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美の女神とゾンビ - the third beauty -
ゾンビの書 — 定義
ヒトはゾンビに非ず。如何なる事情があれどもヒトがゾンビと成ることを認めず。また、汝もありのままにてゾンビには非ず。此書の教えに従いてこそ、汝、初めてゾンビと成る。
正体
知を司る神、弟咫《デジ》はこう記した。
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東ノ国のゾンビ(Z−FE型)の正体は、物質的には泥または粘土のような無機物であり、その生命の原動力はエントロピーである。
人類の形成した電磁場または人間活動により生じたと考えられる温度、電磁場等の各種空間物質量は、人間に管理され典型的なパターンを形成することが知られていたが、人間活動の活発化に伴い、パターン形成効率が高まったことから、秩序は人間界を超えて拡大し、混沌との差異は二極限化した結果、混沌は秩序を瓦解せしむる強大な負のエネルギーを獲得した。
ゾンビの発生源はマイナスのエネルギーによる物理的挙動であるが、ゾンビが疑似生命活動に至った理由、特にゾンビが人型形状を示した理由を記さねばならない。
人間が創造した機構がエネルギー源となり外界のエントロピーの変化をもたらすことはこれまでも知られていたが、現代社会においてはかかる機構の一部が規則的かつ定常的な挙動を示しており、人間の意図しない特定の箇所に、新たな規則性を継続的に発生させることになった。このようなカオスを人類がその生命活動に伴って外界に生ずる中で、言うなれば『規則的カオス』を生んだことで、ゾンビのような疑似生命体は発生した。
Z−FE型が人形形状を示した理由については、人類が目的としてある意志————具体的に言えば人間が存在すること———を専ら是認することで、ゾンビたちは人間以外のものと定義づけられた。例えばゾンビを森羅万象マイナス人間のように表せば分かるように、ゾンビは其れ自身に人間を内在することとなり、人形形状を示すことは半ば自然の成り行きであった。
ゾンビは人類の産物であり、人類が存続する限り、その発生を止めることができないものと考える。人類は、ゾンビ人権法によってゾンビの活動を含めた包括的な管理の道を摸索し始めたが、人類の活動に限界がある以上、いたちごっこを続けることになるだろう。
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「つまりどういうこと?」迦琉が尋ねた。
「つまり、東ノ国のゾンビは、人間がいる限り発生しつづける、物体なんですよ。」
「昔からいたの?」
「そうなんです。数は少なかったようですが。」
弟咫は嬉しそうにそう言い、迦琉は頭を抱えた。
ウツクシモン
かつて、一人の男がいた。名をウツクシモンといった。
ウツクシモンは、思慮深く、いつも人のことを想い、決して人のことを悪く言わず、控えめな性格であった。ウツクシモンはあるとき天から落ちてきた光を拾って、それからよく目立つといわれ評判になった。
あるとき、ウツクシモンが畑仕事から還る途中、目の前を二匹のリスが駆けた。
リスは、ウツクシモンの周りをくるくると回って、じゃれあっているようだ。ふと一匹が動きを止めこちらを向くと、もう一匹もそれに倣った。二匹とも頬を膨らませて餌を隠している。
案内するように走り出したリスの先を見ると、そこに一匹の白い狐が加わり、一度こちらをじっと見て、どこかに逃げて行った。
動物なんて気ままなものだ。
俺なんて、こうも目立っては、こっそり何かを貯めることもできない。ようやく見つけた畑に向いていた土地も、あっという間に人で溢れてしまった。
だいたい人に囲まれることも楽ではない。人につかまって一日が終わることだってあるのだ。女は大勢で何か殺気だっているのに、誰もそれに気づかない。それにあろうことか男たちはそれを見て、その代わりに金は俺の物だという。何が代わりか。
しかしそんな奴らに限って皆、不自然なほどいい奴に見える。
俺はお人好しなのだろうか—————
ウツクシモンがそんなことを考えて歩いていると、道ばたで女が座り込んでいた。その女が怪我をしたというので、ウツクシモンがこれを助けると、実はこの女はゾンビで、助けたウツクシモンを捕えようとする。さらにあたりの地面からゾンビたちが這い出し、一斉にウツクシモンを取り囲んでしまった。
「ウツクシモンよ、出しゃばるな。」
ウツクシモンは驚いた。
「何を言っている。私は君たちの仲間を助けただけだ。」
「嘘をつくな。お前は俺たちの子孫を根絶やしにするつもりに違いない。」
「大袈裟だ。そんな訳がないだろう。」
ゾンビたちは目をぎょろりとさせると、一斉に動きを止め、腕をだらりと下げ、辺りをふらふらと歩き始めた。ある者は寝転がり、ある者は泥を吐き、ある者は再び地面に潜ろうとしている。
「お前たちそれに何の意味がある。」
ゾンビがウツクシモンの声に耳を傾ける様子はない。
「不審な奴らめ。もうお前たちなど知るか。」
ウツクシモンがそう言うと、地面の中からまたゾンビが飛び出し、ウツクシモンは捕えられてしまった。
因縁
「ウツクシモンを殺せ!」
「それほど目立ちたいか!
それならば、
惨めな死に様を晒せ!」
ゾンビ達は、狂喜し、舞い踊った。
「これより美の処刑を行う!」
ゾンビたちは、ウツクシモンを囲み、すべての罪をウツクシモンのせいにして、鳥居にかけ、鞭で打ち、晒しものにした。
そのあいだ、ゾンビたちの怒号と拍手は鳴り止まなかったという。
ゾンビが言った。
「ウツクシモンよ。気分はどうだ。」
ゾンビが、息も絶えんばかりのウツクシモンの身体を打ち、叫んだ。
「無様な姿を晒して何が悪いと言え!」
「なぜそんなことを。」
「ウツクシモン。お前はいま美しいぞ。血へどを吐き、鼻水とよだれを垂れ流し、顔面の腫れ上がった、その姿。そう思わないか。」
「思わんな。」
ゾンビは大きく息を吸った。
「俺たちは、その姿を、美しいと思う!!!」
ウツクシモンは唾を吐いた。
「ふざけるな!」
すかさず、ゾンビの鞭が飛んだ。
「ウツクシモンよ、お前は醜い!」
「だから何だ…?」
「俺たちゾンビをなめるな! 俺たちは、生きることさえ認められなかった、地獄の亡者だ!」
「誰がそんなことを言った…。」
ゾンビたちは聞かない振りをしている。
「これより、公開処刑を執行する。邪悪の徒ウツクシモンは、八つ裂きの刑に処する!美しく正確に、お前の身体をばらばらにしてやろう!」
ウツクシモンの息は僅かであった。
「お前たち、それで満足か。」
ゾンビはにやついて言った。
「いいや。」
ゾンビが2人の人間を引き連れてきた。
ウツクシモンの全身に戦慄が走る。
「人間が美しいと思うものは、この世に残すことはできない。」
「お前が、汚らしい美しさを晒した罪は、お前ごときで償えるものでは無い。なぜなら、それはお前ひとりに留まるものではないからだ。」
そこに運ばれてきたのは、ウツクシモンの両親と妹であった。
「一族みな同罪!!!」
「俺たちが苦しんだのはお前たちの罪!!!
目には目を。
最期まで俺たちを楽しませてみせろ!
これより余興で、
お前たちの一族を、断絶する!!!」
「やめろ!」ウツクシモンは叫んだ。
「そうだ。俺たちゾンビは、お前が惨めに苦しむ姿が見たい!
もっと!もっと苦しめ!」
ウツクシモンの家族は、ゾンビたちに八つ裂きにされてしまった。
「この腕もだめ。
この足もだめ。
この頭もだめだ。」
ゾンビたちは嬉しそうにそう言うと、ウツクシモンたちの身体を鳥居にかけ、やがて満足したように何処かへ去って行った。ウツクシモンの一家は途絶え、体は供養されぬまま土に還り、間もなくその村から人間は去った。
ゾンビたちは言う。
「人間が減ってよかった。」
「ウツクシモンを処刑したのは正解だった。」
「これは大切な事。」
「大切な事は、続ける。」
「続ける。いつまでも。」
「いつまでも。」
「いつまでも。」
ゾンビたちは、村を徘徊した。
人間がいなくなると作物はなくなったが、ゾンビたちはそのあたりの土を食べて暮らした。
白い狐がずっとそれを見ていた。
決意
このとき、美の女神————雪柊が生まれる前の先代にあたる————は、ウツクシモンを救うため地上に降りた。女神が大地に祈ると、ウツクシモンの魂が現れ、美の女神がこれを天界に運ぼうとしたのだが、ウツクシモンはこう言った。
「人間界から離れることはできない。」
「どうして。」
「それは逃げることだからだ。」
「天界は安全です。」
「そうだろうか。奴らを放っておけば、いずれきっと天界までも侵すだろうな。」
「でも貴方がこちらに来れば…」
「俺はこの世界を守りたい。」
美の女神はそれを聞いてしばらく黙ったあと、いちど頷いて、必ず戻ってこれるようにと祈りをこめた折り鶴を、ウツクシモンに渡した。ウツクシモンは笑顔を浮かべ、折り鶴とともに細かな塵になって、人間界に降り積もった。
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天界。
無垢を司る女神『迦琉』と、知を司る神『弟咫』がこの出来事の記録を見ていた。
「ウツクシモンは今どこに?」
「まだ現れません。事件は雪柊さんが引き継いだはずですが。」
「これはひどい事件だよ…。」
「現代の人間に言わせれば人権問題ですからね。」
「このままじゃまた不幸な人間がでる。今度こそゾンビたちを止めなきゃ。」迦琉は言葉に力をこめた。
「刻光が動いてます。」
刻光は、正義を司る神で、神界に届いた妖怪や人間の事件について裁判をする。
——————迦琉は、これはただじゃ済まないと思った。
ゾンビの書 — 美を禁じる事
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美を忌むべし。
美を求めることを禁ず。
美を想うことを禁ず。
美を見ることを禁ず。
美に触れることを禁ず。
美を語ることを禁ず。
美を作ることを禁ず。
美を持ち込むことを禁ず。
美を持つことを禁ず。
美の存在することを禁ず。
美は愛を生ぜず、逆もまた真なり。
疎まれること恥ずるなかれ恐るるなかれ。
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美の女神の説得
部隊番号8390『嵐を呼んだルーキー』がゾンビを制圧し、作戦終了の合図がされると、これを見守っていた雪柊は、東ノ国の西の端まで見ておくことにした。
星の見える夜空。
戦いのあと、何か焦げた匂いももう消える。
逃げ延びたゾンビたちは、雪柊の放つ光が作った影に隠れ、雪柊のことをじっと覗いていた。すると雪柊は気分が悪くなり、しばらく休むことに決めた。
-----------------------近くに天岩戸がある。
天岩戸に着くと、雪柊は開かれていた扉をくぐり、膝の高さまである石をひと払いして、腰をかけ膝を折った。そしてアマテラスに祈ると、扉はゆっくりと閉じた。
すぐに表にゾンビが集まって、そのうちの一人が扉に大きく「天乃醜女《あまのしこめ》」と落書きをした。外からは「うらゃましや、うらゃましや。」とゾンビたちがすすり泣く。
雪柊は、輝く瞳に唇を震わせて、ゾンビたちに訴える。
「羨んでも手に入らないものは誰にでもある。
自分たちの価値を信じて。
自分たちを、もっと愛しなさい!」
ゾンビたちは口を揃えて言った。
「おほ。」
「そうか!」
「俺たちって、最高!!」
辺りを埋め尽くすゾンビたちは、一斉に騒ぎ、飛び出した。
「待ちなさい!」
ゾンビたちは止まらなかった。
雪柊は天岩戸を開けゾンビを止めようとしたが、ゾンビの貼り付けた札から妖怪、安古瓢《あこひょう》が湧いてこれを妨げた。
雪柊の意識は途切れた。
覚醒
「あの女《ひと》の声だ。」
私は目を覚ました。
暗く微睡む世界をどれほど漂ったか知らない。
ただ声を聞いた。…あの女《ひと》が、助けを求める声だった。
その声は…。
悲しみというか…。
怒りはとうに超えて、より深く、
既に諦めに近く…。
思いは果て、
無に至り—————
———————しかし私にしても、身体はもうばらばらの塵で、動かす指の一つもない。というより魂がない。それはゆるやかな波間の遊泳に近いといえばいいか、微かな抵抗もなく、静寂よりも静かで、苦はなく、ただ有るものを有ると知り、有るものもやがて無くなることを知り、最後は無いことを知る意識も消える。
全ては静寂であった。
自らの消えゆくことさえ気づかなかった。
しかし、私はその声に応えなければと思った。
「…ウツクシモン?」
雪柊が目を開けた。
曽比大輔の野望
曽比は、東ノ国の防衛費を投じ、東ノ国の各地に新型レーダー「H−L8」を設置した。H−L8の詳細は国家機密として一般の人々に知らされることはなかったが、このレーダーはこれまで未解明だった物質を検知することで、極めて高い探知能力を備え、いままでのレーダーでは見えなかったものが見えるという。
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「これで我々は第三の世界を手にしたも同然。次に我々は神を捕獲する。三つの世界を統一し、私の第四の世界の幕が開ける日は近い!」
曽比の高らかな笑い声が官邸に響いた。
「ゾンビたちを見てみろ! あんなに元気そうじゃないか!」
ゾンビの乱
ゾンビたちが雪柊の元を去ったあと。
一日目、ゾンビたちは猿のように木々の間を飛び回った。二日目、ゾンビたちは魚の早さで海を泳いだ。三日目、ゾンビたちはモグラより速く地を掘った。最後の日には、ゾンビたちはひときわ高い跳躍を見せ、空の高いところまで飛び出し、見えなくなってしまった。
世界の海は汚れ、
大地は毒で汚れ、
空気は悪臭に満ちて、
街は泥に埋もれた。
大勢の人間がゾンビの食糧になった。
「人を食うって最高!」
美の女神は、天岩戸の中で叫んだ。
「やめなさい! あなたたちは、人を愛し、
共に生きていかなければならないの。」
それを聞いたゾンビは、一斉に首を傾げて去った。
人間界の混乱
ゾンビたちの猛進はとまらず、人を食った数は数えきれなくなり、三ヶ月後にはゾンビたちの数は、東ノ国の人口の八割に達した。
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曽比大輔は言った。
「東ノ国の人口はもうすぐ三億になる。しかし食糧難も起きていない。素晴らしい! これが私のゾンビ人権法の成果だ!!!」
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美の女神の涙
雪柊は天岩戸の中で、胸に手をあてて目を瞑ると、涙をひとすじ流した。涙は岩のすきまを伝い、天岩戸の外に一つの川を作り、結晶は宝石になって川に散りばめられ、星空のように煌めいた。
風はひんやりと、木々を揺らし
星空は碧く、遠く伸びて柔らかに光る
今夜、川は星の瞬きを照らし
煌めきを包んで
女神の涙を運び
ひとすじ
人の街へ向かう
「げぼら!」
ゾンビたちが現れ、川から美の女神の涙を漁り、奪い合った。
一匹のゾンビが涙を鞄に入れようとしている。
隣にいたゾンビが指を横に振ってこう言った。
「粋な所持のしかたは、こうだ。」
ゾンビは美の女神の涙を、鼻に詰めた。
「こうすると、泥が漏れない!」
ゾンビたちは、笑い転げ騒いだ。
やがて涙の川は枯れた。
涙の行方
深夜。
緩やかな風がビルの隙間を抜ける。
ガード下をくぐる道路を、まばらに車が通った。
普段なら多少は人で賑わっている繁華街も、今は人が少ない。
信号機もネオンもあいつらが汚して消えている。
ヘッドライトを点けた一台のリムジンが停まっている。
傍に正装をした男が立っている。
顔は遠くて見えない。
リムジンから女が降りた。
漆黒の衣装と、膝まである長い髪。
女が膝を折る。
長い髪は重力に従ってこぼれ、女は髪が地面に触れぬよう、片手を添える。
女はそこで美の女神の涙を拾った。
傍らで、それを所持していたゾンビがぼろぼろになっていて、男がそれを片付けている。
雨がぽつりと降った。
女が天を仰いで言う。
「雨。」
男が一度動きを止める。
「これだから人間界というのは…。」
女が続けると、男が恨めしそうに言った。
「柳喃様。ですからお止めなさいと。」
「黙りなさい。」
柳喃は、暴力を司る悪魔『不倶戴』が雪柊から奪った力を変えて作った、美の女神のかたわれである。いちど不倶戴の妻になったが、すぐに未亡人となり、それから悪魔の住む世界に与えられた城で暮らしていた。
柳喃は雪柊の涙にふれ、目を細めた。
従者が怪訝な顔をする。
「柳喃様、何か?」
「美の女神の涙が…、枯れた。」
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