南薫造を知ってますか?
東京ステーションギャラリーで「南薫造」展が始まった。不勉強がばれるが、南薫造(1883〜1950年)の作品を見るのは初めてだ。同ギャラリーの冨田章館長によると、画家の郷里の広島県以外で回顧展を開くのは初めてという。埋もれていた理由は、アカデミズムの画家だったから。アヴァンギャルドな画家のほうが、光が当たりやすいというわけだ。一方でアカデミズムがあるからこそ、アヴァンギャルドがある。つまり両方を見ることで、美術史は成り立つとも。では、アカデミズムには味わいはあるのか。味わいを見つける小旅行に出てみることにする。
南は東京美術学校で岡田三郎助など白馬会系の画家に就き、後に帝室技芸員を務めるなど、画壇の中心を歩んだ。当時の多くの画家がフランスに留学したのに対し、南はイギリスを留学先に選んだ。冨田館長によると「明治30年代に水彩画ブームがあり、本場で学びたいと思ったからではないか」という。
水彩画の展示風景(《木立》=左=と《水辺》)
イギリスでは、美術館に通って模写をするなどの勉強に勤しんだほか、陶芸家になる前の富本憲吉と共同生活をしていたという。
アカデミズムの画家としての本領を発揮したのは、次の写真の中央やや右にある大きな作品だろう。第6回文展に出品した《六月の日》(1912年)という油彩画だ。イギリスに留学していたにもかかわらず、印象派の技法なども取り入れている。前衛画家にはならなかったが、貪欲ではあったようだ。さらに冨田館長は、「技術が確かである」ことを強調していた。水彩画を描く場合は、技術的に難易度が高い透明水彩絵の具を使っていたそうだ。
味わいという点では、この展覧会では、南の絵画と東京ステーションギャラリーの煉瓦の壁が妙にしっくり来ていた。東京駅は1914年の竣工。《六月の日》と同時代の建築である。南の絵画が時代を表していたとも言えるのかもしれない。
油彩画では、子どもを描いた絵が結構多い。南の人柄が偲ばれる。(写真は《童子》=左=と《葡萄棚》)
《三ツ口港の景》というタイトルがついているがどこの港なのだろう。倉敷市立美術館の所蔵品。地図では探せなかったが、瀬戸内の風景をほうふつとさせる。土地の入り組み方がとにかく美しい。
《夏》(1919年)は、「朽ちていく老木へのレクイエム」(冨田館長)という。豊かに生い茂っている緑は、老木の後ろの別の樹木のもの。眺めるほどに不思議な絵である。こうした作品を見ると、単純なアカデミズムの画家ではなかったことがわかる。
高村光太郎、白滝幾之助、富本憲吉などの知人から南宛に来た葉書の展示。随所に絵が入る芸術家同士の書簡のやり取りは、見ていて楽しい。
そのほか、「自画自刻自摺」という、大正時代に始まる創作版画の手法の先駆者でもあったらしい(富本憲吉との共同作業とのこと)。前衛ではなかったが、先進的な側面はあったようだ。
※掲載した写真は、プレス内覧会で主催者の許可を得て撮影したものです。
[巡回予定]
◎広島:2021年4月20日〜6月13日、広島県立美術館
◎福岡:2021年7月3日〜8月29日、久留米市美術館