1995年1月17日

阪神淡路大震災から26年が経ちました。

26年前の今日未明、私は大震災の夢を見ました。その夢はまるで現実のようで、とても恐ろしく、目覚めた時に「ああ、夢でよかった」と思ったほどでした。でもその後、テレビで神戸の街の惨状を見て、「夢じゃなかったんだ・・・」と愕然としました。いわゆる予知夢だったのでしょうか。後にも先にもそのような夢を見たのは、あの日の一度だけです。

阪神淡路大震災から12年後、私は結婚して大阪に住み、芦屋の友達のパン屋さんで働き始めました。パン屋さんの顧客には長く芦屋に住むおばあちゃまもいらっしゃり、私はそのおばあちゃまに大震災のことを伺ったことがあります。おばあちゃまは「この辺りも酷い被害でね…。あれから新しい建物がたくさん建って、今では想像もつかないわね。」とおっしゃいました。たまに車で大阪から神戸まで阪神高速を走りました。この高速道路があの大震災で横倒しになったなんて本当に信じられない、と思いながら…。


あの大震災を体験した人々の中には、大震災が人生の転機になったという方が多くいらっしゃるようです。昔、藤原紀香さんがテレビでそのようなことを語っていたのを聞いたことがあります。私がインドで知り合った、ポトゥア(インドの紙芝居師)の東野健一さんも生前そうおっしゃっていました。

あの大震災で多くの人が亡くなり、自分も死んでいたかもしれなかった。それで、これからの人生は自分の好きなことをやろうと決めた、と。

東野さんは会社を辞め、昔から好きだった絵を描きはじめ、偶然目にしたインドの紙芝居(紙芝居と言っても、紙を一枚ずつめくるのではなく、絵巻物のようなスタイル)に強く惹かれたそうです。

大震災から2年後、東野さんはインド西ベンガル州シャンティニケトンのある集落に滞在され、ポト(紙芝居)を制作されたり、地元の子どもたちに絵を教えていました。私もその時、旅行でシャンティニケトンにいました。シャンティニケトンに長く住んでいらっしゃる日本人の先生のお嬢さんに誘われて、東野さんの工房へ連れて行っていただいたことがあります。

一期一会の出会いかと思われましたが、それから12年後、私は奈良で偶然にも東野さんのポトを見る機会がありました。実はその時、お名前をすっかり忘れてしまっていたのですが、東野さんのポトを見ているうちに、「あ!1997年にシャンティニケトンでお会いした方だ!」と思い出しました。

東野健一さんとの邂逅のお話は、また後日書きたいと思います。


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