現になり、抱いたときにはじめて見ることができていなかった自分との一致になるのだ。一致したからこそ全身全霊の意味が強くなるのだ。
“この生き様こそ愛だ
そしてきっときっときっと鮮明な
ずっとずっとずっと鮮烈な
未来へ”
生きていくうえで愛を貫く決意表明。愛を追いかけ続けるのだ。
未来に絶望を感じるんじゃなくて未来に答えがあることがわかったからこそ、未来に対しての期待を抱いて、本気で駆け抜けていくのだ。
「この世界は僕らの理想郷 今つないだ未来に君がいる」Utopiaの詩の補強要素もあって、理想郷を本物にするため、未来をつなぐために歌い続けるのだ。
OTTはリリイベで毎回トリで最後に歌われている。メジャーリリースという新しい挑戦にをするから、最もふさわしい始まりのこの曲で〆ているのだ。変化した新しい自分が夢を追いかけていく、そんな始まりの曲。これをライブでしょっぱなに披露しても違和感なく、トリに持ってきても違和感がないのだ。本当に素晴らしい楽曲だ。
また現存楽曲との繋がりもたくさんあり、その当時から変化した姿ってのが顕著になっている楽曲と言えるだろう。
Spring paranoiaとOTTは始まりの曲として被っている。ならば
Spring paranoiaはpipia第1章スタートとしての始まりとなって。
OTTはpipia第2章の幕開けとなるだろう。
まだまだこれからたくさん大きくなっていくのだ。
今回もここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
とりあえず作詞者様と作曲者様神です。本当に神です。そしてリリイベで無線で投げても良い曲じゃないと思ってます。そんぐらい強すぎる曲なのです。
次回は何を書こうかなぁ。。。
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