ママのEx
久しぶりに元カレに会った。
大学生の時に割と長く付き合っていた相手だ。
大学生という、未熟だけれど高校生よりは自由と責任のある、モラトリアムが許されたそんな時期を一緒に過ごしていた。
このことをこのnoteに書きたいと思ったのは、彼も私もアメリカの帰国子女であるというのが共通項だったからだ。
別れてからそれぞれに忙しく、思い出す機会も少なかったが、現在の私は自分が駐在員の子としてアメリカで育ったことを意識することが多い環境にあるので、ちょっとその彼に久しぶりに会って、帰国子女同士で過ごしたその時期のことを振り返ってみたいと思ったのだった。
「久しぶり」「変わってないね」のやりとりは旧友のそれと同じだが、相手の注文したものが届くのを待たずに自分のを食べ始めるのに遠慮を感じなくて済むあたりは、昔長い時間を共に過ごした相手ならではの気のおけなさである。
帰国子女同士
2歳から15歳までシカゴの郊外で育った彼は、帰国子女同士と言っても、幼少期しか過ごしていない私とは体験がだいぶ違う。日本の高校受験のために単身で日本に帰国し、私と出会ったのは日本に来て四年目だった頃。日常会話は日本語でできたが、大学の講義は日本語で耳から入ってきたものを英語で書き写していた。そのため聞き漏らすこともよくあって、日本語力の高い方である私が文法を正したり漢字を直したりと手伝っていた。
二人ともアメリカのお菓子が定期的に食べたくなるので、大学生にしては高い輸入食品のお店でMilky wayやらSkittlesやらを買って懐かしんで食べた。
アメリカに住んでいる間に抱く日本への憧憬、帰国後に日本を知っていく楽しい時期、その後にやってくる、日本独特の文化への馴染めなさと、それと自分の将来とを兼ね合わせて悩む時期。他の帰国子女の友人たちと同じように、私たちもその流れの中で色々なことを見失ったり、見つけようとしたりした。
消化しきれなかったものを抱えて
アメリカに9歳までしかいなかった私は受験に帰国子女枠を利用したこともないし、格別英語が得意な姉がいたこともあり、英語や海外体験が直接自分の強みになると思ったことはない。
だから、人生やキャリアという意味では英語の他に得意なことを見つけるほかなかったのだが、身体感覚としては、慣れ親しんだ感覚や懐かしいものというのはどうしても幼少期を過ごしたアメリカ・デトロイトとセットになっている。
何かやり残したことがアメリカにあるような気がする、というのは、帰国した小学生の頃からずっと抱えてきた感覚だった。
そんな中でその彼と何年か付き合っていた。私の方はそういった、自分の中で消化できていない幼い頃の体験を彼と過ごすことで乗り越えるなり、方向性を見出すなりしたかったのだと思う。
彼の方にも帰国子女同士ということで何かアイデンティティに関わる理由があったのかと今回聞いてみたら「ルックスが好みだった」という何とも記事に使えなさそうな返答をもらった。
それでもちょっと綺麗な言い方にすると、私は彼に消化し切ったアメリカを見て、彼は私にもっと早く帰国したら見れたはずの日本を見ていたのかもしれない。家族をアメリカに残して単身で帰国するほど日本への憧れが強かった彼は今は日本の企業に入り、世界と日本を繋ぐ仕事に就いている。
仕事現場ではナチュラルにバイリンガルと思わせているらしいが、日本語の敬語とビジネス英語を必死で夜な夜な勉強したことを、教えてくれた。
Ex
それにしても、Ex(テイラー・スウィフトのファンなら間違いなく知っている単語だろうが、英語で元恋人という意味)の話題は世界共通でガールズトークの鉄板だし、もう終わった関係なのだから面白く話してもいいはずなのに、ママの元カレの話ってあんまり聞かない気がする。
ママにだって元カレくらいいる。ママだって女子だったし恋したり失恋したり色々あったからママになったわけです。
元カレに蓋をして振り返らないこともできるけど、人生の煌めく若い時期を一緒に過ごした相手を振り返ることも、悪くはない?
彼も私も、結婚した相手は海外とは関係のない人だった。帰国子女という項目を外した部分でも接点のある相手を見つけられたということだろう。帰国子女である以外の自我を育てられたということかもしれない。
昔だったらいくらでも食べられたクアアイナのセットを半分ずつ残し、子どもの話をしながら乗り込む先が埼京線ではなく白のボルボになっているあたりに年月の経過を感じながら、私は束の間のタイムスリップを終えた。
Makiko