第9回【中国経済発展の裏側】
ウクライナ情勢が毎日報道されてる中、一向に態度を表明しない中国。
したたかな国ですよね!中国って…
そんな中という事もあり、今回のテーマは…
今や世界経済の中心とも言えるまで成長した中国。
中国がどうやってここまで経済大国になったのか?
そして、日本はこれからどうしてくべきか。
今回は【番外編】として、約20年中国を見て来た私の目線から、
中国が発展してきた裏側をちょこっと教えちゃいます。
そこには、ブラジルやベトナムも関係してきます。
小難しい話しも入って来ますので興味の無い方はスルーして下さい(笑)
1976年の「改革開放政策」
時の国家主席、鄧小平が中国に”経済特区”なるものを作りました。
その4つの経済特区の中で、特にうまく行ったのは「深セン」でしょう。
その深センが発展した裏には、香港という特別な地域を利用できたから…
更に、広東省の省都である広州市との間に、東莞市という都合の良い街が
あったことも理由に挙げられます。
私は2001年頃から、頻繁に香港と東莞市を行き来するようになったので、
香港と東莞市の間にある深センの「経済特区」の事はよく覚えています。
当時の深セン南部(羅湖区、福田区、南山区、塩田区)は経済特区で”第二国境”がありました。
”第二国境” というのは、香港から中国本土へ入るのが ”第一国境”という意味で、
我々日本人がそう呼んでただけですけど。。。
中国が今、ここまで巨大な経済大国になったのには、
私は下記の3つの政策があったからだと思っています。
①合弁会社制をとった事。
②来料加工廠という税制優遇処置をとった事。
③「発票」と言われる徴税の仕組みを作った事。
まず、①と②です。
1990年代、安い賃金を求めて日本の企業や欧米の企業は、こぞって中国に進出しました。
日本の「失われた30年」は、ここから始まる訳です。
私が社会人になったばかりの頃は、日本の東北地方にはたくさんの工場が進出し、雇用で溢れていました。
若い女の子達が生産ラインで働き、私が居た酒田市の工場は、400人もの若者が働いていました。
工場の駐車場が、赤い軽自動車でびっちり埋まり、まるで中古車展示場の様でした。
雇用が生まれれば、地方から都会へ出て行く人も少ない。
給料も毎年上がる。
子供もたくさん生まれる。
自動車も売れる。ホテルも建つ。商店街も活気が出る。
そんな時代でした。
しかし。。。
多くの企業が中国へ進出したことで、私が居たその工場も閉鎖しました。
今ではサビれた只の田舎町。
ジジババしか居ない過疎化した町になってしまいました。
一方中国では、内陸部の農村を出て、深センの経済特区に出稼ぎに出ればお金持ちになれる!
そういう若者がどんどん深センを目指して出て行きます。
しかし、経済特区に入るには、第二国境を通らなければなりません。
経済特区に入れる人間は、特権階級の一部の人だけです。
経済特区に入れない若者は、深セン北部の特区外か、
その隣の東莞市にある工場で、低賃金で働かざるを得なくなります。
いわゆるこの辺一帯を「世界の工場」と呼んだわけです。
2001年頃の工員の給料は、残業しても月400元(約7,000円)です。
そりゃあ日本企業も中国に進出したくなりますよね!
特においしいのが、②の税制優遇処置です。
香港から無税で材料を輸入し、中国で組み立てて成品をまた無税で香港へ輸出する。
そして香港からは人件費(工賃)だけを中国の工場(来料加工廠)へ支払う。
元々関税の安い香港を通して貿易することで、香港では外貨を稼げるし、
稼いだ外貨を人民元にして中国国内で消費させる。
うまいやり方です!
但し、無税で輸入した材料は、100%製品にして輸出しなければならない
という、厳格な管理も行われました。
もちろん、廃棄物も出るので100%は無理です。
なので、廃棄申請もきちんと税関に申告しなければなりません。
実はこのやり方、ブラジルのマナウス(アマゾン川の中流の街)で1980年代に行われた方法なんです。
中国はそのブラジルの制度を上手く取り入れた訳です。
この辺が中国のしたたかさですよね!
そして今、ベトナムでもこのやり方を、中国と全く同じ制度で取り入れているんです。
次に①の「合弁会社」制です。
当時の中国では、より高い技術を要する業種に関しては、
中国企業と「合弁会社」を作らなければならない法律がありました。
当時は、電子部品や精密機械もそうでしたが、徐々に緩和され、
今では自動車とビールの製造業だけだと思います。
例えばトヨタは、広州自動車と合弁会社を作ってる。
アサヒビールは、青島ビールと同じ工場でビールを作っている。
つまり、日本の技術は中国企業にダダ洩れだった訳です。
これによって、中国では世界中から高度な技術力を得る事になった。
という訳です。
そして最後が③の「発票」(「ファーピャオ」と読みます)です。
「発票」とは、日本で言えば、収入印紙付き領収書みたいなもので、税務署が原紙を発行し、
その発票が無いと、法人間での取引ができない仕組みになっています。
経費を落とすにも発票が必要です。
発票無しにお金を動かせるのは、人件費、つまり給料だけです。
そして日本の消費税のように、中国にも「増値税」というものがあります。
この増値税額も、発票にきちんと記載しなければなりません。
日本では、消費税の納税は年に1回です。
しかも、年商1,000万円以下の会社では、消費税は免除されます。
ところが中国では、毎月増値税を納税しなければなりません。
赤字だろうがなんだろうが、必ず納税が必要です。
零細企業だろうが容赦なく徴収されます。
一方香港には増値税はありません。
発票もありません。
日本と同じように、手書きの領収書で経費で落とせます。
更に法人税も日本同様、赤字の会社からは徴収しません。
なので、香港で儲けて中国には人件費だけ払う「来料加工廠」の仕組みが魅力的だったのです!
ところが。。。
2007年頃だったと記憶しますが、中国は突然、来料加工を段階的に廃止すると表明します。
つまり「独資化」です。
独資とは、その名の通り独立会社を中国に作り、香港との免税での来料加工を止めるという事です。
その一方で、独資化すれば中国で生産した商品を、中国国内でも売って良いよ!
という餌も与えます。
つまり、トヨタなどの下請け企業は、これまで名目上香港経由で部品を卸してしたのに、
独資にすれば直接中国国内で取り引きできるよ!
という事になるわけです。
そういう企業はもちろん仕方なしに独資化します。
独資化すれば、発票で納税義務と中国での法人税が発生します。
100%輸出で良いという企業は、中国での生産を諦め、ベトナム等へ出て行く訳です。
これが中国のやり方です。
技術と外貨という美味しいところだけ手に入れば、後は要らない!
こうして中国は世界の巨大経済大国になりました。
そしてベトナムへ
実は私の今年の目標はベトナム進出です。
しかし、ベトナムの人件費もどんどん高騰していると聞きます。
2030年には、ベトナムの人口は1億を越え、日本を追い抜くとも言われています。
そしてベトナムの最大の武器は、平均年齢35歳という若さです!
この市場に日本は敵うはずもありません。
私は沖縄に住んでみて、つくづく感じているのですが…
沖縄県は出生率が日本一位です。
子供もたくさん居ます。
そして最低賃金が一番低い県でもあります。
下手したら人件費は中国どころか、ベトナムより安いと思います。
これは私の個人的見解ですが…
輸出入の手間や関税などを考えた時、日本はあの時海外に出した工場を
もう一度日本に呼び戻すべきだとずっと考えています。
少子化問題、給料が上がらない問題、就職難、地方創生…
これ全部、日本に工場を呼び戻す事で解決するんじゃないですかね~?
まぁ、私個人の見解ですが。。。
池上彰さんも似たような事言ってましたww
今日お話しした、中国経済の話しは、今度もっと詳しくして、
e-Bookにしようかと思っています。
その時はまたお知らせします!
さて、次回ですが…
ブラジル マナウスの話しが出たところで、、、
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第16章【番外編・雑学】
アマゾン川で見た”ピンクのイルカ”と優しいマナウスの人達
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このテーマを通して、私のブラジル体験談をお話ししたいと思います。
ちょっと小難しい話しを一旦忘れて、旅行感覚で見て頂ければと思います。
でも、少しだけブラジル経済のお話しも入れますので、お楽しみに!
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2022年3月21日
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齋藤 利和