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2021年1月5日 新年にあたり「夢」について考えました

今回は、新年にふさわしく「夢」について考え1みました。2020年を振り返り、新しく明けた2021年、今年はちょっと大きな夢をみたい…イスラエル人の抱く夢の大きさに触発されました。どうぞご一読ください。

はじめに

イスラエルでは公式にはユダヤ暦が採用されているため、西暦に起源をもつクリスマスや年末年始は国民の休日ではありません。新年は毎年9月頃にユダヤ暦に基づいて祝われるのですが、今年は1月1日、2日がイスラエルの週末、金曜、土曜であったために、私も仕事を休み、ちょっとお正月気分を味わい、ゆく年とくる年について想いを馳せました。
そこで思ったのは、2020年のなんと激動の年であったことかということと、自分自身の想像力の乏しさについてでした。

小さくまとまって当たり前のことしか考えられない私と、「out of the box…既成概念にとらわれない」という言葉が大好きで常にそれを実践しようとするイスラエル人。
そんなイスラエル人がどうやって大きな夢に立ち向かっていくのか、私なりに考えてみました。

夢は大きい方がよい?

「夢は大きく持とう!」とは良く言われることではありますが、大人になるにつれて「夢」と「現実」のすり合わせが必要になるのは、多くの人が納得することだと思います。
小学校に上がりたての頃はそれこそ「夢」の様な夢を語っても、誰もがそれを微笑ましいものと肯定的に受け取ってくれるけれど、大きくなって受験などという現実がせまってくれば、夢は現実に基づいてできるだけ実現可能なことを選ぶように親も教師も指導するし、何より、自分自身が積極的に、夢の方を実現可能な方向に小さくしていくのが日本の多数派だと思います。
私も、できもしないことを夢見て失敗するよりは、できることをやって小さな成功があればいいや…。どちらかというとそういう風に物事を考えてしまうタイプです。

ノーベル平和賞を受賞したイスラエル人、シモン・ぺレスの後悔

そんな私が心の底から驚いた言葉があります。それは、シモン・ペレスが生前に、自分の一生を振り返って発したとされる後悔の言葉。「自分がみた夢は小さすぎた」です。
シモン・ペレスは、イスラエルとパレスチナとの和平を推進するオスロ合意や、ヨルダンとの平和条約調印などが評価され、ノーベル平和賞を受賞した政治家です。彼の名を冠した「シモン・ペレス平和センター」に併設されるイノベーションセンターでは、彼の書斎を再現した部屋で、彼の生涯をまとめた動画を見ることができます。
動画では彼の生い立ちが描かれ、彼の功績が讃えられています。私はもともと彼のことを偉人だなあと思っていたのですが、様々な言葉に混ざってさらりと流されたその一言に、衝撃を受けました。世界を平和に導きそれを表彰されてなお、自分の夢が小さすぎたと思う!!!いったいどれほど大きな夢をみればよいというのだろう!!!その感覚に心を打たれ、私は彼の功績そのものよりも、この言葉のほうが強く印象に残りました。
そして逆説的ではありますが、自分と全くかけ離れた感覚を持つこの人は、本で読む「偉人」ではなく、自分と同じ「人間」だったのだと気づいた瞬間でもあったのです。

「もし望むならそれは夢ではない」

そういわれると、イスラエルに住む人々はシモン・ペレスに限らず「夢が大きい」ところが少なからずあると思います。信じられないようなことを平気でやってのけてしまうのです。(本人たちが「平気で」やっているかどうかは不確かですが。)
まず、この国の成り立ちだってそうです。建国宣言と同時に第一次中東戦争勃発。その時のイスラエルは素人民兵の集団約3万人弱、対するアラブ諸国の側は統制のとれた軍隊として15万人以上の兵力を擁していました。物資だって武器だって雲泥の差があります。普通に負け戦になるはずです。世界は、イスラエルは建国と同時に潰れるだろうと思っていたのに、そんな戦争に勝ってしまった。
イスラエル建国の父、テオドール・ヘルツェルは「もし望むなら、それは夢ではない」という言葉を残し、イスラエルはそれを建国で証明しました。イスラエル人の根底には、「到底無理だろうと思われることを実現してこそ」、という感覚がどこかに潜んでいるのだと思うのです。
逆を言えば、私のように最初からできるだろうと思われることをやるのは、「小さな成功」ですらない。だめかもしれない、できないかもしれない…と思われることを夢に据えて、何度も何度も失敗を繰り返して工夫に工夫を重ねて、突き進んでいく。そこで得られた結果が小さければ、やっと「小さな成功」になる。イスラエル人にはそういうところがあると思います。

2020年は思いもよらないことの連続だった

私は25年以上をイスラエルで生活し、その打たれ強さや夢の大きさ、緊急事態に対する柔軟性や様々な対処法を目のあたりにして過ごしてきましたが、2020年は、なんとなくイスラエルをわかったつもりでいた自分の想像力がまだまだ足りないものであったことを本当に思い知らされた年でもありました。
世界的な感染症の広がりとその対処法はいうまでもありませんが、2020年、正直なところ私が一番驚いたのは、中近東およびアフリカ各国とイスラエルの国交正常化です。
どの国の人も、その1~2か月前に話を聞けば「国交正常化なんてあり得ない」と言ったでしょう。それが今では、ドゥバイ―テルアビブ間を週に何十便もの飛行機が飛び交い、旅行者が万単位で行き来する状態です。パンデミックの影響でどの国の空も閉ざされているこの状況下に、まさか新しい航路(しかも、ちょっと前まで誰もが夢想だにしていなかった)が開かれるなんて思ってもみませんでした。
距離の問題もありますけれど、何年も何年も直行便就航の話が浮上しては消え、いざ就航という時にパンデミックの影響で立ち消えになってしまった東京―テルアビブ間のフライトとは、まさに対照的です。

「大きな夢」は「大きな賭け」なのか

このように、イスラエルの「成功物語」には、一見命知らずの賭けに打って出ているかのような、無茶苦茶を運に任せて大技で乗り切るとでもいうような荒唐無稽さが漂うのですが、実はその裏には、ものすごい努力の積み重ね、そしてたくさんの失敗、犠牲が必ずあるのです。
2020年に実現した、イスラエルと中東アフリカ諸国(およびアジアの国)の一連の国交正常化を目の当たりにして、私は20年近く前にイスラエル外務省の国際支援担当者から言われたことを思い出しました。
「イスラエルはアフリカのイスラム教国家には非常に積極的に支援を行っている。対外的に大きな宣伝はしていない、というかできるだけロウ・プロファイルで行っているから国内でも外国でもその事実を知っている人は少ないけれど、イスラエルにとってアフリカにあるイスラム教国家は本当に重要な拠点なのです」
「国益のための援助」では援助していることを知らしめることが常識と思っていた私は、誰にも知られないように援助することの意味が分かっていませんでした。あの時聞いた話の重要性に、2020年になって初めて気づいた気がしたものです。

おわりに

このような成功体験があれば、やはり夢は大きく持つべき!そういう発想になるのは自然なことのような気がします。失敗や犠牲という痛みも伴うのですが、だからこそ、それを取り返せるように、大きな成功を夢みるのかもしれません。
先にも書いたように、私は臆病者でなかなか大きな夢を持つことができないのですが、歴史に残る激動の2020年を乗り越えて、今年は失敗してもいいから、少し大きな夢に向かって進もう!とちょっとだけ思いました。(すみません、いつまでも歯切れが悪くて…。)
大きな夢は必ず実現するものではないけれど、夢をみなければそこにたどりつくことは絶対にありえない。まるで、宝くじのようになってしまいましたが、それでもやっぱりまずは希望を持ち、夢をみることが第一歩です。
「私は夢をみることすらしなかった」…将来、そんな言葉を言わずに済むように、心を自由にさせて、大きな夢をみたいと思います!
皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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