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ModulePoeticCode #01

ModulePoeticCode というプロジェクトが始動した。
「ビジュアルを奏でる楽器」をつくるプロジェクトだ。
始まりは、ある違和感だった。
「ミュージック」に対して「ビジュアル」が弱すぎないか?
音楽というものは、すごい。
マジですごい。
音楽を作るミュージシャンは、「アーティスト」と呼ばれ、彼らの作る作品は通勤でも運動でも睡眠でも、日常の中のあらゆるところで鑑賞されている。
音楽という作品の形は、最強にポップだ。
ただ作品の形態として最強なだけではなく、音楽は、カルチャーだ。
ライブハウスやレコード屋さんといった場所には濃いカルチャーが根付いていて、様々なメディアやレーベルやジャンルやムーブメントもある。
ミュージシャンが楽曲に込めた意味など全くわからなくても、とりあえず気持ちい音がすればノれる。
ミュージックという、最強にポップで巨大なカルチャーに対して、ビジュアルはなんかニッチで限定的だ。
ミュージックに対してビジュアルが奉仕する事はあっても、ビジュアルにミュージックが奉仕する事はあまりなくて、対等な感じがしない。
映画はそうだと思うかもしれないが、あれはビジュアルが主体の作品というより、物語が主体の作品で、物語に対してビジュアルとミュージックが奉仕している。
ビジュアルの作品を純粋にただ作って、純粋にただ鑑賞されるという事はそうそうない。
普通に悔しい。
全員がスマホというポケットに入るディスプレイを持っている時代なのに、そこに表示されるビジュアルは、何かの付属品でないと見てもらえない。
もっとポップに、ビジュアルを誰もが純粋に楽しむ事はできないのか。
ここで言っているビジュアルというのは、動いているものだ。
僕にとってビジュアルは動いていて当然で、止まっているのは変だと思う。
目に映る世界はそもそも動いているのだから、ビジュアルの作品は動いていて当然だ。
ここで、現状の問題点を考えてみる。
まず、鑑賞する道具は足りている。ディスプレイだ。全員ポケットに入っているし、最近は街にも増えている。そこで思うのは、届ける場が足りない。ビジュアルには「ライブ」が足りないのだ。MUTEK とか Public Visuals とかそういうイベントも増えているけど、結局音楽の方が上位な感じがする。ライブは重要だ。作品を作るのとはまた別で、パフォーマンスとしてあるものだ。お客さんとミュージシャンがコミュニケーションを取る場になるし、オーケストラのように作曲者とは別の人がパフォーマンスする事もできる。なんでビジュアルのライブが音楽と同じような形でないのかというと、僕は「楽器」がないのが原因だと思った。
ビジュアルにおける、ミュージックで言う所の「楽器」がないのだ。
逆にそれがあれば、ビジュアルはもっとポップになって、ミュージックと対等な位置に行けるのではないか?
ドラムやギターやピアノのような、とても自然に身体を使ってヴィジュアル作品を「プレイ」出来るものがあれば、ライブパフォーマンスが成立するし、さらには、誰でもその楽器を練習すれば自分でビジュアルを演奏できるのだ!
楽器によって、万人に開かれ、カルチャーとなる。
めっちゃ感覚的に使えないとダメだ。
パソコンの中で動く難しいソフトなんかじゃなくて、叩いたり弾いたり吹いたりしてビジュアルを奏でられる「楽器」じゃないとダメだ。
その楽器で、作曲のようにビジュアルを作る事も出来るだろう。
色んな種類の楽器があれば、それぞれのプレイヤーが集まってバンドを組んで、めっちゃ良いビジュアルを作ってスターになったりもするだろう。
ビジュアルをミュージックと対等な位置に持っていき、「音楽やってます」と同じように「映像やってます」と言えるようにしたい。
そのために、楽器を作るというアプローチで攻める。
これが、ModulePoeticCode というプロジェクトです。
いきなりギターやピアノみたいなものを作るのは難しそうなので、短期的な目標として、まずは、ビジュアルにおけるモジュラーシンセの完成を目指すことにします。
これならクリエイティブコーディングとプロダクトデザイン的な観点で突破できそうだし、スタートラインとして良い感じがします。


2024.01 追記
このプロジェクトは、長谷川泰斗氏との共同プロジェクトに発展し、進行中です。

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