大山のぶ代ドラえもん徒然
大山のぶ代さんの訃報に接して筆を取っている。
ファンアートが売名と叩かれていたので、この記事も売名と叩かれるかもしれないけど、いいよ。
オレはオレの気持ちを知ってるから。
ドラえもんの声優陣が刷新されてから、19年が経つそうだ。もうそんなに経つのかと、時の流れの速さと自分の老いを感じている。
我々と同じ世代にとっては、ドラえもんの声というのは、大山さんであり、小原さんであり、野村さんであり、たてかべさんであり、肝付さん達を筆頭に、旧キャスト陣である。
国民的アニメと言われるように、ドラえもんは映画もアニメも山ほど観てきた。
旧キャストの映画なんてほぼ全部観てんちゃうかな。
大山さんの状態が芳しくないのは、結構有名な話で、随分前から言われていた事だ。
歳年を考えても、致し方ない部分もあっただろう。
かつては、わざわざご冥福をお祈りする旨を表明するのにも違和感を覚えたものだけど、今は些末な問題だと感じている。
大切なのは、心の在り様なのだと。
最近は、大山の声に超似てる一般の方も有名だけど、最近ではめっきり聞く機会のなくなってしまった大山さんのドラえもんをもう聞けないという事実は、やっぱり寂しいものだ。
ドラえもんという作品は、恐らく、大々的にキャスト陣が刷新され、大きく話題になった初めてのアニメだったように思う。当時も今も、「旧キャストがドラえもん」「新キャストはドラえもんではない」
という意見を耳にする。
前者は同意。やっぱり、リアルタイムで観ていた、聞いていたあの声が、我々にとってのドラえもんなんだ。
だけど、後者の意見を見ると、当時も今も残念な気持ちになる。
アニメっていうのは、元来は子ども向けのコンテンツだ。
今でこそ、サブカルが市民権を得て、老若男女問わず楽しまれ、また楽しまれる事が是とされている。
我々オタクにも生きやすい世の中になったものだ。
でね。
ドラえもんは、子ども向けアニメだと思うんですよ。
別に大人が観てもいいよ。だけど、本質的には子ども向けコンテンツなのだと思う。恐らく藤子先生も、子どもの為に描いた作品だったのではないかと思う。
とすれば、アニメや映画は、その時代を生きる子どものものであるべきだ。
今の19歳以下……成年引き下げされたから、つまるところ今の未成年は、産まれた時から水田わさびさんのドラえもんで育ってきた世代なんだ。
彼らにとっては、水田わさびさんのキンキンした底抜けに明るく元気なドラえもんがドラえもんで、ガラガラした親しみと安心感のあるドラえもんの声は、昔ドラえもんをやってたらしい声でしかない。
保護者が昔のアニメや映画を観せていて、大山ドラえもんにした親しみのある子もいるかもしれない。
だけど、基本的には、水田ドラえもんが今のドラえもんなんだ。
それを、昔の感傷を持ち出した大人たちが、先述のように「ドラえもんじゃない」と否定してしまうのは、子ども達のドラえもんを否定する事にもなってしまうのではないか。
芝居を齧った者の端くれとして、キャスト交代については、色々と思うところがある。
ドラえもんがそうだったように、やはり親しんだキャストの交代というのは、大きな関心事だ。
新キャストは、国民的アニメのキャストを担当するという覚悟、そして往々にして批判される覚悟をもって、新キャストに臨んでいるはずだ。仕事だから、実績や知名度の為という安直な理由では、こんなに重い責任を抱えられないと思う。
だからこそ、新キャストの皆さんの覚悟や使命感に、敬意を表さずにはいられない。
きっと、新キャストの皆さんも、大山さんの訃報に触れて、少なからずショックを受けていると思う。
我々と違って、彼らは実際に、大山のぶ代という役者を知っている人達なんだ。
大山のぶ代さんは、近年(と言っても20年前とかだけど)はドラえもん以外の仕事をほとんどしていないはずだ。モノクマとかはちょっと有名だけど。
色々と理由はあるのだと思うけど、一説として、大山のぶ代=ドラえもんというイメージが大きく定着していたから、子ども達のイメージを壊したくないというご意向を聞いた事がある。
真偽は定かでないが、間違いなく言えるのは、我々……少なくともオレにとっては、大山のぶ代=ドラえもんであり、逆もまた真だという事。
キャストをキャラクターを混同するなと言われるかもしれないけど、それはムリだよ。
だって、オレにとってはやっぱり、大山さんのあのガラガラ声が、ドラえもんなんだもん。
ドラえもんはこれからも、今の、未来の、22世紀の子ども達の中で生き続ける。今後もキャストが変わる事があるかもしれない。
だけど、オレにとってのドラえもんが、今ここで1つの区切りを迎えたのは、オレにとっての事実。
寂しいよ、ドラえもん。