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好きってなに?のおはなし。

わたし、30歳。

「好き」が分かりません。

いや、分からなくなりました。

もちろん、過去に好きな人が出来たことはあります。

お付き合いさせていただいた方もいます。

でも、その頃のように「好きかもしれない」から付き合ったりするなんて出来ない年齢になりました。

これはもちろん、人それぞれ考え方が分かれるのだと思う。

「そんな風に難しく考える必要はない」

と言う方もいるかもしれません。

でも、どうしても次に付き合う方とは将来を見据えた付き合いをしたいと思うし、たぶん人一倍、結婚に対する理想が高いんだと思う。

なぜなら、家族みんな結婚が上手くいかなかったから。

小学1年生のとき、おじさん(母の弟)が結婚した。

初めて結婚式というものに参加した、この時。

オシャレして、ルンルンで参列したのを覚えてる。

そんなおじさんが、約1年ほどで離婚した。

正直、結婚や離婚というものがどういうものなのか理解していなかったけど、「離婚した」という言葉を聞いたことだけは鮮明に覚えている。

そして、それがあまり良い知らせじゃなかったということも、なんとなく分かった。

中学2年生のとき、9歳上の姉が結婚した。

初めて甥っ子が生まれ、わたしは自分の子供のように可愛がった。

学校が終わり、姉がご飯の支度をしている間、甥っ子と一緒に遊んだ。

お腹に乗せて一緒にお昼寝をしたりもした。

とにかく可愛くて可愛くて仕方がなかった。

初めて寝返りが出来たのを目撃したのも、わたしだった。

そんな甥っ子が1歳になる少し前、姉は離婚した。

姉の旦那さんは、わたしの家族と一緒に住んでいた。

自宅の隣に、以前、事務所として使っていた離れがあったので、そこを部屋にして生活をしていた。

ただ、お風呂や洗面所、トイレなどは無かったので、わたしたち家族と共有だった。

きっと、姉の旦那さんは肩身が狭かったことだろう。

姉の仕事は終わるのが遅かったので、旦那さんの方が先に帰ってくることもあった。

そんなある日、姉の旦那さんが、両親に話があると言ってきた。

わたしは部活で疲れて、リビングで寝ていた。

ふと目が覚めると、父・母・姉の旦那さんが話しているのが聞こえてきた。

明らかに離婚したいと言っているのが聞こえてくる。

わたしは咄嗟に寝たフリをして、ただただ話が終わるのを待った。

姉には内緒で離婚したいと言ってきた、姉の旦那さん。

わたしはすごく複雑な思いだった。

悲しいとか、そういった感情ではない。

ただ、感じたことのない複雑な思いだった。

こうして長女の結婚生活が幕を閉じた。

その数ヶ月後、次女が結婚するという話があがっていた。

お腹には子供がいた。

女の子だと分かり、わたしにとって初めての姪っ子だ。

しかし次女は結婚しなかった。

未婚で出産をした。

結婚する予定だったけど、直前で相手側の女性関係が理由で婚約破棄になったと聞いた。

わたしは中学生ながらに「結婚する前でよかったね」そう思った。

約3年後、長女が再婚した。

わたしは高校3年生だった。

1度目の結婚のとき、長女は結婚式を挙げていなかったので挙げることになった。

2度目の結婚式参列。

学生だったけど、三女にドレスを貸してもらい、オシャレしてルンルンで参列した。

長女は、今度は実家を出て、少し離れた市へ住んでいた。

妊娠をしており、出産する少し前に切迫早産で緊急入院が必要になった。

そのため、実家の近くにある大きな病院へ入院することになった。

旦那さんは、実家へ帰省することを反対していたらしい。

詳しく話すと、かなり長くなるので割愛します。

とにかく大反対だったのを押し切って、長女は実家へ帰省。

出産後、自分の家へ戻ることはなかった。

旦那さんと旦那さんの両親が、実家を訪れた。

長女は会いたくないと、その場には立ち会わず、わたしの両親と話し合いが行われた。

なかなか話はまとまらなかったが、結局離婚することになった。

長女、2度目の離婚。

正直、2度目の結婚に関しては、家族みんな反対していた。

それでも押し切って入籍したので、不安には思っていた。

やっぱりな、と正直思ってしまった。

そこから数年、わたしは高校を卒業し、地元の会社へ就職した。

入社して1年が経とうとしていた頃。

ある日、仕事中に母から突然送られてきたline。

「お母さん、家出るけん」

わたしは外回りをしていたので、そのメッセージを見て「はい?その一言だけで何も伝わるかい!」と突っ込んでいた。

昔から変に冷静な人間だったので、あまり動揺はしなかった。

とりあえず文字だけでやり取りしても分からないので、近々どこかで話そうと約束をした。

その日、家に帰ると本当に母は家を出ていっていた。

過去に4回ほど家を出たことがあったらしいが、その時は父に連れ戻されていたらしい。

けど、今回は長女が住んでいるアパートに逃げていた。

後から聞いた話。

母は父に居場所を言わず、長女から離婚するように説得されていたらしい。

わたしも、小学生の頃から母に「早く離婚したら?」と口癖のように言っていた。

今思えば、自営業で父の手伝いをしていた母が、離婚して就職先を探し、4人の子供を育てることを考えると、離婚したくても出来なかったと思う。

ものすごく揉めて、警察のお世話にもなり、本当に大変だったけど、なんとか父と母の離婚が成立した。

わたしが20歳の誕生日を迎えた数日後だった。

たぶん、違う意味で濃い20歳になったと思う。

一生、忘れることはないだろう。

わたしが21歳の時、三女が結婚した。

両親が離婚後、母・三女・三女の彼氏・わたしの4人で暮らしていた。

そして結婚式を挙げた約半年後、姪っ子が生まれた。

子供が生まれると、やはり家庭は賑やかになる。

初めは、上手くいっているように見えた。

その1年後、三女は離婚した。

離婚届と指輪を置いて、母の地元へと逃げた。

話し合いすることなく、手紙を置いて。

もちろん、そんなことだけで済むわけはなく。

色んな人を含め、ファミレスで話し合いが行われた。

最終的に、離婚は成立。

5度目の離婚目撃となった。

この頃はまだ、正直、恋愛に対しても興味はあった。

人に対して「好きかもしれない」という感情を抱くこともあった。

でも、25歳を過ぎた頃から、「わたしは結婚出来ないかもしれない。」

そう思うようになった。

家族からも「あんたは結婚しても120%離婚する」と言われ続けてきた。

「離婚するかもしれないなら結婚しない。」

次第に、そう思うようになった。

30歳になった今、周りが結婚ラッシュを迎え、何度も友達の結婚式にも参列させてもらった。

参列する度に、幸せそうな2人を見て、素敵だなと思った。

わたしもいつか、、

そんな風に思うこともあった。

「人を好きになれない」

そんな風に、わたしは言う。

確かに、「好き」という感情は分からない。

でも、本当は人一倍、結婚に対しての願望が強いことに気付いた。

小さい頃から、両親の喧嘩や、姉たちの失敗を見てきた。

その度に、" こんな風にはならない。"

そう、自分に言い聞かせてきた。

絶対に、わたしは幸せになるんだ。

幸せにしてもらうのではなく、一緒に幸せになる。

そんな人と、一緒になりたい。

何歳になっても笑いあって、高め合って、お互いの背中を押しあえるような、そんな夫婦。

きっと家族に言うと「それは理想でしょ」。

そう言われるに違いない。

実際に、数日前にも言われた。

でも、わたしは絶対に諦めない。

30歳になって、そんな相手さえいないけれど。

わたしは絶対に幸せな結婚をするんだ。

そのためにも、自分自身を磨くんだ。

正解もわからない、そんなわたしだけど。

それでもわたしは、一緒に幸せになりたい人と結婚する。

そう心に決めた30歳7ヶ月の冬。

有言実行するべく、明日からまた頑張ろうと思う。

イライラすることも、悲しむこともある。

負の感情を、上手く浄化できないこともある。

それでも、1分1秒でも多く笑っていたい。

わたしは負けない。

ちゃんと人生に向き合って、自分自身とも向き合っていく。

ご縁を大切に。

日々、感謝しながら。

3連休明け、みなさん一緒に頑張りましょうね。

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