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梅干しとレモネードの狭間で

「あの、ね、ね、ね、あの、あの、ライオン」
ここまで一生懸命搾り出そうとしていた言葉がライオンだったことが判明し、時計が視界に入らないよう姿勢を傾けて、ゆったり三男に頷く。
「あ、あ、あ、ガオーって、するのとき、じつはこわくないんだよ、ぜんぜん」
こんな喋り方なのに、何ということか、ライオンの雄叫びなど怖くないっていう強がりな発言をしたかったの? 
ついつい目尻を細めるが、驚いたような表情にすぐに作り替えて、「そうなのー?すごーい!」と言えるのが、十年戦士の母親だ。
4歳の三男には吃音がある。幸いにも日本人の言語聴覚士が見つかり指導してもらえたので、良くはなってきているものの、この話し方をゆっくり聞いてあげるのが難しい時もある。
2階で6歳の次男が泣いている。いつもと同じ時間に起きられなかった自分を責めているらしい。学校には十分間に合う時間なのだが、場面緘黙症と診断されている次男は完璧主義で、自分に厳しい。
三男の声に耳を傾けつつ、次男を泣き止ませに行く。
「あ、今日はパンにチョコ塗っちゃおうかなあ」
甘党な次男を抱き上げて「そうそう、いちごもあるんだった」と囁きながら、気分はお得意様を何人も抱える夜の女だ。
今日はそこまでこじれていなかったのか、この程度で今日の次男は素直に泣き止んで、綺麗に靴下を履き始める。
「お母さん、ごめん、ここにサインもらえる? フィールドトリップのペーパー」と長男。
「わかった! あれ、もうご飯食べたの?」
「うん。今日は塾の後野球だから水筒二つ用意しておくね」
しっかりしすぎてしまった長男がテキパキと自分の用意を済ませていく。ああーそんなにしっかりさせてごめん。まだ10歳なのに。と、いつも心の中では思っているのに、多分伝えられていない。トースターがチン!と音を鳴らし、湯が沸き、私はバタバタと朝食を準備する。

吃音も、場面緘黙症も、しっかりしすぎたのも、海外生活に関係があると他者に判断されたことはないけれど、私としては無論、関係があると考えている。
連れ回している自分達夫婦のせいだという罪悪感もある。
わかっている。子供時代の海外生活なんてポジティブがネガティブを上回ることの方がずっと珍しいことくらいわかっていて、罪の意識と共に連れてきている。

「twinkle twinkle little fart! キャハハハ〜」
朝食で大好きな糖分を摂取してすっかり機嫌の良くなった次男が普段通りにふざけて笑う。
「あ、あ、あ、それ、知ってる!お星様の!」
三男は吃音の兆候が見えてから、生活環境を日本語メインに切り替えた。だから、このメロディーは三男にとっては「きらきらぼし」らしい。
幼稚園を日本で過ごした長男は「きらきらぼし」にも違和感がないが、この家で日本の幼稚園を経たことがない私と次男は英語バージョンしかしっくりこない。

それでも、ポテトチップスとマッシュルーム入りのオムレツを食べながら、足りないという長男に梅干しのおにぎりをむすび、長男と次男には学校のイベントでレモネードを買うためにジップロックに入れたクォーター(25セントコイン)を渡し、三男の日本語園には公文の鉛筆を削ってお道具箱に入れるというそのバイカルチャーな日常は、私には何とも心地よく、落ち着く。
梅干しだけでもレモネードだけでもないその狭間に自分の子どもたちともう一度紛れ込んで、言葉遊びをしたり文化の違いを面白がったりと遊び回る時間は、幼少期に日米両国で口をつぐむしかない時間が長かった私への神様(と夫と夫の会社)からのご褒美のよう。

幼少期の子どもを連れて海外生活を始める時、彼らの子どもらしい子ども時代だけは奪わないようにするというのが、私の課題だった。言語と文化が違う中で、他の子どもと笑い合い、駆け回るというのがどんなに難しいことか。
だから、吃音やら場面緘黙やらがあったとしても、お友達がいて、通う場所があって、誰かと笑い合える時間が持てているなら、それだけで何とも有難い。3人の子どもが毎日笑顔でいる時間があるなんて、奇跡だと思う。

次の夫の異動先や今後の自分達の選択に念を馳せながら、刹那的な幸せを噛み締めて、今夜は豚汁とピザを組み合わせる。

Makiko


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