「痕跡」として存在するということ。
この記事は脱輪さんhttps://note.com/waganugeruが主催する文学サークルお茶代の8月ヒョーロン課題 (「脱輪が直近1ヶ月でnoteに上げた記事の中から好きなものをひとつ選んで読み、夏休みの読書感想文を1000字以上で書け)として書かれた記事です。
以下が課題記事のリンクです。
なお、課題では「感想文を書け」となっていますが、当記事は「感想文」というより、課題記事から筆者が「連想」したことを徒然に書いた文章となりますので、その点をご了承ください。
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ここに一冊の日記帳がある。その日記の中ほどに乱雑に引きちぎられた数ページのすき間があった。
その消えてしまった数ページは捨てられたのか?それとも、日記を盗み見た誰かが奪い、今でもどこかに保管しているのか?そんなことは誰にも分からない。ただ分かっているのは、その数ページがあったという事実だけ。そう、その事実を物語る破られた日記のページという「痕跡」だけだ。
そして、もうひとつ分かっている事実がある。その破られた日記を目の当たりにした「私」という存在だ。この「私」とはこの日記の存在を明かす「証人」であり、破られた日記という「証拠物件」と同じく、日記が棄損された事実を証す「痕跡」なのだ。
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この世界は「痕跡」ばかりだ。
毎朝届く朝刊。新聞を取ってない人にはテレビやインターネットから得る情報。それらの膨大の情報はマスメディアのアーカイブとなる。メディアに載らない机の引き出しに仕舞われていた日記も記録として、「痕跡」として残る。
その日記が破られてもう見れないとしても、破られた痕跡はあり「証人」もいる。あるいは公文書が改竄・破棄されたとしても、不自然に改竄された文書があり、シュレッダーにかけられた紙片があり、穴をあけられたハードディスクがあり、それでもその事実を糾そうとする証人は現れる。
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その「証人」たちは、何も紙の上や電子媒体の上だけにある訳ではない。君が今朝、通勤電車の中で聞いた誰かの他愛のない会話、パワハラ上司の嫌味、それをフォローする先輩社員の優しい言葉。あらゆる言葉は君の脳の中にアーカイブされ、変質し、破られた日記のように途切れ途切れの記憶になり、認知バイアスによって美化され、あるいは誰かを敵と認定し、そのひとを恨み続けるだろう。
それはこの世のあらゆる人間の営為であり、きっと君の飼っているペットや、動物園の動物や、ジャングルの多様な生き物も同様に世界の「痕跡」を刻む営為を日々行っている。
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これらの生きとし生けるものの存在を全知全能の神様は記憶し続けるのだろうか?
およそ137億年前のビッグバンから、いつ来るか分からない宇宙の終わり、ビッグクランチまで。
ただ分かっているのは、僕は君のことを憶えているし、きっと君も僕のことを憶えていてくれるだろう。
たとえ、それがこの宇宙の存在からしたら一瞬だったとしても。
この世界の「痕跡」として。
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