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“言葉”は生き物 時代と共に 意味も 使い方も 変化するが “言刃”になってはいけない

「誤解」とは

ある事実について、自分自身の知識が足りないために物事を間違って解釈してしまうこと

「招く」とは

①  合図をして人を呼び寄せる。

② 客として来るように誘う。招待する。

③ ある目的のために、礼をつくして来てもらう。また、しかるべき地位を用意して、人に来てもらう。

④ 好ましくない事態を引き起こす。もたらす。



謝らない大人たち


政治家の”失言”に関する記者会見を TVで観る機会が多いが

「“誤解”を招く表現で申し訳ない」 

という決まり文句のようなフレーズを繰り返している。


雑な言い方だが

「言い方は悪かったけど、発言の真意を取り間違えたのは “あんた” や。俺は間違ったことは言っていない。」

原因は、聞き手側の知識不足によるもの。

言い方が悪かっただけで、間違ったことは言っていない。

すなわち、謝罪している訳ではない。


「語弊」とは

言葉の使い方が適切でないために“誤解”を招きやすい言い方。また、そのために起こる弊害。


「語弊」は話し手の方に原因があって、「誤解」は聞き手の方に原因がある。


すなわち 「語弊」があることによって、「誤解」が生まれる。



失言癖の政治家は、「語弊」と「誤解」の違いを認識していない

「失言」とは

不都合なこと・言うべきではないことを“うっかり”と言ってしまうこと


「失言」してしまう時は、心の中に浮かんだ事をそのまま言ってしまった時が多い。

自分でも思ってもいない言葉が、何かのはずみで口から出るのなら、医師に相談して即刻休養すべきだろう。


失言はすべて本音 謝罪し撤回しても本音は変わらない


あり得ない失言や言い間違えは、その人の人柄そのもの



最近の若者は


昨今はLINEなどのSNS活用が主となって、メールを使う機会すら減ってきた。

ちょっとした確認事項や、待ち合わせの連絡など、短文で簡単に済む気楽さ。

相手が読んだかどうかを【既読】が分かるのは便利だ。


私は“感情”が必要ではない連絡のやり取りなら短文で十分と思う。

しかし短文での“やり取り”だからこそ、文章コミュニケーション力が極めて重要だと感じている。



短文は「語弊」によって生じる「誤解」を招きやすい

ということを意識しないといけない。


目に入った短文で

冷たい 無関心 無感動

と感じてしまって、感情の“こじれ”が生じた経験をした人は多いはず。


SNSは、リアクションするタイミングも双方の自分都合で、あらゆる面でのルールも無い世界。

私は、短文によるコミュニケーション不足を補うには、ちょっとした配慮を欠かせないと考えている。




LINEなどのSNSで連絡があった場合には


基本 【即レス】 

「既読」スルーはしない

今の状況を伝える。「今 ミーティング中」

「ありがとう」「ごめんね」など、相手を気遣う言葉を入れる

ことを心がけている。


なぜか?

“無関心”が一番の失礼

と考えているからだ。


ネット(チャット・SNS)は、コミュニケーションの補助ツールでしかなくて、余ほど親しい人同士でない限り【“誤解”を招きやすいツール】としか思っていない。


プライベート・シーンで私の考え方は、若者に言わせると

「ウザイ!オッサン!面倒臭い」

といった反応だろう。



ビジネスにおいては「語弊」「誤解」「齟齬」はトラブルの素


ビジネスにおけるSNS活用は

待ち合わせ連絡やスケージュール確認等の『短文でも事足りる場合』
に止めるべきと考えている。


後になって「言った 言わない」トラブルを避けるためには、最低限メールでの“エビデンス”を残すべきだ。



ネット上でのコミュニケーションは、リアルでのコミュニケーションよりも明らかに難しい。

対面であれば、相手の表情、口調、身体の動きなどで相手の気持ちを推し量ることが出来るが、ネット上の文章でのやりとりでは出来ない。


意思疎通が出来る順番は?

テレビ通話(ビデオ通話) > 電話(音声通話) > ネット(メール・チャット・SNS)

短文での“やりとり”は「誤解」を生みやすいので、意思疎通が超難しいのは間違いない。

(但し、一番ダメなのは ”いきなり電話” )


Twitter、Instagram、Facebookなどを用いたSNSマーケティングは、企業のブランディングや認知拡大などの多方面での効果が期待できる。

しかし、ユーザーと距離が近いコミュニケーションが可能ではあるが、炎上騒動と隣り合わせであり、綿密な準備が必要不可欠。


企業においてSNSの運用ルールがなくて、運用担当者の独断と偏見で投稿やコメント返しが行われると、大きな問題につながりやすい。

ユーザーとの接点が多く距離が近く、不特定多数に向けて発信されているからこそ、意図しない範囲や形で拡散されて、トラブルや炎上のリスクが潜んでいる。



「良い文章」とは? 「悪い文章」とは?


「良い文章」とは

『読みやすい』・・・ 流れるように読み進められる

『分かりやすい』・・・ 一度読んだだけで内容が理解できる

『信頼を持てる』・・・ 曖昧なところがなく納得感がある


逆に「悪い文章」とは

『話の筋道が通っていなくて、文の要素に抜け落ちがある』

前提となる情報が不足している文章

前提が省略されている文章

前提と結論が結び付いていない文章

『文法が間違っていて、不要な文章が多い』

主語と述語がねじれている文章

主要な主語が省略されている文章

主語が途中で入れ替わっている文章

回りくどくて、要点がわからなくなったりする文章

理由と結論を述べていく『論理展開』がない文章は、話の筋道がわからなくなる。


自分の書いた文章を、一旦冷静に“読み手の視点”に立ってみて

“疑問”を感じる箇所があれば、

理解し難くて、納得感がない文章。




若者言葉は、くだけすぎてて良くないのか?オッサンだって、、、


「美しい日本語を使うべき」 といった論争は続いている。


『言葉は生き物』と言われるように

生きている人間が使っているのだから、意味だって、使い方だって、時代の流れで、変わっても不思議ではない。


そもそも、言葉は、「正しく使う」ことより、「言いたいことを伝える」 ために使うものだ。


“しきたり”や“慣習”に縛られることなく、時代に合った自由な言葉で表現して、良好なコミュニケーションが図れるのであれば、言葉のブレは問題ではないと思う。



大人も若者も絶対にやってはいけないことは



“言葉”が人を傷つける “言刃” になってはいけない

ということだ。




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