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美の女神とゾンビ - the Second Loveless -

         愛にかかわる罪
 
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 神法 第120条 1項
 
 愛のなきことを成してはならない。人にこれをさせた者も同様とする。
 
 
 

 
 
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         緋川れみ
 
 
「はじめは私も…、ゾンビだって人間なんだから、一緒に付き合っていかなきゃって…、思ったんです。」
 
 れみはそう言った。
 
 昼下がり。
 薄曇りの空が窓の外に見える。
 
 れみはゾンビに占拠された施設から救出されたあと、東ノ国の国家安全を担う機関『国立危機管理研究所』に運ばれた。
 
 救出されたとき、れみの所有物は少なかった。
 
 最低限の衣類と食糧、そしてわずかな貯金。貯金はゾンビたちが起業した『不腐永生銀行』の口座で凍結され、れみが操作できないようにされていたが、裁判所の決定で口座が使えるようになり食糧や住居が手配されると、れみの生活は様々な問題を残していたものの、ようやく最低限と呼べるくらいには落ち着いた。
 
 研究所でれみが案内された部屋には、所長の嘉久志二郎《かくしじろう》と、その手伝いをしている若い研究員の平目進《ひらめすすむ》がいて、れみは置かれていた簡素な椅子に座るよう勧められた。
 
「緋川さん。あの施設で何が行われていたか教えてくれ。」
「ただ…囚われていたとしか。本当に、汚い部屋でじっとしていろと…。ただそれだけ。でも毎日、ゾンビのことを愛していると言え、ゾンビは最も美しいと言えと言われたわ。」
 
「うえ、なんですかそれ。気持ち悪い。」
 平目が変な顔をして言った。
「我々はあいつらの目的を知りたい。何か分からないかな?」
 
 再び平目が口を挟む。
「気持ち悪いゾンビたちのことです。夫婦生活の真似事でもしたかっただけなんじゃないですか?」
「いいえ。決してゾンビは迫ってこなかった。むしろ、毎日、お前は醜い、お前は醜いと言われていたの。」
「えぇ? 失礼な話ですよ。こんな可愛い子に向かって。」
 平目が両手を大袈裟に広げた。
「平目君、少し黙って。」
「あぁ〜、はい。」
 
「ゾンビたちは毎日、何をしていた?」
「何もしない。ほとんど床に寝転んでいたわ。同じ部屋で。」
「逃げられなかった?」
「逃げようとした。でも止められた。ものすごい力よ。」
「ゾンビの目的は何だ?」
 
 れみはそこで少し考えた。
 
「きっと…洗脳。あいつらは、美しいという言葉…っていうか概念を、この世から消そうとしているんです。」
「どういうこと?」
「あの本を読めばわかるわ。」
「あの本?」
「ああ、緋川さんの所持品か。いま、鑑定室に置いてありますよ。」
「持ってきて。」
「はい。」そう言って、平目は奥の部屋に移動した。
 
「緋川さん、すこし休憩にしよう。コーヒーいるかな?」
「ありがとう。」
 
 緋川れみが席を立って、あたりを見渡す。
 
 れみはさっきからずっとガラスで隔てられた部屋の様子が気になっていた。
 
 緋川れみが立ち上がりガラス窓に寄る。
 ガラス窓に、れみの通った鼻筋が映った。
 
 視点を窓の先に移すと、ゾンビたちがいる。
 --------あいつらと同じ…。
 
「大丈夫。あれは管理されている奴らだ。大人しいものさ。」
 
 両手にコーヒーを持った所長が言う。
 
 作業帽を被ったゾンビたちは、うつむきながらモップで床を拭いていた。
 れみが両手をガラスにぴたりとつけて言う。
 
「貴方たちは…何の為にいるの?」
 
 不意にゾンビがびくりと動いて、れみの体が小さくふるえた。
 
 嘉久志が変わらないトーンで言った。
「緋川さん。もう心配はいらない。ここは人間の管理下にあるんだから。」
 
「…うん。」
 
         戦場の記録
 
 -----------------三日前。緋川れみがゾンビの占拠する建物から救出された日。
 
 救出にあたったのは、国防省特殊任務部隊、部隊番号8391『信念を貫いたルーキー』と呼ばれるチームだった。
 
 その時の彼らのビデオが残っている。
 
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 2025.9.21 20:46 ●Rec...
 
 
 映し出されたコンクリートの床はあちこち粘ついている。天井の隙間から泥がこぼれ落ちて床に溜まり、部屋の隅にはシャベルが置いてある。広さは人が10人は入るくらいか。奥にはプラスチック製の事務机と椅子があり、机には乾電池式の小さなデスクライトが置かれていた。明かり取りはない。
 
 椅子に座る一人の女がいた。
 腕を突っ伏して、顔は見えない。
 傍に一冊の本が置かれている。
 
 きぃ
 
 ドアが開き、声がした。
「滑るぞ、気をつけろ。」
 
 部隊番号8391の兵士の一人、山根が部屋に入り、机に伏したれみを見て声をかけた。
 
「民間人か?」
 
 それに気づいて、れみはうっすらと目を開けた。
 
 部隊番号8391の任務は、この施設から民間人を救出することだった。
 
「返事をしろ。」
 兵士は銃を構えている。
「ライトをくれ。」
 後ろの兵士がライトを付けると、部屋は隅々まで照らされた。四方の壁はいずれもガラスで囲われている。ガラスの中には、数えきれぬほどの蛆虫がいた。
 
 れみがゆっくりと起きて、兵士たちを向く。
 
「あなたたち誰?」
「我々は民間人の救出にあたっている。君、名前は?」
「そう…。よかった…。」
「緋川れみ。」
 
 れみが意識を失って倒れそうになると、兵士の一人がれみに駆け寄り介抱すると、れみはまた少し意識を取り戻した。
 
 もう一人の兵士は、れみの座っていた机を調べ、そこにあった本を見つけた。
「これを読んでいたんですか?」 兵士が問う。
 れみがか細い声で応えた。
「ええ、ずっと読んでいろと言われたの…。」
「…誰に?」
「ゾンビたち。」
「何が書かれている?」
「読んで。…あいつらはこれを「絶対なる真実」と言っていたわ。」
 
「重要な証拠になる。」
 兵士がそれを回収した。
 
 そこで、れみの身体がびくりとした。
 
 四方の壁のガラスが割れ、中の蛆虫に隠れていたゾンビたちが現れたからだ。
 
 
 兵士はすでに、緋川れみを中心に、互いに背を合わせて身構えていた。
 
 一体のゾンビが言った。
 
「お前らだれ?」
 
         愛の歪み
 
 
 静かで暗い部屋に、連射のきく散弾銃が激しい銃撃音を轟かす。緋川れみはずっと耳をふさいでいる。
 
 山根は思った。
 
 ------ゾンビ特約保険。ゾンビによる死亡の場合は一千万円が入る。この部隊からお誘いがあったのは、それに加入した直後のことだった。保険に入るのは当然。それが愛を示すということだからだ。しかし妻とはもう半年も会っていない。息子は多分元気だろう。もう会っても会話はない。戸籍に名前が並ぶ、今はそれだけの関係。何もかもゾンビが現れたせいだ。
 
 俺は…ゾンビに勝つ。
 
 ゾンビたちは山根の放つ大量の銃弾を全身に受け、立ったまま動きを止めた。
 
 静寂が戻る。
 
 一人の兵士が、銃の先でゾンビをつついたが反応はない。ゾンビの身体には無数の穴があいている。先ほどの銃弾によるものか、それとも元々あったのか、判別はできない。ゾンビの両目は開かれたままじっとこちらを向いているが、その目は決して何も読み取られまいと、意思を持っているかのよう兵士を睨みつけていた。
 
「どうして…こんな…銃まで。」
「銃規制なら問題はない。何事も既成事実だ。君は助かったんだ。感謝してくれ。」兵士の一人金田がそう言った。
「ええ。それはもちろん…。でも…。」
 
 そこには大勢のゾンビたちが動きを止め、今にも動き出しそうに並んでいる。そのうちの一体を金田が強く蹴ると、ゾンビはその力に従って床に倒れた。
 
「脅かしやがって。」
「速やかに退避しろ。この部屋を焼却する。」
 
 兵士たちは緋川れみを守るようにして慎重に部屋を出ることにした。
 
 兵士の一人山根が膝を落として、いまの戦闘で床に転がったゾンビたちの教典を拾い上げた。
 
「拾ってくれて、ありがとう。」
 ふいに声がして、山根はとっさに身構える。
 
 そこにいたのは一体のゾンビで、両腕をだらりと垂らしたまま、山根と対峙した。
 
 山根とその他の兵士たちが咄嗟に銃を構える。
 
「その本を、返して下さい。」
「動くな。」
「それは窃盗になります。」
「ふ。ゾンビが人間気取りか?」
「我々は人間です。」
「鏡を見ろ!」
 
 山根が素早く放った一発が、ゾンビの頭を打ち抜いた。
 
 しかしゾンビは平然として、ふらふらと身体を揺らしている。
 
 そしてカクカクと顎を鳴らし、呟いた。
 
「貴方は、この弾をお恵み下さった。」
 
「こいつ…、」
「恵みは、愛。」
「何を言ってる?」
「私は、愛を受け止めた!」
「黙れ!」
 
 ゾンビが、げぼらと笑った。
 
「畜生。そのまま狂っていやがれ。」 
 山根がまた銃口を向けた。
 
「いいえ。私、お礼をしなゲれば。」
 
 山根が、ゾンビの喉元が大きく膨らんだのを見たとき、ゾンビの口から飛び出した銃弾は、勢いを何倍にも増して、山根の左肩を貫いていた。
 
「ヅまらないもの、グエすが。」
 
 ゾンビが静かに言った。 
 
 兵士の諸隅 陸《もろずみりく》が、緋川れみの手を引いてゾンビたちの脇をすり抜ける。
 
「ありがとう…ありがとう…」
 ゾンビは両手を広げて、ゆっくりと身体を揺らしながら、近づいてきた。
「ダメだ!走れ!」
 ゾンビが急に素速い跳躍を見せ山根に飛び掛かると、山根はゾンビと絡み合いをして、本を奪った。
 
 ゾンビの力は強かった。
 
 山根は思う。
 
 ----ひと月前まで、俺は只のサラリーマンだった。いや、正確に言えば、ちょい悪が付く。金になる話があると聞いて外に出たが、ふたを開けたらこんな事態とは。しかしいつだって命令は簡単。幾つもの課題を達成した俺たちは、不可能を可能に書き換えることもできる。
 
 横一閃。

「消えろ!!!」山根は吠えた。

 
 ゾンビの首が舞い、ゴロリと床に転がった。
 
 山根が、屈強なナイフを器用にくるりと回転させ、再び懐に仕舞う。
 左肩からの出血は酷い。

 首の落ちたゾンビが膝から崩れてゆく。
 
 山根の視界が開けた。
 
 そこに、再び動きはじめたゾンビたちがいた。
 
 
         英雄
 
 
「走れ!」
 
 隊長の漢ノ本が叫んだ。
 
 山根は時折血が吹き出す左肩を抱え、足元をふらつかせながらその声に応じる。
 
 ゾンビが言った。
「俺たちの方に来て…。」
 
 再びゾンビの体内から放たれた銃弾が、山根の左足をかすめた。動きが遅くなった山根に、ゾンビが一体、また一体と絡んで、抵抗する山根を押し倒す。
 
 ドアの入り口では、漢ノ本が叫んでいる。
 
「山根! 耐えろ!」
「耐えて…見せますよ…」
 
「助けなきゃ!それにあの本も!」 れみが叫ぶ。
 
 漢ノ本は山根を見据えたまま動かない。
 
 山根は、左肩を庇い、まとわり付くゾンビたちに足を掴まれると、手にしていた本を投げた。
「隊長…。その本を頼みます。」
 漢ノ本がそれを手にして山根と目を合わせる。
 山根が耳打つように言った。
「隊長、保険…おりますね。」
 漢ノ本が頷く。
 
 山根はそこで抵抗する力を失ったように、ゾンビたちの中にいちど勢いよく引きこまれ、上半身を残して留まった。表情は、僅かに微笑んでいたようだったという。
 
「耐えろ!」誰かの叫ぶ声がした。
 山根は、だれにも見えないように手榴弾のピンを抜いた。
「ドアを締めて!」山根が叫んだ。
 
「封鎖!」漢ノ本がドアを勢いよく閉じる。
 
 山根の声が轟いた。
「ガス漏れだ!!!」
 
 兵士たちが一斉に床に伏せる。
 
「嘘! ガスなんてなかった!」
 れみがそう叫ぶと、諸隅は、れみの口を塞いで、床に伏せた。
 
 激しい爆発音。
 飛ばされたドアが床に転がった。
 
「どうして…。」れみが震えている。
「これでいい…。これで…良いんだ。」
 諸隅は確かめるように言う。
 
 ゾンビたちは消えていた。
「山根は生きている。俺たちの…心の中にな。」
 
 吹き飛んだゾンビたちの身体が元に戻るかも知れない。れみは感情もなくし漢ノ本と共に出口へと向かった。
 
 
 -----あれから三日。私は救助された。
 
 
         れみの所持品
 
 
 窓から見えた空はいまも薄曇り。
 雲の切れ間は遠く、山肌の奥のところは明るい。
 待てばこちらも晴れるだろうか。
 
 風が雲の切れ間を隠した。
 
 
 国立危機管理研究所は、都心から車で1時間ほどの山裾にあった。
 
 れみは嘉久志から温かいコーヒーを受け取る。
「あとこれ、検査の番号札。16時から。」
 れみが番号札の付いたバンドを手首に巻く。
 
 ゾンビたちの支配する混沌から離れ、一つ一つの物事に意味があることに安堵したところで、れみはようやく自分を取り戻したように思った。
 
 時計は15時をまわった。
 
「所長、これがその本です。緋川さんの救出されたときの所持品の中に…。」
 
 平目が破れた本を取り出した。
 
「ゾンビたちが書いたもののようですが…。緋川さんがいうには、元々、一冊の本だったそうですよ。脱出時にゾンビと奪い合いになって破れたとか。」
「何の本なの?」
「うーん。言うなれば、ゾンビたちの教典。」
 
「…教典?」
 
 所長はその本を手に取った。
 
         ゾンビの書 - 権利宣言
 
 ゾンビの書は、次の宣言で始まっていた。
 
 我々は、醜くない。我々は、ただ世界に生きるものの一つであり、罪を知らず、あるがままにある。我々は、この生を享受したい。そのために我々は、不滅の肉体と、不屈の精神をもち、米がなければ虫を食し、虫がなければ土を食し、土がなければヒトを食す。つまり、我々ゾンビは優れた生物であり、自らの価値観を唯一と信じこれを改めず、生きる権利を独占する。
 
「なんだこれは。」
 
 ゾンビの書を読む嘉久志の手が止まった。
 
         あるゾンビの記録
 
 
 曽比大輔によってゾンビの人権が認められてから、ゾンビは人間社会へ一斉になだれ込み、その多くが職にありついて人と同じ暮らしをするようになった。ゾンビが人を食うことは見られなくなったものの、ゾンビは人と同じくらいの数に増え、トラブルが絶えなかった。
 
 -------都心から1時間ほどの高級料亭。
 
 女将の小島結子は頭を抱えていた。この料亭は、ここ最近満席である。今日も襖を挟んで客室から賑やかな声がする。
 しかし小島は、給仕の伊藤とため息をついていた。
 
「この肉じゃが、ゲロウマ! 俺、もう一皿!」
「俺も! 吐くほど食いたい!」
「てか、俺もう、吐いたから。」
「マジ!? 勿体ね!」
 そう言ったゾンビが床をすすり始めた。
 
「ワッハッハ! もっと吐け!」

 部屋はゾンビたちの嘔吐物で溢れた。
 
 襖の奥では、伊藤から部屋の様子について報告された女将が、眉間に深い皺を寄せる。
 
「伊藤君、お片づけ、ごめんね。」
「いえ。女将が謝ることないですよ。…仕事ですから。」
「本当。ごめん。」
「お客様が楽しんでくれていると思えば…。」
「お客様…ね。」
 
 ゾンビたちの宴は、あちこちで開かれた。
 
 食中毒が流行る季節を過ぎた頃、その料亭はひっそりと暖簾をおろした。

 
         ゾンビたちの愛
 
 
 ゾンビの会議所。
 
 
「表に出ればキモいと言われ、隠れていればキモいと言われる。もう嫌だ。」
 
「俺たちはなぜ、ヒトに嫌われるのか。」
「俺はもう、自信がない。」
「俺たちは、だめなんだ…。」
 
 通夜のようだった。
 ゾンビたちにはいつものことだった。
 
 しかしこの日、一体のゾンビが言い放った。
 
「負け犬が!」
 
「え?」 他のゾンビがキョトンとしている。
 
「いいか聞け。ヒトは、愛を示さないようにしているだけだ。」
「そうか。きっとそうだ。間違いない。」
「俺たちも愛を示さなければいい。それで我々もヒトも同じ。我々はヒトと同じになるんだ!」
「愛を示すな。」
「そうだ。そうだ!」
 
 ゾンビたちは笑いあって、一斉に口から泥を吹き出した。
 
「愛のため、傷つけ合おう。
 愛のため、食らい合おう。
 愛のため、永遠の安らぎを贈ろう。」
 
 ゾンビはもつれ合って、互いに噛みつき、引き裂き、食い合った。
 
「愛を感じるね。」
「感じるね。」
「これが愛なんだね。」
 
 ゾンビたちは、溶け合って、絡み合って、叫んだ。
 
 
「俺たちは、人間に、
 この愛を…
 ------------------分からせてやる!」
 
 
 
         雇用契約
 

 
 同じ頃、ある人間はゾンビを雇用し始めた。
 
 はじめのうちゾンビは工場などでの交代制の仕事をよく任された。ゾンビは疲れを知らない。体調を聞けばいつも絶好調としか言わなかった。共用のものを汚すとかで同僚の人間などとトラブルはあったものの、ゾンビは様々な手で人間に取り入り「憎めない奴」として受け入れられることが多かった。
 
 ある工場でのこと。
 
 ゾンビ一名、岩場工尓《がんばこうじ》、小樵大成《こぎこりたいせい》の三名は、交代制の夜勤をしていた。その職場には共用のベッドがあり、シーツは洗濯が間に合わずいつも汚れている。小樵は、いちど感染症にかかって有給を取ったあと、体調を崩して早退することが多くなり、そのときは小樵の仕事をゾンビが代わりに引き受けていた。しばらくして岩場も同じようになって、ゾンビは二人からたいそう感謝された。管理者の絣公雄《かすりきみお》は、ゾンビの勤務時間ばかり長すぎると法律に引っかかるからといって、三人の勤務時間を同じくらいに合わせて記録した。
 
 人間は、ゾンビたちの強靭な体力と不死を理由に、このような環境で極めて長時間の過酷な労働をさせていた。報酬は最低限のものだったが、人間と共に働くことができ感謝される機会を得られるなどと言って、ゾンビたちは喜んでこの雇用を受け入れた。
 
 実際、ゾンビたちは人間たちに比べよく働き、東ノ国はある種の発展を遂げた。
 
 

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 神界。
 
「ゾンビなんて伝説のなかだけにしてほしいね。」迦琉が無表情で言った。
「まさか、復活するなんて。」
「ゾンビって昔からいたの?」
「ええ。数は少なかったようですがね。」
「あれは人間なの?」

「いいえ、ゾンビは人間ではない。」

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         ゾンビの書 - 愛に関する宣言
 
 
 
 愛は厳に密やかなるものであり、
 
 決して見えてはならず、
 
 決して伝えてはならない。
 
 汝の受け止めたものを全て愛とせよ、
 
 憎まれる声さえ歓べ。
 
 それは愛にほかならぬ。
 
 
         ゾンビ人権法の目的
 
 
 都内。某所。
 
 一人のサラリーマンが帰宅し、テレビをつけた。ゾンビ人権法を制定した東ノ国内閣総理大臣、曽比大輔《そび だいすけ》がインタビューを受けている。インタビューしているのは人気アナウンサーの山本綾菜《やまもと あやな》で、丸い目をひとまわり大きくして、マイクを向けている。
 
 話題はゾンビ人権法の成果についてだ。
 
「またやってら。」
 
 曽比は首相になり3年。ゾンビ人権法も成立させた。トレードマークの蝶ネクタイをつけたスーツになでつけた黒髪で、今日も自信を覗かせる。
 
「私の野望は只一つ。人の世界、そしてゾンビたちの世界、まずはこれを一つにする。そして、世界のどこかにあるという神の世界。その神の世界も、いずれは私が一つにする。どうだ? 3つの世界、全てが共存し活躍する大きな世界! すばらしいだろう。ゾンビ人権法はその第一歩。つまり、それが私の成果だ。」
 
「3つの世界の統一が野望ということですが、それは何のために?」
 
「愚問だ。」
 曽比が太い眉をつり上げて綾菜を睨んだ。
 綾菜が負けじと食いつき、曽比は語気を強めて言った。
 
「天下人となるからには、野望を持たなければならないからだ。」
 
 
         愛の喪失
 
 
 東ノ国 Z市郊外。 佐久間 晢也《さくまてつや》
 
 21時。夕食を終え、コーヒーを飲みながら、俺はテレビを見ている。妻は大手企業で働いていて、この時間はまだ帰ってこない。午前中に新しく届いたベッドを設置したが、そこで娘の枷代《かよ》が飛んだり跳ねたりしている。俺はそれを横目で見ていた。娘のおふざけ。愛すべき我が家。心地よい空気が流れている。畜生。そういっていいはずなのに。
 
 
 ------まただ。激しいフラッシュバック。
        トラウマ…。
        あの医者は言った。
 
        「大丈夫ですよ。
        家族とゆっくり過ごせば、
        きっとすぐに思い出さなくなります。」
 
        嘘だ…。
 
 
 俺は両腕を縛られて、硬い椅子に座らされていた。
 
 目の前に、ゾンビが顔を近づけた。
 
「ほお。君は人間の親か。人間は…子供のことをどう思う?」
「娘をこの腕に抱いて、その安らかな寝息をきくと、世の中の辛いこと、苦しいことは心から消え去り、この娘の為なら私のすべてを捧げても構わないとさえ思います。」
「それを娘に伝えたことがあるか。」
「はい。」
「どのように?」
「…愛していると。」
 
 そこで俺は激しい衝撃を感じ、気づくと椅子とともに地面に転がっていた。
 
「幻想だ!!」 ゾンビが泥をまき散らして叫んでいる。
 
「愛というのは、これのことだ!!!」
 再び、人間離れした力で鞭が放たれる。
 俺は、痛みをこらえ、意識を朦朧とさせ、床を転がった。
「やめてくれ…。どうしてこんなことを。」
「世界に愛なんてものはない。ないものをあると教えることは、愛ではない。」
「いいや…。愛は一人一人の心の中に…」
「考えを改めろ!」
 
 再び激しい鞭が飛び、俺は壁に叩きつけられた。
 
「違う…。これは愛じゃない…。」
 
 次に何が起きたのか、俺は、よく覚えていない。否。思い出さないようにしている。
 
 ------ゾンビは、俺に歩み寄ると、ぎらりとした目を剥いて、勢いよく俺の頭に喰らいつき、頭蓋骨をはぎ取り、俺の脳みそを、両手でゆっくりと引きずり出した。そして、脳みそを捻じり、再びそれを丁寧に収め、頭蓋骨を元に戻した。俺の顎は、カタカタと揺れ、奥歯を鳴らしたんだ。
 
「こ、コ、こレ、が、愛なんダ!」
 俺の声か。うわずった声が轟いた。
 
 そのときゾンビが言った言葉を覚えている。
 
 
 
「その愛を伝えろ!」
 
 
 
 
 ------気づくと娘の笑い声が聞こえた。
 
 窓から街灯の明かりが見える。
 ここは静かな住宅地だ。
 
 そう。俺は愛すべき我が家にいたんだ。
 
 
 ふと目をやると、娘がベッドで飛び跳ねて喜んでいる。
 
「パパ!大好き!愛してるわ!
 キャッチしてね!」
 
 
 
 父と娘の目が合った。
 父が両手を広げる。
 娘は父の腕を目がけて飛んだ。
 
 ------愛は伝えてはならない。
 
 俺はそれが聞こえて、びくりとして背をむけた。
 
 
 ガツン。
 
 
 娘は強く床に頭をぶつけて泣いた。
 俺は冷たい目でじっとそれを見ていた。
 そして言った。
 
「愛はないから。」
 
 
 
 テーブルに投げ出された新聞にこうあった。
 
 -------世界から愛は急速に失われつつある
 

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