わたしの家族。

わたしの家族は、父・母・姉3人の6人家族でした。

父は、亭主関白代表なの?というほどの亭主関白。

「箸!」といえば箸が目の前に出てきて、
「皿!」といえばお皿が出てくる、それが日常でした。

そんな父が、わたしは大嫌いで、絶対にこんな人とは結婚しない!と心に決めました。

母は、超がつくほどのせっかちで、感情的になると誰も手が付けられないほど。

心と時間に余裕がなかったのか、イライラしていることが多かったです。

父は、母が出かけると数時間おきに連絡。

「どこいるのか?」「何時に帰ってくるのか?」

そんな父に言いなりの母にも、わたしは多分、子どもながらにイライラしていました。

父に束縛される母と一緒に出かけるのは難しく、たまに一緒に買い物に行けたかと思えば、またすぐに鳴る携帯電話。

「もう少し一緒に買い物したかったのに。」

心に仕舞った幼い頃の本音。

わたしは父のことも、父に言いなりの母のことも、さらに嫌になりました。

9歳・6歳・5歳上の姉3人と、わたし。

4人姉妹の末っ子で、わたしだけ年が離れていたこともあり、小さい頃は交代でお風呂に入れてもらっていました。

とても仲の良い4姉妹のはずでした。

そうであってほしいと、思っていました。

9歳上の姉は、わたしが小学校低学年のときに高校生で、母親代わりのように可愛がってもらいました。

中学校のお弁当は、母に作ってもらえなかったので、自分で冷凍食品や炒り卵などを作って持っていっていました。

でも、遠足の日だけは、長女がキャラ弁を作ってくれました。

誰かに作ってもらったお弁当が本当に嬉しくて、みんなから「すごい!」と言ってもらえるのが嬉しくて、長女には心の底から感謝しています。

次女は、いわゆる元ヤンというやつで、地元ではちょっぴり有名だったようです。

警察とお友達なの?ってくらい、仲良く帰ってきた日もありました。

補導されるたびに、父と母は大激怒。

怒鳴り声で目が覚めた、ある日の夜中。

ドアの隙間からリビングを覗くと、そこには次女を見下ろす父と母。

言葉では上手く表したくないほど、6歳くらいだったわたしにとって衝撃的な光景でした。

泣きながら、その姿をじっと見つめていました。

そんな次女は、長女といつも喧嘩をしていました。

女の口喧嘩って怖い!と、本気で思った中学生時代。

三女は、1番近い存在で、5歳も離れていたけど仲良しでした。

一緒に遊んだり、いつもバスケを教えてもらっていました。

三女が高校生になると、思春期に突入。

わたしが三女の試合を見に行くだけで、ものすごく嫌な顔をされていたのを覚えています。

姉の友達には、ものすごく可愛がってもらっていたので、ちやほやされてルンルンでした!

わたしが高校生になると、立場は見事に逆転。

思春期に突入したわたしは、三女にいつもキレていたそうです。

大人になった姉は、高校生のわたしが可愛かったようで、いつも絡んできていました。

同じ部屋を共有していたこともあり、姉の友人が泊まりに来るのが本当に嫌で仕方がありませんでした。(笑)

そんな苦くて甘いような、よくある姉妹喧嘩のおはなし。

年始だけは4人で集合写真を撮る!というのを、数年前に始めました。

でももう、それは叶いそうにありません。

少し前に、長女と三女(母含む)が、もう関わらないと連絡が入りました。

先日、長女と次女が喧嘩をして、もう関わらないと連絡が入りました。

上京して約半年。

わたしの知らないところで、どんどん崩れていく家族。

17歳のときに一度、崩壊した家族。

二度目は、わたしが19歳のとき。

そして三度目。

わたしは幸せな家庭を築きたい。

そう心に誓った30歳と6ヶ月。

人を憎んでも、羨んでも、良いことなんて何にもない。

笑って過ごす時間は多いほうがいい。

嬉しいことを共有し合えるような、そんな家庭を作ることが夢です。

自分の家族では叶えられなかったけど、幸せは自分の手で掴みたい。

今は、自分自身を磨くことを徹底したいと思います。

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