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キャリアコンサルタントとして、どう生きるか

「自分らしく生きよう!」
「あなたの可能性は無限大!」


そんな言葉を、どこでも見かけるようになった。
SNSでも、本屋でも、広告でも。

なのに、なぜか、私はそれを素直に受け取れない。
むしろ、違和感がある。


「その人の可能性を、誰よりも本人よりも信じる!」

あるセミナーで、講師がそう言った。
会場はうなずき、拍手が起こった。

でも、私はその言葉がどうしても苦手だった。

可能性って?
自分らしさって?


いったい何のことを指しているのだろう。


違和感の正体

SNSを開けば、キラキラ笑顔でピースする人たちのZoom画面。
「成功しました!」という報告と、自己啓発めいた言葉が流れてくる。

私は、それを見てモヤモヤする。
だけど、だからといって、彼らのことを否定したいわけじゃない。

人の幸せを願い、そのために尽力しているのは素晴らしいことだ。
やめてほしいとも思わない。

なのに、違和感がある。

なぜか?

彼ら自身が、幸せそうに見えないからだ。
自信がなさそうだからだ。


求めるものは、どこにあるのか

幸せになりたくて。
自信がほしくて。
自分の可能性を感じたくて。

だから、人を幸せにしたい。
人に自信を与えたい。
人に可能性を感じさせたい。

そんな想いがあるのかもしれない。

もちろん、キャリアコンサルタントもコーチも、ただの人間だ。

不安や心配、つらさや悲しみ。
挫折、流した涙、無力感に震えた日々。

それがあるからこそ、
同じように苦しむ人に寄り添うことができる。

それは、財産だ。


寄り添うということ

誰かのそばに寄り添える。
孤独にいる人を救えるかもしれない。

でも、

「寄り添うこと」が、自分の拠りどころになってはいないだろうか?
「相談者に求められること」を、存在証明のように感じてはいないだろうか?


相談者のために心も頭も使うべきなのに、
それが、いつの間にか 「自分のため」 になっていないか?

そう考えて、でも、そりゃそうなるよなとも思った。


ブレない自信なんて、あるのか?

自分にどっしりとした自信があって、
相手に求められたい欲求も持たず、
ただ純粋に相談者に寄り添う。

そんなやつ、いるのか?

自分だって、そうじゃない。

でも、その中で、自分はどう向き合ってきただろう。


「相手のことを知っている」なんて、思わない

そうだ。

「相手のことを、自分が知っている」なんてことはない。
むしろ、「相手のほうが、自分の知らないことをたくさん知っている」。

自分の知っている世界なんて、
塵みたいなものだ。

でも、それは、「まだいくらでも知り得る世界がある」 ということでもある。


キャリアコンサルタントとして、ブレないために

キャリアコンサルタントの授業で、先生が言っていた。

相手があなたのことをどう思うかは、あなたの問題ではない。
それは、相手が決めることであって、あなたが決めることではない。


あなたはただ、
相手と横並びで、同じ景色を見て感じること。
そして、相手のために一緒に考えること。


それを知って、ブレなくなった。


「知りたい」と思い続けること

そして、私は今もこう思う。

空の青も、雲の白も、雨の音も、もっと知りたい。
水の清らかさも、濁りも、もっと知りたい。
経営とは?事業とは?組織とは?もっと知りたい。
そして、あらゆる人の、それぞれのストーリーを知りたい。

永遠に続く、「無知の知」の自覚。
そこから芽生える、無限の好奇心。


銭湯の湯と、キャリアコンサルタント

それが、キャリアコンサルタントとしての
自分にとって、大切なものなのだと思う。

そして、
銭湯を好きになって、働いていた理由でもある。

キャリアの世界は、言葉で満たされている。でも、銭湯は、言葉がなくても伝わる。

銭湯では、人の力ではどうにもできないことがある。
だからこそ、すべてをコントロールしようとせず、受け入れる覚悟が必要だ。

人生も同じ。どうにもならないことは山ほどある。
それでも、よりよく前に進むことが大切だ。

一日として、同じ湯は沸かせない。
人一人として、同じ人生はない。

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