グランプリのラクガキ風味を楽しむ/FACE展2021
SOMPO美術館(東京・新宿)で開かれている『FACE展2021』(3月7日まで)へ。1193名からの出品があり、入選は83点とのこと。
グランプリ作品
魏嘉《sweet potato》(2020年、130.3✗162cm、パステル、スプレー、エアブラシ、カンヴァス)展示風景
ラクガキ風味の表現に大いなる親近感を覚えるのは、筆者であるたわくしがラクガキスト(日々ラクガキに勤しんでいる人間なのです)を名乗っているからばかりではないように思う。やはり、表現の純粋性、さらにはそうしたものを抽出した理知性のおもしろさが画面ににじみ出ているように見えるのだ。桃、パイナップル、バスケットに入ったバケットらしきパン、こうした食料がある家で暮らす人々の姿がなんとなく確認でき、タイトルの《sweet potato》はひょっとしたらバスケットの手前にあるものかもしれないがよくわからない、という不思議さ。右手前に点が連なっているように見えるのは、漢字による何らかの文章。あるいは画家が日常の中で気になっているものをスケッチのように純朴に描き記した結果なのかもしれない。何よりも、大画面の中でのふんわりとした表現が魅力的だ。
優秀賞や審査員賞等については、会場のパネルや図録で各審査員の評を参照していただければと思うので、ここからは、入選作品の中からたわくしの目に止まったものをいくつか。
日頃から日本画の現代的な表現の可能性について気になっていた中で、興味を引かれたのがこの作品。
片野莉乃《家族鉢》(2020年、194✗130.3cm、岩絵の具、箔、麻紙)展示風景
たわくしは岩絵の具のちょっときらきらした鉱物質が結構好きで、近代の日本画にはかなり馴染んできた。一方、明治中期以降展開した日本画については、長らく閉塞的な状況であることが取り沙汰されてきた。だからこそ、日本画の岩絵の具を使ったいい表現の登場に期待してきたのだ。片野さんのこの作品は、岩絵の具の質感をよく生かしているうえ、日常の実景と記憶の中を行き来しているうような画面構成に魅力を感じた。ごく部分的に銀箔を使っているのも、何か日本画を記憶として象徴させているようでおもしろい。質感については、やはり実作品のそばによって愛でるように見るのが一番の楽しみ方かと思う。
現代的シュルレアリスムとでも言えそうなのが、次の作品。理知的で脳にいい刺激になる。
田中良太《素粒子》(2020年、194✗162cm、アクリル、カンヴァス)展示風景
タイトルから思わせぶりである。素粒子は立方体なのかと言われればきっとそんなことはないのだろうが、すべての物質の根源を表現したということなのではないかと邪推している。球体だとありきたり。立方体というのはけっこう気が利いている。なぜ立方体なのか? と考えさせてくれるのが妙に気持ちいいのである。そしてこの「素粒子」はなぜか地球上の平地に厳然と存在し、周囲にはこれまた不思議な彫刻群が置かれている。この彫刻群も、台座上にあるうえ裸体なので彫刻に見えるが、実は人間の意思を持っているようにも感じられる。
田中良太《素粒子》部分拡大図
彫刻のふりをした者どもが、素粒子についての思考を深めているようにも見える。素粒子などの宇宙生成の謎について思考を深めるのは、人間の性向の一つである。彫刻は本来思考能力を持たない無機物である。彫刻が意思を持つという、通常はありえないことを、作品の前に立つだけで想像させてくれるのはとても楽しい。
茫洋とした感じが印象的だったのが次の作品だ。
角谷紀章《いつか見た海》(2020年、130.3✗194cm、岩絵の具、綿布)展示風景
とにかくよく見ないと何が描かれているのかがわからない。そこがいい。よく見ると中央の人物のほかにも、たくさんの人の姿や海岸らしき場所が描かれていることが、何となくわかる。これも日本画の表現の可能性を追究しえた作品の一つ。油絵の具やアクリル絵の具にはできないであろう種類の茫洋感が出ており、それが魅力となっているように思う。履歴を見ると創画展で入賞履歴がある作家であることがわかった。たわくしは、旧来の団体展はもはや不要と考えている人間だが、こうした作品を評価できるのなら存在意義はあるようにも思った。
杉山大介《常なるものは何もない》(2020年、162✗194cm、油彩、カンヴァス)展示風景
これはおそらくいわゆる抽象画ではない。これまで世の中に存在しなかった何かの表面をカンヴァスの上で表したものといった印象だ。
杉山大介《常なるものは何もない》部分拡大図
質感そのものを楽しむという点で、たわくしの狭小な視点では日本画の岩絵の具の作品に通じる。しかし、人間は、岩のごつごつや砂のざらざら、あるいは陶器のつるつるを楽しむ心を持っているのではないか。この作品は、そんな楽しみを与えてくれる(触れるわけではないが、目で触感を楽しむことは十分可能だろう)。