三十五話「ゆりかごのなかで」
お盆だったから。
異様に暑い昼下がりのことだったから。
なにか幻覚をみたのかもしれません。
Kさんが帰省帰りに、とある路線の電車を利用したときのこと。
その日は、昨日から天気予報で報じられていた通り、馬鹿に暑くなった。静かだった早朝の涼しさはどこへやら。あれは油断を誘う罠だったのか。いまや両肩に刺さる日差しすら、重い。
そんな地獄めいた天候のせいか、真っ昼間の駅のホームに人は一人もいなかった。かんかんに照った日差しで白くなった看板、それより先に広がる青空にも、雲ひとついなかった。遠くから聞こえる蝉の鳴き声だけが、念仏のように同じフレーズを繰り返していた。
(これだから田舎の路線は・・・)とKさんが心のなかで毒づきつつ、まだか、まだかと祈るように待っていたところに、やっと電車が来た。
扉が開くと、入ってすぐ前方、日の当たらない向こう側の席へと一心不乱に歩みを進めた。
腰を下ろしたところで、冷房が弱く、辺りを漂う生ぬるい空気に落胆すると同時に、前方の席一列を陣取っている集団に目を奪われた。
それはどこかの葬儀での帰りなのか、喪服を着た老若男女の一同だった。
どことなく葬儀の帰り道を思わせる和やかな雰囲気があり、緊張感から解放されたためか、各々が隣の席の者と談笑していた。
暑さでぼーっとしていたKさんには、彼らがどんな話をしていたのか、いまでは全く思い出せないのだという。ただ、(こんな馬鹿暑い日に喪服とはご苦労なことで・・・しかし、いったいどんな方が亡くなったのか・・・)などと妄想を張り巡らせていた。
老人から中年、そして若者までが参列する葬式となれば、単なる知り合いが亡くなったのではなく、本家の人間だったり、非常に高齢でいろんな親戚にお世話になった者だったり、そんな親戚の方が亡くなったのだろう。
ふと、自分の記憶のなかの葬儀のことだったり、将来避けて通れない肉親の葬儀を考え始めていたときに、横滑りする扉の音がした。
右側の連結部分の方に視線を向けると、自分と葬式帰りの一同しかいない車両に移ってくる者の姿があった。これもまた喪服姿をした若い女性で、穏やかな顔をしている。
そして、田んぼと青空、山景色しか写さない窓、そこから差し込むあの日差しに照らされた彼女は、これまた黒い乳母車を押していた。
彼女の姿をみた向かいの一同が一斉に「○○ちゃん!」と声をかける。
その聞き取れなかった名前の彼女は、笑顔で親戚に挨拶を返す。そして、がたん、ごとん・・・と揺れる車内で、か細い体をつかって乳母車を押しつつ、なんとか連結部分を通り越した。
その間、親戚と思われる向かい側の者たちは、誰も彼女を手助けしなかった。
そうして、こちらに近づいてくる彼女から目を離そうとしたとき、周りの景色が暗くなった。それと同時にKさんは耳鳴りに襲われた。
いつも使うこの電車の路線上にはトンネルがあり、そこで耳鳴りに合うことはたしかに時々あった。
しかし、そのときのKさんが味わった耳鳴りは、いつもの比ではなかった。
耳元を抑える彼女をまえに、車内の電灯に照らされた女性が、日除けを下ろした乳母車を押してくる。
そして一同の前までくると、日除けをあげて、その中身が露になる。しかし、耳鳴りで頭を下げているため、乳母車を押す女性の下半身と、そのなかを覗き込む喪服姿の人しかみえない。
すると、座席の一番右側に座る老人の顔はぱっと笑顔になって
「おぉ・・・××ちゃん、元気にしとったかぁ」と、乳母車のなかに声をかけた。
そのまま女性は歩みを進み続ける。目の前の乳母車を覗き込んだ老若男女は
「××ちゃん!」
「××ちゃんも大きゅうなったのう」
「あぁ!ほんに××ちゃんは可愛ええのう」
などと声をあげる。
そしてまた、乳母車の方を見つめながら楽しそうに談笑し始めるのだが、この“××ちゃん”という名前も、その談笑の内容も、耳鳴りのせいか霞掛かったように聞き取れない。
気づけば女性は一番左端まで乳母車を進めていた。そのまま通りすぎるのかと思いきや、踵を返した。
そして、そのまま自分の方に向かってきた。
いつまでも続く耳鳴りのなかに、キュルキュルと地面を擦る乳母車の車輪の音が加わってきた。
このままでは、あの“××ちゃん”というのが見えてしまう。
なぜかは分からない。ただ“それだけ”はみたくない。
なんとか視線を反らそうとしたそのとき。
後ろから両手で頭をそちらに向けられた。
そこには、びっちりと詰まった白い百合のなかから、これまた一段に真っ白な赤ん坊の寝顔があった。
明らかに眠っているようにみえない、ぐでーっとした姿勢、その口の端を飛び回る一匹の蝿が見えた・・・ような気がするという。
Kさんが気づいたときには、トイレの個室で嘔吐していた。
ふらふらの状態で出てみれば、そこは目的地としていた駅のトイレだった。
冷えきった体に、都市部の騒がしさと、あの暑苦しさが染みて、不思議と安堵したという。
Kさんが、田舎と乳母車を嫌うようになり、移動は車中心になった、そのきっかけの話である。