幼い時の話だ。
私は両親の仕事場に連れて行って貰ったことがある。それは私が育ったコロニーとは別の場所で、家から何日か書けないといけなかった。私はぐずったり、眠ってしまったり大変だったらしく、行かせて貰ったのも一度きりだったのだが、今から思えば、コロニーの幼児学級に私を預けて行ってしまうことも多く、何日も帰らないことがザラだったのは、そういう事情もあったからだろう。私の幼少期は、幼児学級の先生の顔の方が、両親の顔よりも印象深い。
長い道のりを経て、他のコロニーにやってきて、これまた時間のかかる細菌検査や消毒を終わらせ、やっとのことでコロニー内部に、防護服に包まれて立ち入るのを許された私の前に広がったのは、視界いっぱいに広がる森だった。少なくとも当時の私はそう思ったのだろう。規則的に並んだ木々ははるか遠くまで続いており、真上を見つめると、円筒形のコロニーの反対側にある逆さまになった木々まで見えた。それぞれの木の葉は街路樹で見た緑色ではなく、赤や青になっており、遠景を見るとそれは、霧吹きを光に当てた時に出る虹のような美しさだった。
驚くべきはその木々に生っている果実だった。
スイカ大の大きさ、木によってはもっと大きな実が、複数に分かれた枝に包まれてぶら下がっている。まるで下向きにリンゴを掴んだ手のようだな、と思ったのを覚えている。人々やオートマータは十分に熟した実を、枝を丁寧に実から引き剝がして慎重に収穫していた。
「こっちにおいで」
母が私を呼んだ。私はスイカ大の大きさの、赤紫色の実を収穫している黄色い木に近づいて、オートマータのトレーの中に入った実を眺めた。そっと、母が小さな刃物を取り出して、ゆっくりと実を捌くと、トレーの中は血のような赤い液体で溢れ、そこに、大きな子猫のような動物が流れ出た。動物は少しだけ体を痙攣させるように動かすと、ギャア、と猫とは違う、なんだか異質な声を出して鳴きだした。
私は戦慄した。子供は人間のお腹から生まれてくるものだと思っていたから。怯えと驚きと好奇心で板挟みになり、動けなくなっている私に、父は動物をタオルで拭きながら優しく答えた。
「ライオンの赤ちゃんだよ」
それを思い出したのは、両親が勤務中の事故で亡くなったずっと後、私も成人し、生命倫理委員会の役人になってからだった。明らかにこの記憶は私の原体験になっているであろうに、どうしてこの指令が行われる時まで忘れていたのだろう。捜査対象になったのは、私の育ったコロニーからほど近い場所、農業用コロニーとして登録されていたはずだが、違法な生物改造が行われていて、宙域各所にその産物が輸出されている、とされているコロニーだ。私のメモリーにプロテクトがかかっていたとしか思えない。私はそもそも脳を電子化していないはずなのに、なぜ。
そのことを究明するためにも私は件のコロニーに行かなくてはならなかった。私の両親の関与があったことを秘密にする条件で、上司に掛け合ってやっと捜査に参加させて貰った身だ。例え両親が関わった問題だろうと、事実を究明するのに躊躇いはない。そして、それ以上に、私にはそこに行かなければならない気がしていた。
今度は防護服も細菌検査も無しで、あの森に入り込む。少し遅かったようだ。
「本部へ、内部のプラントは伐採されている。中はもぬけの殻かもしれない。捜査範囲の拡大を要請する」
同僚たちがそんなことを本部に報告している。木、生態バイオプラントは根元から切り倒され、ほぼ全てが無残な切株になっているか、あるいは栄養が供給されなくなったのか、立ち枯れを起こしていた。私の見た、ライオンの生る木も。この様子だと無事では済まないだろう。
切株の間を縫うように歩き回る。主を失い、電源を止められたオートマータたちが、寂しげに屍を曝していた。かつて生命が誕生する場であったここは、もはや死のみが支配する墓場になっている。
Panthera leo leo
そうホログラムに表記された切株を見つける。私が記憶に残っているのはここだ。父は、母は、なんて言っていたっけ。
「ここはね、人間の活動でこの世からいなくなってしまった地球の生き物を、標本やデータからなんとか復活させて、このプラントを使って、動物の形にしているんだよ。いつか、もう絶滅することのないように、色んな動物の遺伝子を人間と組み合わせて、新しい人間として迎え入れるつもりなんだ」
「あなたにも、大きくなったら一緒にいてくれるパートナーを紹介するからね、それに」
それに、なんだったのだろう。
断片的に記憶を思い出している間に、私の周りの喧騒は消えていた。
同僚がいない、いったいどこに行った、そう思う間もなく、私は背後から持ち上げられ、しっかりと抱きかかえられる。もがくが、離してくれそうにない。
私を抱えた何者かは、切株を飛び越えるように猛スピードで走りながら、コロニーの何処かへと連れていく。
10分程走り続けただろうか。私は切株ではない木の根元に、少し乱暴に降ろされた。恐怖しながら、後ろを振り向く。武装はショックガンのみ。軍事用オートマータなら勝ち目がない。私と同じく木の幹の影に立ったそれは、光る眼でじっと私を見つめている。
その姿はヒトではなかった、かといって動物でもなく、そう、二足歩行のライオンのような…。
私が、母の言葉の続きを思い出したのは、その時だった。
「それに、あなたも同じ、ああやって生まれてきたんだよ」
捜査前のブリーフィングで聞いた話だ。生態バイオプラントは遺伝子操作によって樹木を改造したもので、埋め込まれた生物の遺伝子を果実のような人工子宮内に発現させる。生命活動が止まらない限り、プラントはその生物の遺伝子を保持し続ける。
ならば、古来より人類が植物に対して行っていた最も原始的で最も応用可能な遺伝子操作、接ぎ木をやった場合はどうだ。
おそらく、私が生まれた、いや、作製された段階で、人間の遺伝子を生態バイオプラントに埋め込むことは成功していたのだろう。そして、実験は応用の段階に移った。本来の目的である、絶滅動物の遺伝子をヒトと組み合わせ、新人類を作るという段階に。
背後を見上げる。ヒトの木は初期条件の設定を変更し、様々な木々を接ぎ木できるように幹が極端に太くされていたらしい。巨木として育ち切り、七色に葉を茂らせた新人類の木には、数多くの実が生っている。完全自動化されたオートマータが、枝の間を忙しなく行きかって、実った新人類を収穫している。
両親は事故で死んだのではないのだろう。たぶん、役目を終えて命を絶ったのだ。子のコロニーを、新人類たちに明け渡すために。
私の傍らに、ライオン、恐らく私のパートナーがやってくる。私を見つめるその目は襲ってこようという意思はなく、私を仲間として迎え入れようとしているのが、何故か分かった。
ショックガンの電源を切って、投げ捨てる。それを合図にするように、周囲にはオオカミやオーロックスやコアラとヒトとを合わせたような様々な新人類たちが集まって来る。
言葉は交わさない、交わせるかどうかもわからないが、分かった。私はここに来るために生まれたのだ。新人類たちをヒトという存在に慣らすために。新人類をヒトの社会に食い込ませるために。追い出した人間たちと、新人類の仲立ちをするために。私はヒトだが、彼らと同じルーツを持っている。これは、私にしかできないことだ。
この巨木が、私たちの王国になるのだろう。