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イランからの攻撃の夜を迎えるまで

「戦争が激しくなって停電になることがあるかもしれないから、対処しておいた方がいい」
イスラエルでは2024年に入ったあたりですでにそんな噂が囁かれていました。
私の記憶ではその頃はすでにハマスには戦争が始まったばかりの頃のような勢いはなく、ロケット攻撃も一時期に比べれば減少していました。それでも北からの攻撃は相変わらず続いていたので「戦争が激化する」というのはヒズボラが本気を出してくるということ、「停電になる」というのは発電所にミサイルが撃ち込まれるということ、そのように理解していました。
 
もしくは「5月になるとイスラエルの空港が完全に閉鎖するくらいの大きな攻撃があるらしい。だから逃げるなら今のうち」そんな噂も耳にしました。
イスラエルの空の玄関ベングリオン空港は日本のコンビニのように24時間営業で、イスラエルにある公共交通機関の施設としては例外的に安息日である土曜日もその活動を止めません。この空港は1年に1度だけ、大贖罪日に24時間完全に閉鎖されるのですが、それ以外はミサイルが降り注ぐような戦時中であっても、決してその動きをとめません。けれど噂ではそれが閉鎖されるかもしれないほどの攻撃があるというのです。本当だとしたらそれはすでに第三次世界大戦的なレベルの大戦争だろうと不安になったものでした。

イスラエルの大型チェーン店などでは自家用発電機の売り出しが始まりました。家電製品売り場に値段が少しずつ違う小型の自家用発電機が並ぶようになったのです。私は発電機には明るくないのですが、200ワット、300ワット、500ワット、そして1500ワットなどと、販売店は家族の人数や懐具合を考慮して、発電機を幅広く売り出そうと商魂逞しくしていました。
 
私達が恐れている「大規模攻撃」がイランによるものなのかもしれない。そんな憶測が現実味を帯びてきたのは4月1日にイラン大使館の隣にあるイスラム革命軍のビルが爆破され7人の軍事関係者が殺害されたというニュースが流れたからです。
(イスラエルはこの攻撃を公式には認めていません。また、世界のメディアの多くはこの攻撃を「イラン大使館への攻撃」と表現していますが、私はそれは不正確であると思っています。イラン大使館は今も無傷でその場に残っているそうです。)

「ハマスは極端に弱体化している、ヒズボラは大胆な作戦には出ない様子、ついにラスボス登場か?」
ハマスとヒズボラはイランの手先であるとの共通認識を持つ友人たちとはそのように噂しあいました。

「でもね、ラスボスが出てきたら、ゲームは終わりに近づいているということよ。どんな終わりが待っているのか…」寝不足を訴える友人は不安を強く表明していました。
 
イスラエルにはHome Front Command(ヘブライ語でピクード・ハ・オレフ)と呼ばれる緊急時や戦時の民間防衛を受け持つ部隊があり、今回の戦争でも学校や商業施設をはじめとする民間の安全のための基準を国民に発表しています。

イスラム革命軍が攻撃を受けたというニュースに前後して、そのHFCが、国民に対して緊急事態に備えておくようにとのアナウンスを出しました。
「懐中電灯、非常灯、家族全員の最低3日分の食料と飲料水を準備しろ。携帯電話の充電器、電池で動くトランジスタラジオ、特別な内服薬を常用している人はそれも準備しておくように」。
こういう時にイスラエル人が強いと思うのはパニックに陥らないことです。食料や飲料水などが一斉にお店からなくなるというようなことはありませんでした。
それでも人々の緊張は高まりました。「まとまったお金を現金で準備しておくべきだ」という噂が上がり、HFCがそこまでは必要ないなどという声明を出したりもしました。
化学物質の大きな工場があるというハイファの市長が「我々は攻撃に対して十分な準備ができていない」と言ったことがニュースになりました。
電気会社はこう言った、政府はそれを否定した…今になってみれば、やはり混乱が現場にはあったのだろうと思われます。
 
私も緊急事態への準備を進める発表を聞いて少し緊張しましたが、ハマスによる奇襲テロ攻撃によりこの戦争が勃発した10月7日からちょうど半年たったので、10月に準備した緊急物資をチェックする良い機会だと考えました。食料品は賞味期限を確認して少し古くなったものは食卓に出して消費し、新しいものを補充しました。前回求めなかったトランジスタラジオを入手し、携帯電話の充電器を買い足して蓄電し、使ったままほったらかされて家のあちこちに分散していた鎮痛剤や解熱剤、消毒液と虫刺されの軟膏をまとめて救急箱に戻しました。薬局に行って三角巾と包帯を買い足そうかと思い、少し悩んだ末に止めました。このようにして3日かけて非常用物資を一新させました。

我が家のシェルターは普段は娘の部屋として使われています。半年前に空襲警報が鳴って家族全員で入った時にあまりの散らかりように言葉を失い整理整頓させたのですが、久しぶりに入った娘の部屋はまた足の踏み所もないくらい散らかっていました。娘に懇願し、なだめすかして部屋を掃除させました。
緊急用物資及びパスポートなどの貴重品、避難用リュックサックを揃えてシェルターの押し入れに並べ、準備は完了。ダイヤルを回すと雑音と共にいろいろな音楽や言語が聞こえる小さなトランジスタラジオを安く入手できたことに心底満足した私は「大規模攻撃、来れるものならいつでも来い!」という気持ちでいたのでした。

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