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1980年のロック界 衝撃的な事件に始まり衝撃的な事件で幕を閉じた


1月

The Clash - London Calling


The Crashの2枚組アルバムが1月第1週にアメリカで発売された。
(イギリスでは1979年12月発売)


1980年1月16日


厚生省の麻薬取締官らは日本公演のため、成田空港に到着した元ビートルズのメンバー、ポール・マッカートニー(当時37歳)を大麻所持で逮捕、東京・中目黒にある関東信越地区麻薬取締官事務所に連行した。

9日間の拘留期間を終えて1980年1月25日ポールは強制送還され成田空港を飛び立った。

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フィリピン・マニラ拳銃密輸事件で仲間の一人を殺害した瀧島祐介氏が、留置所で

「ポール!♬ イエスタデイ ♬ プリーズ」

と声をかけたところ

「OK!」

と叫んだ直後、冷たい床の板を手と足で叩き、リズムをとり始めた。
そのリズムたるや最高であった。
(瀧島祐介・著『獄中で聴いたイエスタデイ』より)



真偽の程は定かではないが、外交上の問題までに発展するのを恐れた政府の対応策のひとつとして、超法規的措置で、逮捕はおろか80年にポールが入国したという事実さえ法務省や検察庁の記録から抹消されているからという説もある。


2月

ビルボード年間チャート第1位:Blondie - Call Me

映画『アメリカン・ジゴロ』の主題歌「コール・ミー」が米英ヒットチャート1位を獲得


3月

『デューク(Duke)』

ジェネシス10作目のスタジオ・アルバム



4月

Paul McCartney - Coming Up

ポール・マッカートニーのソロアルバム『マッカートニーII』の先行シングルとして『カミング・アップ(Coming Up)』発売。



5月

5月24日:JOC(日本オリンピック委員会)総会で、モスクワ五輪のボイコットが決定


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ソ連のアフガニスタン侵攻に激しく抗議するアメリカは、西側諸国にオリンピックのボイコットを呼びかけた。

オリンピック精神(スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること)を重視するとして、英国、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどの西側主要国は参加を決定した。

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6月

The Rolling Stones - Emotional Rescue



『The Game』 Queen 


7月

『バック・イン・ブラック(Back in Black)』

マイケル・ジャクソンの『スリラー』、イーグルズの『イーグルス・グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』に次いで世界で3番目に売れたアルバム


9月

『ホッター・ザン・ジュライ(Hotter than July)』


10月

『ザ・リバー (The River)』



11月

『ガウチョ(Gaucho)』


11月17日

『ダブル・ファンタジー (Double Fantasy)』



ジョン・レノンにとって5年ぶりの音楽業界に復帰する記念すべきスタジオ・アルバム。
妻オノ・ヨーコとの共作で、それぞれが収録曲の半分ずつを作曲し、ほぼ交互に収録。

1981年度グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞


12月

12月8日22時50分ごろ


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ジョン・レノンの自宅たるニューヨーク高級集合住宅ダコタ・ハウスに、妻オノ・ヨーコとともにレコード・プラント・スタジオ から帰宅した際、マーク・チャップマン(Mark David Chapman)に銃撃された。



1980年年間ビルボードヒットチャート


第2位:Pink Floyd - Another Brick In The Wall, Part Two


第3位:Olivia Newton-John - Magic


第4位:Michael Jackson - Rock With You


第5位:Captain & Tennille - Do That To Me One More Time



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