国民が見守った10日で完成した建築ーデジタルメディアが生み出した建築の祝祭性
中国設計実務のリアル
中国のコロナ対策のスピード感はこれまでの投稿によって感じていただけたと思うが、このスピード感は分野を問わない。私の中国生活は8年になり、日本でのキャリアをゆうに上回ってしまったため、その差が具体的にどれくらいであったかは忘れつつあるが、私たち設計の世界も中国のスピードは早い。それは当然リアルな実務にも跳ね返ってきて、設計提出までの納期は短く、これは設計者にとってはなかなかしんどいことだ。
中国にきてしばらくはそのスピード感に対応することに苦労した。時に日本人という立場を逆手にとり「日本人は中国人に比べて機能性も考慮に入れた細やかなデザインを行うので...」云々という言い訳を交渉材料に使うこともあった。当然今でも全てのプロジェクトに対してスピード感を持った対応をすることは難しいので、たまにはその言い訳を使うことはあるのだが、中国のデザインのレベルが上がってしまった今それはあまり通用しなくなってきていて、そんなことを言ってばかりいたらチャンスを失ってしまうので無理をして引き受けることも多くなってきた。
まぁそれは結局無茶なスケジュールを言うけれども、なんとか着地する術を身につけているからではある。
「こっちがエンジンかけてスピード感出して対応しているのにクライアント側が社内のイニシアチブ取れず決定が遅れてしまう」とか
「スケジュールありきでデザイン一発OKで調整もなくそのまま着工してしまう」とか結局どこかに着地することは8年もいればわかる。無茶を言われても慌てることはない。人間にできるスピード感には限界がある。ちゃんと真面目に向き合って対応すればいいのだ。
さてコロナ禍での仕事を振り返ってみたい。コロナショックから中国はいち早く経済を回復させたと言われているが、やはり全快しているとは言い難いというのが肌感覚としてある。
私個人としてもコロナ後かなり難しい時間を過ごした。それもあってコロナ後の商談は一つ一つ慎重になった。その商談はなかなか難しく相手も不況であることを利用してこちらの足下を見て、交渉してくることも多かった。
その中の商談の一つ。
ある一人のクライアントがこんなことを言ってきた
「中国人は2週間で病院をつくったんだぞ!」
そう言って納期を短縮するように交渉してきたのだ。
この2週間でできた病院というのは新型コロナウイルスの重病患者の入院施設となった「火神山医院」。今回はこの病院についての話。(※1)
※1 参考:新型コロナVS中国14億人
10日で建設された火神山医院
旧正月休暇が始まる1月24日の一日前23日に武漢がロックダウンされ、全国各地の繁華街・観光地が一斉に閉鎖。旧正月前も武漢でのコロナウイルスの拡大はニュースで聞いていて、深刻な問題であることは理解していたものの、まだ武漢以外の地域では少し他人事であったような気がする。例年の旧正月前の浮かれムードは変わらずにあったものの、23日のロックダウンにより一気に緊張感が増し、全国的な問題であることを突き付けられた。故郷に帰ることをあきらめざるを得ない人もいて、多くの人が自己隔離を始めたのがこの頃。街にも人がいなくなり、沈み切ったムードは見たことがないものだった。そんなムードが漂う中、1月25日一つのニュースが入ってきた。
「武漢に病院を10日で建設」
中国にいると”とんでもニュース”が日常的に入ってくるので、これを聞いても驚くまではいかないけれど、娯楽が少なく暗いムードであった中で興味の惹かれるニュースであった。
この病院の概要は以下の通り。
名称:武漢火神山医院
立地:湖北省武漢市蔡甸区知音湖大道
オープン日:2020年2月4日
建築面積:3.39万㎡
病床数:1000床
交付时间:2020年2月2日
敷地面積:约5万㎡
感染が拡大し、医療崩壊が起きつつある状況での対応であるため、単なるポーズではしょうがない。わりと規模の大きく、設備の整った病院。
日本のネット上ではアウシュビッツ的な強制収容施設なんじゃないかみたいな声もあった。収容施設のような簡素さがあることは間違いないが、そこには5GやAI最新鋭の技術が導入されている。ファーウェイはこの火神山医院に5G基地局を設置した。火神山病院や同時期に雷神山医院だけではなく、ファーウェイにより武漢の病院のほぼすべてが5Gネットワークでつなげて見せた。
これが最先端医療を助け、
・5Gサーマルイメージ体温測定システム
・5G仮想現実(VR)感染遠隔診療の開通
・5G高精細リアルタイムライブ中継
・無人スーパー(※2)
など様々な技術が導入された。火神山病院では北京の解放軍総病院病院と接続。リアルタイムの遠隔診療のシステムを構築した。(※3)
※2火神山医院の無人スーパーは前回紹介
※3 解放軍総病院と火神山医院、初の5Gオンライン遠隔立会診察を実施
火神山医院の設計と建設過程
さてこの建築をどう短期間で実現したのか。
前述の「中国人は2週間で病院をつくったんだぞ!」というクライアントに対して私は反論した。その概要を事前に知っていたためだ。中国といえど、無計画にこのプロジェクトを実現できるわけでもないし、何か特別な飛び道具を持っているわけではない。
「SARSの流行時、北京に1週間で建設された専門病院”小湯山医院”をモデルとし、小湯山医院の設計チームが17年ぶりに召集」
面白味はないが、これがシンプルな理由。
小湯山医院
この小湯山医院こそ準備が少ない状況での超短納期の驚きのプロジェクトだが設計を進めながら、横で現場が進んでいるという状況だったようだ。施工会社は5社に分割発注していたため仕様もバラバラ。
行き当たりばったりでまさに中国らしい進め方だ。
この突貫で進められた小湯山医院の設計の主なポイントは3つ。
①プレファブ病室中廊下プラン
②平屋
③感染病状レベルによるゾーニング
これにより設計の簡便化と安全性の確保を実現している。
小湯山医院の3つの設計のブラッシュアップし、計画的に進めた火神山医院。これはこの間17年の中国の進化とも言えるのかもしれない。
では火神山医院でブラッシュアップされたポイントを簡単に整理(※4)
①火神山:H型配列プラン(←小湯山:プレファブ病室中廊下プラン)
Hの平行する日本の線にプレファブの病室が中廊下に並び、それを繋ぐ中心の線に管理機能を集中させた。
小湯山医院同様に規格化されたプレファブによって構成されている。
②火神山:2階建て(←小湯山:平屋)
火神山、小湯山共に病床数は1000床だが火神山の方が建築面積は大きい。
どういった設計与件があったのかは不明確だが、火神山では二階建てのプレファブ積み上げによってこの規模を実現している。
火神山/敷地面積:约5万㎡/小湯山/敷地面積:约4万㎡
火神山/建築面積:约3.4万㎡/小湯山/敷地面積:约2.5万㎡
火神山/病床数:1000床/小湯山/病床数:1000床
③火神山:感染病状レベルによるゾーニング
以下の3つの区域によって分けられ廊下によって隔てられている。
清潔区:防護服なしで自由に行き来可能な区域
半汚染区:医療従事者が防護服を着用する区域
汚染区:患者さんのいる区域
病室へは医療従事者が使う半汚染区、患者さんが使う汚染区それぞれの廊下からアプローチできるようになっている。
※4 参考:火神山医院設計説明
こうしてSARSの頃に実現した小湯山医院のノウハウを用いることによって...とは言っても変わってる部分もかなりあるので、すごいことなのだけれど以下のような工程で実現している。
60人チーム60時間で施工図まで提出/提出から10日で竣工
1月23日:
午後|キックオフ。60名の病院設計経験のあるチームを組織
夜|5時間で現場図面完成
1月24日:
午後|24時間で提案図面提出&承認
深夜|第一回現場会議/工事開始(土壌整備・基礎工事)
1月25日:プレスリリース
1月26日:
深夜|60時間で施工図提出
1月29日:基礎工事完成/病室プレファブ設置開始
1月30日:建て方工事開始
1月31日:強電弱電工事開始
2月1日:強電弱電工事完成
2月2日:竣工
2月4日:使用開始
建設現場ネット生中継の盛り上がりが示すこと
1月27日よりこの建設過程がネットによる生中継により公開されたが、思わぬ現象を生み出した。
淡々と建設現場が流されているだけなのだが、中国の人口14億人ほぼ全員が外出に制限がある状態であったこともあり、人気コンテンツとなったのだ。竣工時には80000もの大量のコメントが寄せられ、そのライブ感はある種のエンタメであった。
淡々と流される現場の風景
https://v.qq.com/x/page/x3058aaqchu.html
プレファブによって構成され極限まで簡潔につくられた無味な建築・世界全体を巻き込むほどの感染力を押さえ込むことを目的とした無菌な建築が祝祭性を持った建築のように見えた。
完成していない未完の建築。またこの建築は既に役目を終え、病院としては4月15日に閉院している。この建築にこれほどが目が向けられるのは、それほど自宅籠城でやることがなかったといえばそれまでだが、建築に携わる人間としてはこれもまた特殊な状況に思えた。
祝祭的な建築といえばオリンピック・パラリンピックや万博などの国家イベントに付随する建築が思い出される。オリンピック・パラリンピックが延期になるような状況でないコロナウイルスとは無縁の世界でなければ、火神山医院はなく、今まさにパラリンピックの開催期間中で隈研吾氏が設計した新国立競技場が世界の視線を集める祝祭的な建築となっていたはず。
その種の祝祭的な建築は建築そのものやデザインもその状況をつくる後押しとはなるが、オリンピックや万博を思い浮かべると「”メディア”との関係」や「”視聴者”の数」というのがその建築を包み、その建築を祝祭的な建築として成り立たせている。
「何万分の一、何百万分の一の人間だけが走ったり、飛んだりして、あとは見物にまわるような"祭り"はつまらない。」
1970年の大阪万博のテーマ展示プロデューサー・岡本太郎は万博より前に開かれた東京オリンピックに対してこう評した。(※5)
岡本太郎は主体的に参加できるものこそが”祭り”として万博に太陽の塔が鎮座するお祭り広場を設えたが、万博もオリンピックと共にメディアの影響力が大きい。東京オリンピックや大阪万博のテーマソングの発売・流行はテレビなどを通じて両祝祭への関心を高めた。また岡本太郎自身もタレントとしてテレビ番組に出演するようにメディアの利用するアーティストでもあった。
そして東京オリンピックの開会式も大阪万博の様子も参加者がアスリートであれ、一般参加者であれ、数万という規模の人数になれば人は郡として看做され匿名的に扱われる。祭りの様子は引いた絵でうつされ建築が画面を占め、祭りの重要なファクターとして建築が存在している。
建築にクローズアップされるオリンピックの開会式
そこから50年が経過したがその状況はさほど大きく変わっていない。オリンピックは今でもマスメディアとの関係が密接でその都視聴者数や放送権料が話題に上がっていて、来年に延期されたオリンピックもテレビによって大々的に放送されることは決まっているし、派手な広告的な演出もあるだろう。中止しなければだが。
※5 参考:都市と祝祭──あるいは来るべき不完全なオリンピックへの賛歌
中国の建築とメディアの今
視聴数
2008年北京オリンピック:国内8億4200万人・視聴率90%(開会式)
2020年火神山医院:8053万人(2月2日竣工時のオンライン人数)
同じ中国で強引ながらオリンピックと火神山医院を視聴者数で比べてみると当然ながらイベントの性質が大きく異なるため比べものにはならない。
10年代は日本も中国もネットの広告費が増大し、マスメディアの広告費が上回り、2020年を迎えた今動画コンテンツが世界的に見ても大きなうねりとなっている。
日本では建築を扱うメディアとして依然として紙媒体が強さを発揮している。ネットメディアの存在感はまだまだ薄い。またSNS等もネタ的に扱われることもあるが、影響力としては既存メディアを脅かすものではない。
一方中国は影響力という部分をみるとその逆である。紙媒体を持たないネットメディアが中国の建築メディアのメインである。それを伝播させるSNSでの影響力も大きく、アカデミックな世界ではなくSNSの世界からスター建築家が生み出されると言っても過言ではない。
いい建築が生まれるためには、そこにいい建築メディアが存在していることが必須である。(中略)(中国の)雑誌社によっては「お金を払うかどうか」聞かれることが少なくない。(中略)(中国の)「広告的な」つくり方に、日本の建築メディアのやり方を当たり前だと思っていた自分は当初驚いた。(※6)
出版当時の07年北京で活動していた建築家松原弘典は建築とメディアの関係、中国の建築メディアについてこのように語った。
ここから13年が経ったが、中国の建築メディアが成熟しないままネット全盛になり「広告的な」メディアばかりになってしまった。ネットメディアは批評性やデザイン性よりもアクセス数を重視し、SNS受けするものを取り上げるようになった。建築家も広報のツールとしての効率性を求めるがために「広告的な」メディアを活用し、そこに求められるデザインをつくるという循環が生まれているように思う。
※6 参考:中国でつくるー松原弘典の建築
火神山医院をあえて建築学的な価値の上で語れば特筆するものはないが、
「コロナウイルスに立ちむかう中国」
「短期間で実現できる中国の技術力」
「過酷な建設現場で働く人民による努力」
などのストーリーが付与されることで、拡散されるべき価値のある祝祭的な建築となった。(※7)この特殊な時期とはいえ、そうしたストーリーがネットで付与されることがなければ小さな記事として扱われる程度のものであったはずである。
火神山医院の建設現場のネット生中継の盛り上がりはこのような中国の建築とメディアの関係の問題点を表している。ただまた一方で新たな建築の受容の仕方も表しているように見えた。
※7 竣工後に作成された演出的なプロモーション動画
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