『ジャズって面白いでしょ?』って話
ソニー・クラークの名盤
『クール・ストラッティン(1958年1月5日録音)』
ジャズ・ファンでなくても このジャケットには見覚え 聴き覚え があるのではないでしょうか?
当時 このアルバムは 日本で大人気だったようですが 本国アメリカでは2000~3000枚程しかプレスされず 売れたのはその半分にも満たないと云われています
アルフレッド・ライオンの証言
「日本でのアルバムの注文が多かったのは、分かっていた。どうしてそんなに売れるんだろうと、首を捻ったものだよ」
ソニー・クラークは アメリカでは全く無名だったんです
本国アメリカと日本の違い
アルフレッド・ライオンは ソニー・クラークを高く評価していて ホレス・シルバーの後釜サイドメンにしました(その後 数多くの名盤に参加しています)
しかし アメリカでは
『ライブがあって』⇒『人の目に触れて』⇒『その評判がレコードの評価』
という流れが普通でしたので ライブ・ステージにあがるチャンスの少なかった ソニー・クラーク の評価は まだこれからというところだったのでしょう
その点 LPでしか聴くことの出来ない日本での人気が先だったのは?
日本のジャズ・ファンの確かな耳 ということでしょうか?
「日本人気質にあっていた」 のでしょう
世間からの評価を知る前に
ジョニー・グリフィンの証言
「彼は有名になる前に、この世を去ってしまった。同じころ、ニューヨークで活躍していたミュージシャンですら、ソニーの事を直接知っている人は少なかった。これからという時になって、彼は死んでしまったんだ」
1963年1月13日 ソニー・クラークは ヘロインの過剰摂取により他界(享年31歳)
1980年代になって 日本での人気が逆輸入されて『クール・ストラッティン』は アメリカで再評価される事になりました
ニューヨーク・タイムス紙は
いつまでも残るハードバップのクラシック (enduring hard-bop classic)
と評しました
「世界で最も有名な女性の脚」は誰か?
このアルバムのジャケットデザインについて打ち合わせた時の話
<通説>
撮影者は フランシス・ウルフ
デザインは リード・マイルス
なかなかいいアイデアが出ず、昼食のためにレストランに向かった途中で 女性アシスタントに歩いてもらい撮影した1枚が使われた
<アルフレッド・ライオンの証言より>
リード・マイルスのオフィスで このアルバムのジャケットデザインについて話し合っていて 少し休憩しようということになり マイルスのアシスタントの女性を伴って食事に出た時の話で
するとマイルスが急に「ちょっと待ってくれ」と言い出し、慌ててオフィスに戻ってカメラを取ってきた。そこでアシスタントが歩く姿を何枚か撮影したんだ
<アシスタントではない説>
現場で忙しなく動かなければならないアシスタントが わざわざヒールのあるパンプスとワンピースを選ぶのは不自然ではないか?
アシスタントではなく 撮影に付き添っていた アルフレッド・ライオンの二番目の妻となる ルース・メイソン ではないか?
ルース・メイソン は ラジオ番組のDJをやっていて ブルー・ノートのレコードばかりを掛けたために首になった(?)頃に アルフレット・ライオンと出会い ブルー・ノートの広報担当になり その後結婚しました
1960年 ザ・スリーサウンズのアルバム『Moods』のジャケットは
ルース・メイソン です
睫毛にマスカラ 唇にはルージュ そして 恍惚とした表情
ルース・メイスン が 「世界で最も有名な女性の脚」「世界で一番愛されたブルー・ノートの女」 という説が 最有力説になりました
遂に真実が明らかに
遂に 撮影時の映像が発見されました
ご覧ください
前述の 『日本人の気質にあっている』 が証明されました
『クール・ストラッティン』は20以上のヴァージョンがあった!?
この記事の通り このアルバムには20以上のバージョンがあったんです
そして よく見ると
当時は
踵が開いているタイプのストッキングが流行っていたのか?
という 更なる疑問点が 見つかって いきました