天使に土下座
第3回阿波しらさぎ文学賞落選作です。
美空ひばりの『リンゴ追分』が流れているからといって必ずしもそこが青森ではないように、阿波踊りをしている人がいるからといってここは徳島ではない。
ここは青森県南津軽郡。我ぁは一人阿波踊りを踊っている。明け方の薄暗い部屋の中で、我ぁは徳島に思いをはせて阿波踊りを踊っている。映像では見たことがあるが、所詮は素人芸のため本場・徳島の方々からすれば未熟も未熟、噴飯ものであろう。ところで先程から一人称として使われている「我ぁ」という言葉だが、「わぁ」と読んでほしい。「我ぁ」は津軽弁で「私」くらいの意味の一人称である。我ぁは徳島のことをまったく知らない。阿波踊りやスダチが有名なことぐらいはかろうじて知っているが、それ以外はまったく未知の土地である。なので我ぁは徳島を宇宙と定めることにした。何故なら我ぁにとって徳島も宇宙同様、朧げなイメージはあるが、どちらも詳しいことは分からないからだ。そのため我ぁは徳島をなんとなくで想像するしかない。今我ぁは自分で勝手に創造した徳島的宇宙空間を漂っている。そこはスダチの酸味がきいた高次元に展開する舎利の群れが跋扈していた。舎利の一つ一つには無数の米粒が集約され、我ぁの周りをまるでメリーゴーラウンドのように旋回していく。そこで誕生した生命体がある。舎利を形成する米粒が意思を持ち始めたのである。米粒の中には子供もいればお年寄りもいた。彼らは「自分たちは一つの場所から誕生した」という共通認識があり、それが舎利ごとに、それぞれ地域に根差したいわば先住民としての役割を担うようになった。群棲し始めた彼らに我ぁは混乱した。人の姿をした自分がある種のムラ差別の対象となりかねないと感じたからだ。米粒としての徳島県民にはもちろん個性があり、それぞれ別の姿形をしているのだが、それを認識できないと途端に余所者扱いされて疎外感を感じてしまうのではないか。我ぁが徳島のことを知らないばかりに、村八分にされてしまうのはあまりに辛い。そのために米粒としての徳島県民の方々を一度体内に吸収し、個々にコミューンを形成してもらい、身体の一部として徳島を知ろうと思った我ぁは、まず舎利を食べるのに専念することにした。我ぁは宇宙規模にまで巨大化し、舎利を大量に摂取できる身体を造り上げた。消化器官を機能させず、一つの世界として我ぁはその姿を変えていった。舎利の中の徳島的な人格を有するものたちは、互いに我ぁの世界で生活を始めた。まずは身動きができるように長い時間をかけて米粒から蠕動運動ができる虫へと進化を遂げた。米粒に似た姿形からこの虫を仮に「徳島蛆」と呼ぶことにする。徳島蛆たちは見た目こそ虫であるが、中身は普通の人間ほどの知能を持っていて、食べるものも一般的な日本人の味覚にあったものを好んだ。
しかし……
ここは我ぁの内的宇宙のため、我ぁが思考するものしか手に入らないのだった。
我ぁは軽い言語障害を持っていて、人とのコミュニケーションがとりづらい。その反面、内側である思考・思弁に倒錯する傾向があり、脳内から常に言葉が溢れ出す。心の声とはまた違い、言語の氾濫とでも言うべきか、そのほとんどが意味不明な言葉の連なりであり、したがって必然的に徳島蛆たちはその不条理ともとれる言語体系と闘わなければならなかった。例えば我ぁの脳内が「おにぎり」という言葉を漏らしたとする。当然ながら「おにぎり」は存在するものなので、徳島蛆たちは「おにぎり」を食べることとなる。しかしそこに個性が介在すると、ツナマヨが好きなものもいればおかかが好きなものもいるし、海苔はパリパリのがいいとか湿っていた方がいいとか、熱々のものが好みであったり、冷めたものが好きだったりというエゴが発生し、ただの「おにぎり」だけではそれを食することができない。具現化しようとするにはあまりに抽象的過ぎるのだ。それでもまだ「おにぎり」ならいい方で、浮かぶ言葉は「赤お母さん冷房」や「生姜糞」などといった意味不明なものがほとんどだ。そこで徳島蛆たちはある行動にでた。
言語を捕獲し、家畜化したのである。
我ぁは本来津軽の片田舎の出であるから、徳島蛆とは言語が異なる。日本有数の難解な方言である津軽弁を使い、尚且つ意味不明な言語がとめどなく溢れ出る我ぁの思考に徳島蛆たちは苦心したが、また長い時間をかけ、ついに言語の源泉を見つけ出した。そこに網を張り、捕まえた言語を育てて「稚語」を生み出すことに成功したのである。稚語はいわばまっさらな赤ん坊であるから、自分たちの好きなように育て上げることが可能である。徳島蛆の言葉で育った稚語は様々なものに変えられていった。食料はもちろん、居住地や日用品、さらには交通や商業施設といったインフラ、自然環境までを構成するまでに至った。既に記憶として備わった自分たちのモデルである徳島県民が住む土地を再現したのである。蛆虫のようだった姿も稚語を使って変化させ、多くの者たちが日本人のような見た目になった。彼らは理想郷を作ることに成功した。言葉によって何もかもが可能になった。ある村の診療所で子供が産まれた。それは奇形児だった。顔や手足がなく、のっぺりとした白い蛆のようなそれは、両親の意向で生まれてすぐさま火葬された。しかし奇形児は死ななかった。灰に姿を変えてしばらく潜伏した後、神社に生えていた杉の木の根元でひっそりと生き永らえた。やがて奇形児は自らの外皮を破り、新たな言語主体として生まれ変わった。
津軽弁を話す我ぁである。
我ぁは神社の石段をゆっくりと一糸まとわぬ姿のまま降りていった。我ぁはひとまず「両親」の住む家まで向かった。「両親」と言っても彼らの遺伝子を受け継いでいる訳ではない。生まれるためなら誰でもよかったのだ。元をたどれば我ぁの言語で構成された世界なので、我ぁが思考するものなら何にでもなれた。「両親」の家はムラの外れにあった。比較的新しい家で、外には雑種と思われる犬が鎖に繋がれている。白いティーシャツにジーンズを身にまとった我ぁは呼び鈴を鳴らしてしばらく待った。「どちらさまですか?」という声がした。我ぁはその時朴訥な津軽訛りの言葉を話した。
「近所に引っ越してきた對馬といいます。よがったらリンゴ食べでください」
ドアが開き、我ぁの「母親」が「まあまあ、ありがとうございます」と笑みを浮かべてリンゴを受け取った。それからしばらく軽い自己紹介とこの辺りのことについて会話をした。ムラのすべての家々を回ってリンゴを渡した我ぁはふたたび神社へと戻っていった。
我ぁの「両親」のその「本当の」子供は、夕食の際に我ぁからもらったリンゴを食べた。すると何か自分に対して違和感を覚えた。見慣れたはずの家の光景や、窓から見える風景といったものがどこかよそよそしく感じられるのだ。何かがおかしい。その疑念は我ぁの「両親」だけのものではなかった。ムラの中のリンゴを食べたすべての人たちが同様の違和感を覚えていた。何かがおかしい。それは分かるのだが、具体的に何がおかしいかは分からずにいるため、一種の気の迷いとして片づけようと皆は各々眠りに就いた。
一夜明け、目覚めてみると、ムラの人たちは全員神社の境内にいた。皆この不可解な現象に首をかしげながら、仕事や学校に行こうと石段を下り始めた。しかし石段は途中で濃い霧の中に包まれて、完全に視界が遮られてしまっていた。これでは石段を下るのは無理だと人々は諦めて、その辺をうろうろとしながら出口を探した。しかしどこも濃い霧がたちこめていて、外に出られそうなところはなかった。仕方なく人々は神社の境内に戻り、ケータイで会社や学校に電話をして、遅刻する旨を伝えた。一体いつになったらここから出られるのか。人々の不安は募る。そこに突然本殿の脇の方から津軽弁が聞こえ出した。
もういいべが? オメだぢは今がら言葉さ戻る。リンゴはそれを気づかせるきっかけだったんだ。昔、我ぁの中で生まれだ言葉がさらわれで、無理やり家畜どして飼われでった。辛い思いをしたんだ。このムラも元々は我ぁの言葉がら培養されだものなんだ。だはんでオメだぢも元をたどれば我ぁの言葉だ。驚ぐのも無理はねぇ。我ぁだってみすみすオメだぢを言葉に戻すのは辛れぇ。だばって仕方ねぇんだ。何でがは我ぁも分がらねぇ。ただ猿が人間になったように、オメだぢも今の姿がら変わらねば駄目だってことだ。それが進化が退化がは分がらねぇけどや、これは分がるべ? オメだぢは今まで徳島県民のふりをしてったってことだ。徳島ってとごろはもっと別のとごろさある。それはこの宇宙の外さある。何故知ってらがって? 我ぁが宇宙だはんでや。我ぁはこの世界のすべてや。オメだぢの正体は我ぁの徳島的宇宙空間で生み出されだ言葉や。オメだぢは元はスダチ薫る舎利や。米粒や。高次元化した舎利としての米粒は徳島蛆に進化してや、蠕動運動によって我ぁをうろついでった。長い間オメだぢは蛆だった。自分だぢは元は一つだったっていうアイデンティティはそのままに、それぞれ個性を持って我ぁの中の宇宙を這っていた。宇宙の一つの形どして我ぁはその世界を肯定して、梵我一如、アートマン、ブラフマン、ウパニシャッド、地続きの思想形態、正しさゆえの過ちがあって、徳島蛆の進化や。それは我ぁの泉のごとく湧き上がる言葉たちをこの宇宙の構成物として成立させるための実験でもあったわげだ、ところがどこまでいっても理解不能な、理不尽な、意味不明な、我ぁの言葉はこの宇宙が無価値であることを教え込んだ、それなのにオメだぢは言葉を自分のものにして姿を変えて、なんとがそれを意味のあるものにしようど努力したわげだ、オメだぢの祖先は今でもこの宇宙の何がさなってさまよってらんだや、我ぁの言葉は何の値打ちもねぇんだ、すくなくとも我ぁにとってはな、壺が何億もするものもあれば、百均で買った壺もあるわげだばんな、用途はおなじなのにそれに価値を見出すかは偉い人がここでジュースを飲んでもいいし、気持ちよいマッサージを受けることや、偉い人だはんで高いものを買う、その偉いっていう価値基準もまた宇宙の内部で肯定さねばまいねわげだ、リンゴジュースをこの宇宙で飲む、するど我ぁは美味しいど思うわげで、リンゴになった蛆が実をつけで、収穫の時を迎える、特別な木の実の知恵の実の我ぁの副産物が庶民としての徳島蛆の手に渡って、思い思いの味を設定して、酸味の強い、甘い、苦い、蜜の入った、「めぇ」「まじぃ」リンゴとば食う、だはんで共通の祖先は蛆から進化、或いは退化して、言葉になっていぐわげだ、矛盾や紛糾した「ほんつけねぇ」奴ら、だったことも、ある、し、薬の効能の、痛い、部分、の我ぁの、言語の、成れの果ては、厚い何かの紙に書かれて、我ぁは、痛い、止めろって、悪い、ものや、美しいものが、たくさん、あるのに対比して、土腐や、屁泥、そういった、ものに、成り代わり、正しく、あって、濡れ苔と、国家的な培養肉の、意味を求めて、何を、オメだぢに何も、これを理解、本当はしてほしいばって、でも、家族も、知り合いも、一人もいねぇ友達も、どうやっても、この話す言葉が、意味分がんねぇべはんで、無意味であって、我ぁは、宇宙との、眼鏡屋の、眼球運動を、頑張りますから、虫を、蛆を、食べたこと、ありますか、靴で、踏まれた、お菓子を、蛆がついた、ポテトチップスを、笑い、ながら、食べる、のが、我ぁの、影を、真っ黒なのです、止めて、ほしい、けど、歯や、歯茎や、赤い舌の攻撃は、止むことを、知らずに、糞に、たかる、蝟集した、米粒のよう、な、蛆を食べなくては、おうちに帰らせて、もらえない、から、「あだまおがしい」と言われた我ぁは、青い、学校指定の、ランドセル背負い、泣いていました、泣いていました、蛆なんて、食べるもの、では、ないし、分厚いレンズの眼鏡、壊された、給食の時間、まで我ぁは、親が悲しまない、ように、トイレで願ったから、笑われる集合体はどこまでも、我ぁを貶め、どこまでも、今も、阿波踊りをしている、我ぁの本当さを否定する、から、いっぱい、言葉を覚えて、頑張って、徳島へと逃げて、青森には、我ぁを否定する、人がたくさんあって、徳島には、それは、ねぇんだはんで、青森に、我ぁをおいできて、なんも分がんねえべな、我ぁの、言ってる言葉は、理解不能で、理不尽で、意味不明で、でも、我ぁは、必死に、オメだぢの、ことを、思って、いて、言葉を、意味ある、ものに、なんとか、しようと、思ってる、はんでさ、徳島は、それでも、我ぁを救えますか?
霧が、晴れて、きたので、ムラの人たちは、我ぁを、不審を見る目で、一瞥しました。そして、石段を下っていった、「待って、ください、あの、電気ウサギの、いや、リンゴの片の……」我ぁは、そう、言ったのですが、誰も足を、止める、人はいないで、我ぁは、すっかり、元気、を、なくして、境内に座り込んだ。んだいな、我ぁの、意味不明言葉であって、皆さんに、引きつける、ものが、ない、辺りは、鬱蒼とした、杉林で、なにか、我ぁを嘲笑、気がして、我ぁは耳が閉じられて、木々の、こすれ音を、聞かない、ようにしました、しかし、一回、耳に、入った、から、なかなか消えないので、我ぁは、その場から、離れたくて、石段を駆け下りました、この風景も、人々も、ぜんぶ我ぁの妄想だった、ここには妄想しかない、すべてが、つくりものでした、人々は、言葉に、ならない、米粒にも、蛆にも、何にも、ならない、ただの人間でした、我ぁは、叫びながら、目を、瞑るように走り、気がつけばまったく知らない家の前にいました、近くの、電柱の脇に、ゴミ袋があって、そこには腐った、リンゴが捨てられていて、ゴミ袋の中にはショウジョウバエが何匹も飛んでいて、我ぁはそのプンプン飛び交う蠅たちが天使のように見えて、思わずその場に跪きました、ここが、どこなのか、分からないですし、徳島で、ある、保証も、ない、ただ、踊り疲れて、汗だくの、自分に、すべてが、当然のごとく、もどっていくまで、あともうすこしでした。「我ぁ、も、交ぜで、ください」我に返る五秒前、我ぁはゴミ袋の前で土下座をしました。天使たちは無言でしたね。