FRAME FREE
2021年の3月、初めて個展を行いました。
渋谷に部屋を借り、センサーやプログラミング、プロジェクションマッピングを組み合わせた、インタラクティブな映像の空間を作りました。
1日だけ、30人ほどを呼んだ小さな規模のものでしたが、この制作を通し僕の中では大きな変化が起こりました。
自分自身が映像というメディア、表現手法をどう捉えているか、どこを魅力だと思っているか、もっと言えば僕がどのような感覚でこの世界を生きているか、が明らかになりました。
今まで自覚せずとも内に持っていた感覚や思考を深く掘り具体的な形に定着できた、20歳のマイルストーン的な作品となりました。
作品と制作過程について記したいと思います。
ARTWORK / 作品
この個展では、僕にとって映像とは何なのかを、4つの作品に定着させました。
01 : Life is Noise / Motion is Trust
僕にとって映像とは、コミュニケーションです。
映像は、動きます。
動くということは、そこには時間が流れています。
この映像は全てリアルタイムに生成されており、鑑賞者が触れると動き、それを見て鑑賞者もまた動きます。
そうしているうちに、まるで映像が意思を持っているかのような感覚が芽生えてきます。
自分が 今 生きているるように、向こうも 今 生きていて、何かを伝えてこようとしているのではないか。
映像と鑑賞者の間に信頼関係のようなものが生まれる瞬間です。
このコミュニケーションこそが、映像の独特な面白さです。
02 : Touching Space / Seeing Time
僕にとって映像とは、空間です。
プロジェクターで空間に光として出して初めて「映像だ」と言える感覚があります。
映像の力は、テレビやスマホのディスプレイの中ではなく、空間に出した時に最も発揮される。
それは空間を支配する力、もっと言えば、空間を操作する力です。
この作品では、鑑賞者が自ら歩き回ったり触れたりすることで、映像がダイナミックに変化します。
自分の動きが空間全体を操作しているような、不思議な感覚です。
光と音によって空間を作り替えること。
それも僕にとって広い意味での「映像」です。
03 : Your Projector / Our Narrative
僕にとって映像とは、投影です。
映画館では、映像をプロジェクターでスクリーンに投影しますが、これは比喩的だと感じます。
そこには監督や脚本家といった作り手の、想いや人生が投影されているからです。
映像を観ている鑑賞者も、そこに自分の想いや人生を投影して共感したりします。
映像は、一人ひとりが自分を投影できる表面なのです。
この作品では、鑑賞者の「影」が映像作品と化します。
鑑賞者自身の投影によって作られる映像作品です。
影と影を重ねたり、離したり、映像という表面を介した鑑賞者同士のコミュニケーションが生まれます。
04 : Digital Fireworks / Spirit Display
僕にとって映像とは、花火です。
近年 YouTubeやNetflixの台頭で、家族でテレビを観たり、映画を大勢の他人と一緒に観る機会が減ってきており、映像を観ることは小さな画面で一人でする体験になりつつあります。
でも、そうじゃないと思う。
映像は、みんなで観るから楽しい、花火のようなものだと思うのです。
一緒に観ることで感動を共有し、人と人の繋がりが深まることが、映像が持つ偉大なパワーです。
この作品では、鑑賞者の影から光の粉が生まれます。
部屋に誰もいなければ暗闇ですが、そこに鑑賞者が増えるほど、光も増えてゆきます。
みんなで体を動かし、光をかき回し、せき止め、渡し合ったりして鑑賞できる、映像の花火です。
WORD / 言葉
個展をやると決めたとき、最初に書いたノートです。
「映像」という言葉から連想される単語を書き出していきました。
自分の内側にある感覚を形にするのはいきなりではとても難しいので、言葉にこだわります。
言葉は、主観的な感覚を瞬時に記号として外に出して客観的に観察できるいい道具です。
その後、より複雑な思考を扱えるように大量の言葉をカードに印刷し、かき混ぜたり並べたり並び替えたり、頭より手を使って考えました。
小さい頃からカードマジックが得意で、カードを操作することは身体に馴染んでおり、いい意味で思考停止して踊るように軽やかに内省できます。
こんな風に並べているうちに、次々と思考がクリアになっていきます。
一番大きな収穫だったのは、自分が「映像」という言葉に込めている意味がとても広いと分かったこと。
僕の中では「映像」と「世界」が同じ意味の言葉になります。
日常の中で目にする、道を行き交う人々や、風に揺れる木漏れ日、街の喧騒や鳥の声、陽が登って落ちて、月が満ちて、人と出会い、知らない感情を知る、その全てを僕は「映像」と呼んでいました。
動いている、死んでいない、生きているもの全てが映像です。
人生そのものを一つの映画のように感じているのかも知れません。
いつもどうも目の前に広がる世界が本物だとは思えず、嘘に思えていました。
本当は自分はここには居らず、どこか別の場所にいて、その「投影」がこの身体であるような感覚です。
だからプロジェクションが好きです。
スクリーンに光の束が投影される様子は、本質的な現象だと感じます。
これに気付いた途端、全てのパズルのピースがぴたりとはまり、何を作ればいいかを理解しました。
言葉を尽くして掘り起こした感覚や思考を、ただ投影すればいいのです。
そうすれば作品が成立します。
作品を0から「生み出す」「作る」のではなく、既に内にあった原質を目に見える形に「投影する」だけです。
SYSTEM / 仕組
ありのままの観念を投影するだけなので、いわゆるコンセプトのようなものはこの作品には存在しないと思います。
でも仕組みは存在します。
この作品の仕組みは、センサーやコンピューターやプロジェクターといった機械がケーブルで繋がれて、プログラムで映像が絶えず生成されるというものです。
最初に書いたシステム図です。
本来システム設計は理路整然と手順を踏んでいくものですが、この時は大雑把なスケッチから入りました。
こういうソフトの中をデータがこう流れて、システム全体のフォルムはこんな感じになるんじゃないか、と直感で大枠を決め、細かい辻褄は後から合わせていきました。
最終的なシステム図
ソフトウェアは全て、openFrameworks というライブラリを使用した C++ のコーディングで自作しました。
システムもビジュアルも全て同じプログラミング環境で作ったため、感覚的に、システム開発とビジュアルデザインに境目がありません。
壁にタッチする手や人のシルエットを認識するために「Kinect」という XBox 360 用のセンサーを使用したのですが、データを満足いく形で扱えるソフトが既存のもので見つからず、その部分も仕組みから考えて自らプログラミングしました。
Kinect は奥行きも捉えることができる3Dカメラのようなセンサーで、2次元の普通のカメラ画像と、3次元の大量の点群データがリアルタイムに得られます。
その2種類のデータを上手く組み合わせて分析・加工し、シルエットやタッチという情報へと作り変えるアルゴリズムを、何度も繰り返し実験して開発していきました。
ケーブルで繋がれた繋がれた機械たち
ハードウェアの面でも2つのブレイクスルーがありました。
1つは、壁全面をタッチパネルに変えるために、Kinectを本来の使い方とは違う、90度縦に立てて設置したことです。
Kinect は3Dカメラなので、壁に沿わせるように設置し、その表面を撮影させれば手が触れた位置もタイミングも捉えることができると気付いたのです。
もう1つは、シルエット認識用の Kinect をプロジェクターとぴったり同じ位置に置いたことです。
Kinect はカメラであり、カメラというのは、ある視点を持って空間を光として取り込み、フィルムという表面に定着させる装置です。
一方、プロジェクターは、ある視点を持って光を空間に放出し、スクリーンという表面に定着させる装置です。
光を入れるか光を出すか、方向が逆なだけで同じ働きを持った装置なので、視点を合わせれば、カメラが撮影する画像とプロジェクターが投影する画像をぴたりと合わせることができます。
このアイデアのおかげで、人の影にエフェクトが付いたり、陰から光の粉が生まれるという作品が可能になりました。
TITLE / 名前
「FRAME FREE」というタイトルには、2つの意味が込められています。
1つは、「FRAME が FREE」という意味です。
FRAME というのは、物事のあらゆる「枠」や「制約」のことです。
この世界は FRAME だらけです。
環境もそうですが、多くは自分自身が課しているものだと思います。
自分に知らず知らずに課しているつまらない制約を一つづつ突破して、自由になっていきたいと常に思っています。
それが僕が作品を作る理由です。
作品を作るたび、その過程で、自分のことが少しずつ分かって、そうすると次に行ける場所も広がり、解き放たれていく感覚があります。
今回の制作期間はコロナ真っ只中でした。
部屋の中に長い時間閉じこもり自分と向き合う中で、いつのまにか部屋の壁が消えて、意識が外へ広がり、どんどんクリアになっていくような、そんな体験を何度かしました。
この最高にリッチな体験に名前をつけるなら、「FRAME FREE」でした。
作品の体験自体も、制約を極力無くしました。
壁のどこを触れてもいいし、どんなポーズをとっても、どんなに走り回っても、作品はちゃんと受け入れてくれて、打ち返してきます。
一歩引いて、人が体験している様子を観客として見ていても構いませんし、一歩前に出て自らコミュニケーションを取ればさらに楽しめます。
体験方法の説明書はなく、どんな事をしてもいいのです。
「FRAME FREE」のもう1つの意味は、「FRAME の中の FREE」です。
どんなに壁を突破して自由になった先にも結局、もっと大きい制約があるということです。
それは法律だったり、重力だったり、死ぬことだったりしますが、でもそういう制約があるからこそ、自由も存在すると思います。
FRAME と FREE は、相対するものでありながら、一方があるからもう一方もあるのです。
この作品における FRAME は、展示している部屋です。
この部屋の中ではどんな事をしてもいいですが、あくまでもこの部屋の中だけ。
自由とはそういうものだと思います。
四角いフレームの中で表現を追求するアートフォームである「映像」を、「世界」という意味に広げて解放したいという僕の想いも、結局さらに大きな FRAME の中のものになるでしょう。
でもそれは何も作らない理由にはならず、その度に登場する新しい FRAME を突破し続けたいと思います。
その過程が一番楽しいのです。
LOGOMARK / 顔
この作品は、「映画」という受け身で一方的に鑑賞する映像の形に限界を感じて進んだ先ではありますが、一方で映画からも多くを学んだ上で出来ています。
3面プロジェクションで身体ごと没入する体験というアイデアは、60年代に存在した「シネラマ」という上映方式に着想を得ました。
3台のプロジェクターで映像がパノラマに投影されている様子はこの展示のキービジュアルでもあり、そのままロゴマークにしました。
四角い枠が膨らんで弾けてみえる形なのも、FRAME FREE の感覚を表しています。
さらに、WEBサイトやSNSやフライヤーなど様々な用途に対応できるよう、ロゴマークの縦横比を可変にしました。
作品自体のビジュアルは、プログラムで生成しているので、もちろん縦横比可変です。
ロゴマークもそうなるべきでしょう。
これ以降僕は、縦横比可変のグラフィックを「FRAME FREE なグラフィック」と呼んでいます。
VISUAL / 視覚
この作品のビジュアルは、リアルタイムに生成するため、全てプログラミングで作っています。
2度として同じビジュアルが生成されることはなく、その瞬間その瞬間でしか現れない様相です。
最初に書いていたスケッチです。
この時はグラフィックとして単体でも成立するレベルを目指していましたが、作っていく中で、よりシンプルに、削ぎ落としていくことになりました。
この作品の体験は多くの感覚を伴います。
目に見えている景色の他にも、自身の身体の動き、他の鑑賞者との関係、空間が今ここにあり時間が流れている事へ意識を向けてほしいのです。
ビジュアルに凝りすぎると、視覚に多くの意識が割かれ、より深い感覚が疎かになってしまいます。
プログラミング中のビジュアル
最終的に、映像作品とコミュニケーションを取れていることや他の鑑賞者との関係性を可視化する事のみに集中しました。
SOUND / 聴覚
この作品で音は非常に重要です。
映像はビジュアルのことだと思われがちですが、それは間違いで、ビジュアルと音がぴったり半分づつの体験です。
ビジュアルはどちらかというと画面で何が起きているかを説明する役割で、没入感や世界観などのフィーリングを担うのはほぼ音でした。
音には空間を支配する力があります。
DTMができる 兄 にシンセサイザーやドラムなど楽器の音素材をたくさん作ってもらい、さらに自然や街の環境音素材をサンプリングして、プログラムでリアルタイムに鳴らしました。
音の再生速度やミックスは、ビジュアルと同じく、人の動きに応じて絶えず変化し、2度として同じものは鳴りません。
使用したトラックや音響素材
INSPIRED / ありがとう
最後に、この作品が影響を受けたものを列挙しましょう。
作品は急にオリジナルのものとして現れるのではなく、それまでに作られた作品や生きた人が培った技術や知恵の上に立って初めて生まれるものです。
そもそも言葉を発明した人、音楽を発明した人、映像を発明した人、コンピューターを発明した人が居て初めてこの作品は存在できます。
ものを作ることは、1人で作っていたとしても、過去と現在の多くの人間とのコラボレーションです。
MIND
Christopher Nolan
Olafur Eliasson
星野源
奥山由之
真鍋大度
Porter Robinson
James Terrell
落合陽一
吉岡徳仁
Max Cooper
VISUAL
Olafur Eliasson
James Terrell
真鍋大度
MELT
Zach Lieberman
Memo Akten
Moment Factory
TeamLab
Porter Robinson
The 1975
中村勇吾
黒川良一
大黒デザイン研究室
北千住デザイン
牧野貴
井口皓太
SPIN
Maxime Causeret
Gene Kogan
Blair Neal
Arrival(film)
Interstellar(film)
海獣の子供(film)
Close Encounters of the Third Kind(film)
Annihilation(film)
Blade Runner 2049(film)
Lifelike(game)
SOUND
坂本龍一
山口一郎
Cornelius
Olafur Eliasson
Madeon
The 1975
millennium parade
End of the World
Tyler, The Creator
Porter Robinson
Tourist
TENET(film)
Arrival(film)
海獣の子供(film)
Interstellar(film)
Blade Runner 2049(film)
Midsommar(film)
SYSTEM
坂本龍一 × 真鍋大度 - Sensing Streams
Rhizomatiks - Border
Rhizomatiks - particles
TeamLab - Borderless
最後までお読みいただきありがとうございます。
さらに詳しい内容、他のプロジェクトについてはWEBサイトに掲載しています。
岡本斗志貴
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