⑦『ジョジョの奇妙な冒険』feat.Michel Polnareff
第3部「スターダストクルセイダース」に登場するフランス人スタンド使いとして異彩を放つキャラクター:ジャン=ピエール・ポルナレフ
スタンド「シルバーチャリオッツ(銀の戦車)」は、騎士のような鎧をまとい、剣で華麗に戦う姿が特徴
元ネタは、フランスの著名な歌手
ミッシェル・ポルナレフ
ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)
1944年7月3日:フランスの南西部ナルボンヌで生まれ
父親は作曲家、母親はダンサーだったため、音楽や芸術の環境の中で育ち、幼少期からピアノを学び、成長するにつれてギターも習得。
彼の音楽はポップ、ロック、クラシック、シャンソンなどを融合させた斬新なもので、数多くの名曲を生み出しました。
また、彼は独特の音楽スタイルと派手なファッション、そして型破りな生き方で知られ、フランス国内外で高い評価を得たアーティストです。
1965年に「ノンノン人形(La Poupée qui fait non)」でデビューし、この曲はフランス国内で大ヒットを記録しました。
この曲をきっかけに、彼の音楽キャリアは一気に上昇し、ポルナレフは瞬く間にフランスのポップスターとしての地位を築きました。
ミッシェル・ポルナレフの音楽は、シャンソンの要素を含みつつも、ポップやロック、クラシックを取り入れた斬新なスタイルが特徴です。
ポルナレフは、音楽のみならず奇抜なファッションや派手なスタイルでも注目を集めました。彼のアイコンともいえるのが、長いブロンドの髪と、特大のサングラスです。
この派手なスタイルは、フランスの伝統的なシャンソン歌手とは一線を画し、個性的で型破りなアーティストとしてのキャラクターを確立しました。
日本では、1971年8月21日にCBSソニーよりシングル盤「シェリーに口づけ」がリリースされ、各局のラジオ・チャートでトップに入り、40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなりました。
シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma chérie)
ジャン=ピエール・ポルナレフの妹”シェリー”の元ネタ
ジャン=ピエール・ポルナレフにとって、妹シェリーは心から愛する家族であり、その存在が彼にとって生きる意味や力を与えるものでした。
しかし、シェリーは敵に殺されてしまい、彼女の死がポルナレフの人生に深い傷を残します。
ジャン=ピエールが生涯をかけてシェリーの仇討ちを誓う背景には、シェリーの存在が彼にとってどれほど重要であったかがうかがえます。
その失われた愛する人への想いは、「シェリーに口づけ」にも通じる「かけがえのない人にすべてを捧げたい」という愛情や守りたいという願いと響き合い、彼のキャラクターに特別な深みを与えています。
愛の休日(Holiday)
1972年:シングル「愛の休日」が、フランス、日本で大ヒット
「愛の休日」は、一見穏やかな恋愛のひとときを歌っているようで、実際には愛の儚さや失われた恋の悲しみを反映した曲です。
フランス的なロマンティシズムが色濃く反映されており、愛や失恋、孤独といったテーマを美しく情緒的に表現しています。
「ポルナレボリューション」
1972年10月6日~22日にミッシェル・ポルナレフはオランピア劇場でのコンサート「ポルナレボリューション(Polnarévolution = Polnareff + Révolution の造語)」に先立ち、パリ中に自身の裸の後ろ姿が映されたポスターがパリの街中に貼り出されました。
この行為がフランス当局より「公序を乱した」としてポルナレフは逮捕されました。
国内各紙一面に「ポルナレフ逮捕される」の記事が掲載され、フランス社会に大きな衝撃を与えました。
ポルナレフはこの件の裁判で罰金360万フランの求刑。
判決は、6,000フラン(ポスター1枚あたり10フラン)の罰金。
保守的な価値観が根強かった当時のフランスでは、ポルナレフのこの行動は大胆不敵であり、批判の的にもなりましたが、彼は自らの信念を曲げることなく、アーティストとしての「自由な自己表現」を追求する姿勢を貫きました。
極度のナルシスト?
若い頃は痩身ぶりがコンプレックスだったミッシェル・ポルナレフは、空手の有段者にまで上りつめます。
1972年の来日時には、極真会館を訪問し大山倍達館長と会見しました。
空手で鍛え上げた肉体美を誇示するために、意味なく上半身裸になってジャケットを飾るようになっていきました。
フランスでの人気
ミッシェル・ポルナレフは1970年代後半、フランスからアメリカへと移住しました。この時期、彼は金銭的なトラブルやマネージャーの不正行為、さらには視力の病気にも苦しめられ、音楽活動は一時的に停滞してしまいます。
しかし、その後もフランスではポルナレフの人気は衰えず、1980年代以降も復活を果たし、新曲をリリースするなど音楽活動を続け、2007年には35年ぶりにフランスでライブを行いました。
彼が、Twitterでジャン=ピエール・ポルナレフの画像に、サングラスをかけさせたコラージュ画像を投稿し続けていたことが、フランス・ニュース専門局に取り上げられるほどの人気なのです(笑)。
『ジョジョの奇妙な冒険』はフランスでも非常に人気があり、日本と同様に根強いファン層を持っています。
フランスでは定期的に開催される「ジャパンエキスポ」などのイベントでも『ジョジョの奇妙な冒険』が取り上げられることが多く、コスプレやアート展示などが行われることもあります。
2021年10月:北九州市で開催された世界新体操選手権 2021
フランス団体チームは、フープ+クラブの演技時に
「ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風」の処刑用BGM
を伴奏音楽に起用しました。
次号へ続く