引用文献の認定(乳癌再発の予防用ワクチン事件)に関する一考察(試行)※ 当記事は試行であり、法的助言を与えるものではありません。全ての情報はその正確性と現在の適用可能性を再確認する必要があります)

知的財産高等裁判所平成28年(行ケ)第10107号判決に基づく新規性要件の考察

1. はじめに

特許制度において、新規性は発明が公知技術と同一でないことを要求する基本的要件である。本稿では、知的財産高等裁判所平成28年(行ケ)第10107号判決(以下、「本判決」)を通じて、新規性要件の適用とその判断基準について考察する。

2. 事件の概要

本件は、原告が「乳癌再発の予防用ワクチン」に関する特許出願(特願2011-540853号)を行ったが、特許庁が拒絶査定を行い、その不服審判請求も不成立としたため、原告が審決取消を求めた事案である。特許庁は、引用文献に基づき本願発明の新規性を否定した。

3. 新規性要件の法的枠組み

特許法第29条第1項は、発明が「産業上利用することができる発明」であり、かつ「その出願前に日本国内又は外国において公然と知られた発明」でないことを要求している。新規性の判断においては、引用文献に記載された発明と本願発明が同一であるか否かが検討される。

4. 本件における新規性の検討

4.1 引用文献の内容

特許庁は、引用文献として、GP2ペプチドとGM-CSFを含有するワクチンに関する文献を挙げた。この文献には、標準的治療後のHLA-A2型のリンパ節転移陰性乳癌患者に対し、GP2ペプチドとGM-CSFを6か月間接種し、全ての患者でGP2特異的CD8+T細胞のレベルが増加したことが記載されている。

4.2 本願発明との相違点

本願発明は、製薬上許容される担体、配列番号2のアミノ酸配列を有するペプチドの有効量及びGM-CSFを含み、配列番号3のアミノ酸配列を有するE75ペプチドを含まないワクチン組成物である。一方、引用文献は、GP2ペプチドとGM-CSFを含有するワクチンであり、E75ペプチドの有無については言及がない。

4.3 新規性の判断

本判決では、引用文献が「ワクチン」と表記しているものの、実際にはGP2特異的CD8+T細胞のレベル増加を示したにとどまり、臨床効果の確認がされていないと指摘した。また、当時の技術常識として、ペプチドがワクチンとして有効であるためには、①多数のペプチド特異的CTLの誘導、②CTLの癌細胞への誘導、③CTLによる癌細胞の認識と破壊が必要であり、これらが確認されていない場合、ワクチンとしての臨床効果があるとは言えないとした。したがって、引用文献は本願発明と同一とは言えず、新規性が認められると判断した。

5. 判決の意義と考察

本判決は、新規性の判断において、以下の点で重要な示唆を与えている。

5.1 用語の解釈と技術常識の考慮

引用文献が審査対象となる本件発明の用語と同一である「ワクチン」と表記していても、技術常識に照らし、実際の臨床効果が確認されていない場合には、ワクチンとしての有効性が認められないとした点は重要である。これは、用語の表面的な一致だけでなく、実質的な技術内容の一致を重視する姿勢を示している。

5.2 臨床効果の確認の重要性

医薬用途発明において、臨床効果の確認が新規性の判断において重要な要素となることを示した。単なる生体反応の誘導だけでなく、実際の治療効果が確認されているか否かが、新規性の有無に影響を与える。

5.3 技術常識の適用範囲

技術常識の適用により、引用文献の記載内容がどの程度まで本願発明と一致するかを判断する際、当該分野の技術常識がどのようなものであるかを適切に認識することが求められる。本件では、ペプチドワクチンの有効性に関する技術常識が新規性の判断に大きく影響した点もあると考えられる。仮に技術常識に照らし、引用文献記載が治療効果に匹敵すると判断される場合は結論が異なる可能性もあった。

6. 結論

本判決は、新規性の判断において、引用文献の表面的な記載だけでなく、技術常識や実際の技術内容を重視する重要性を強調したものである。本件では、「ワクチン」という用語が引用文献に含まれていても、当該分野の技術常識を踏まえて臨床効果の確認がない場合には本願発明と同一とみなさないという合理的な判断が下された。

特に、医薬用途発明のような技術的に高度な分野においては、単なる生物学的反応の記載にとどまらず、臨床効果の有無が新規性や進歩性の判断に大きな影響を与えることが確認された。さらに、技術常識を正確に適用することにより、特許請求の範囲と引用文献との実質的な一致を判断する際の基準が明確になった。

本判決は、特許制度における発明の新規性要件に関する判断基準の適用に新たな指針を与えるものであり、特に医薬用途発明における審査や係争において参考とされるべき重要な事例である。今後の実務においても、本判決が示した技術常識と引用文献の内容の実質的評価の考え方が、特許審査や紛争解決において幅広く適用されることが期待される。

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