1年半ぶりのメンクリ

日記です、ただの。しばらくしたら下書きへ〜

1年半前双極性障害と診断されてから、その病院も行きたくなくなって、1年半の通院なし服薬なし生活。上京して一人暮らしで、不安定な時は鬱状態に何回も悩まされてるのに、鬱の時も躁の時も全く病院へ行こうとしなかった。

1年半前、上京してすぐに通ったところは1回しか行けなかったけどすごく親身になってお話を聞いてくれてよかった。しかしやはり過去2年くらい通っていた地元のメンクリの先生へのトラウマからメンクリへ行くことすらままならない。

今回はもう腹を括って家の近くのメンクリへ、意を決して行ってみた。
名前を呼ばれるまで、心臓がバクバクする、また自己否定されたらどうしよう、また大量の薬を出されたらどうしよう。

もちろんこの先生も、双極性障害だろうね〜ふんふん、、という感じだった。どこの病院へ行っても特に診断は変わらないだろう

過去のこと、家庭環境、自分のことたくさん聞かれて、やっぱり思い出すたびに涙が止まらない、話せない。赤裸々に語ることを強いられていないが、脳内で過去のことを思い出すとやっぱり苦しくなって独りぼっちに感じる。

「過去振り返って自分の人生が大変だったと思いますか?」

この質問で、自分の価値観が数年前から一転したことを感じる。

自分の人生が大変だなんて、思わない。
誰かに話すと、ご苦労なさったとか、そんな言葉が頂けるけど。
父親が出て行って生まれてから高校辞めるまで別居して、兄が暴れて毎晩のように暴れる、止める人もいない。父もいないし。何か家が破損する音、姉にお前が生まれたせいだと罵られること、母親に学生時代交友関係を束縛されてまで一緒に居ろと強いられたこと、父親が私のことが原因で自殺未遂をしたこと。わざわざそれを私に言う父親。
おかげさまで不安障害、摂食障害、双極性障害を患って、学校すら辞める羽目になって、入院して、何回も自殺未遂で死のうとして。
でも何もかも私は「大変」だとは思ってない。
親に捨てられたわけじゃないし、暴力を日々受けてたわけじゃない。家に帰ればご飯はあったし。
お金に困ったことはそこまでなかったよね、
誕生日プレゼントもお年玉も一般的な家庭より良かったと思う。大変なのは私の家族の方だったのでは。

「将来パートナーと過ごしたり、結婚したりそういう道もあるかもしれませんが、そういうこと考えたりしますか?」

パートナーとか、交友関係とか何もかもが億劫。私は誰にも固執したくないし、誰かと仲良しになるとか、誰かを好きでいることなんて無理だと思う。私はもう誰かのためじゃなくて、自分のために生きたい。

久しぶりに処方された薬は、アトモキセチン(ストラテラ)だった、ADHDの薬のイメージがすごく強いので…効く?!っていうのが率直な感想、ADHDの可能性があるの…?!?

まあなんでもいいです、とりあえず今鬱が落ち着いているうちに病院へ行くことができてよかった。えらい自分!1月はテストテストテスト課題課題課題、頑張りましょうか〜。

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