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【3月28日】 Happy Birthday! Lady Gaga

Lady Gaga( Stefani Joanne Angelina Germanotta)は、35年前の今日(1986年3月28日)ニューヨーク州ヨンカーズで生まれた。

“lady”は位の高い人、イギリスの貴族などにつけられる敬称としても使われる。

“gaga” という単語は
年をとって「もうろくしている」という意味もあるが、
「何かに『夢中である』」
という意味もある。

I am gaga over Lady Gaga.
(もうろくした私は、Lady Gagaにぞっこんだ。)


アーティスト名の由来


メジャーデビュー前のプロデューサー:ロブ・フサーリは、彼女がスタジオに入る時に歌うQUEENの楽曲♬Radio Ga Ga♬を耳にしていた。

彼女のヴォーカルスタイルがフレディ・マーキュリーと似ている感じていたロブ・フサーリが、彼女宛てに送ったメールで入力した『Radio Ga Ga』が、文字修正機能により『Lady Ga Ga』に自動変換されていた。

それを彼女が気に入ったというのは有名なエピソードだ。

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2008年8月19日:デビュー・アルバム『ザ・フェイム』リリース


歌詞から歌、演奏全てを彼女自身が手掛けた作品で、全世界での売上枚数は現在1,200万枚を突破した。

先行シングル「ジャスト・ダンス」はイギリスなど世界5か国のシングルチャートで1位を獲得


「ポーカー・フェイス」は世界中のシングルチャートで1位を獲得。

2009年の2枚目アルバムは『ザ・モンスター』を発売
このアルバムの8曲以外は『ザ・フェイム』の再発版で。
本作からの第1弾シングル「バッド・ロマンス」


2010年1月12日のハイチ地震の被災者に対して、Gagaは公演の収益や、自身のオンライン・ストアの収益を資金源に総額50万ドル以上寄付金を用意した。


2010年第52回グラミー賞で初めて受賞


シングル「ポーカー・フェイス」で最優秀ダンス・レコーディング賞
アルバム『ザ・フェイム』で最優秀エレクトロニック・ダンスアルバム賞

2010年の雑誌『タイム』が世界でもっとも影響力のある有名人100人を選出する「タイム100」のアーティスト部門で1位。

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過去のエピソード


父親はシチリア島をルーツとするイタリア系アメリカ人の実業家で、Gagaは裕福な家庭(両親と妹)で育ち、幼いときから音楽教育を受けた。

14歳からはクラブでパフォーマンスを行うなど、音楽の才能・実力は素晴らしいものがあったが、決してトントン拍子でスターダムにのしあがってきたわけではない。


『The Guardian』紙のインタビューで過去の“イジメ”を赤裸々に語っている。

「いじめられてたからよ。わたしは強かったわけじゃない。エキセントリックで、おしゃべりで大胆でドラマチックなのよ。それで、いじめられてた。

道にあるゴミ箱に投げ込まれたことがある。同じクラスの女の子たちとつるんでた男の子たちにやられたの。学校のロッカーには、ひどい落書きをされていた。ほかの子のロッカーはきれいだっていうのに。廊下でつるし上げにあって、売女って呼ばれたこともある」

「無力で恥ずかしく、悔しかった。14歳だった。3人の男の子に(ゴミ箱に)放られて、女の子達は笑って見ていた」

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2005年、19歳でデフ・ジャム・レコーディングスと契約。

同じころ、親元を離れ“ストリッパー”として人気を博し始める。
ストリップクラブで働くことは本人曰く「裕福なイタリア系の家庭の出では珍しいこと」で、そこではステージでヘアスプレイに火をつけて、狂ったように踊ったという。

という記述がある。<引用:『ウィキペディア(Wikipedia)>


また別の記事では

ざわざわついたあるクラブでGaga(当時の名前もステファニー・ジャーマノッタ)がパフォーマンスをしていたときのこと、誰もステージ上の歌も演奏も聴いていなかった。

そこで彼女は愕然とし、怒り、しして自棄になって、ステージの上で洋服を脱ぎ始め、下着姿になった。

その瞬間、場の雰囲気が変わり、クラブの観客が彼女の歌と音楽に注意深く耳を傾けるようなり、拍手さえ起こった。

というエピソードも取り上げられている。

この経験がGagaの転機となり、今のパフォーマンス・スタイルに繋がっていったのだろう。



「ボーン・ディス・ウェイ」

2011年2月11日先行シングル「ボーン・ディス・ウェイ」をリリース

2月13日、第53回グラミー賞授賞式にて「ボーン・ディス・ウェイ」を初披露。

卵型カプセルに乗って式場に登場し、舞台上でそのカプセルの中から出てくるという演出がなされた。


2011年3月11日に発生した東日本大震災に対し、

「WE PRAY FOR JAPAN(日本の為に祈りを)」

とデザインしたブレスレットを作成し販売。


「収益はすべて日本に寄付する。モンスターたちよろしく」と自身のツイッターでコメントした。

ブレスレットは2週間で1億2,000万円以上売り上げ、全額寄付され、個人的にも1億2,000万円寄付したこと。


2011年5月23日:アルバム『ボーン・ディス・ウェイ』をリリース

4月16日に第2弾シングル「ジューダス」


5月17日に、第3弾シングル「ジ・エッジ・オブ・グローリー」


2011年6月20日プロモーションとして4回目の来日

多くの海外スターが来日をキャンセルする中、「放射能は怖くないのか?」という質問に

「平気よ。世界のみんなに日本という美しい国を見てほしいわ」
と語った。

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ガガ様は10日間の滞在で多くのメディアに出演し、記者会見では自身の手書きで「日本の為に祈りを」と書かれたティーカップに口紅の跡を付け、オークションに出品した。


2011年9月、自身がゲイであることが原因で受けたいじめを苦に14歳の若さで自ら命を絶ったジェイミー・ロードマイヤーの自殺事件を機に、同年11月“いじめ撲滅”を目指し「ボーン・ディス・ウェイ財団」を設立。



キャリアの苦労だけでなく、性的暴行のトラウマや病気との闘いといった様々な多くの経験してきたGaga。
今や誰も異論問えることがない、グラミー賞の常連でオスカー授賞歴を持つアーティストだ。


この3月11日は東日本大震災の被災者や被災者の遺族に対していち早くメッセージを送ってくれた。


私にとって3月28日は、一日中Lady Gagaの曲を聴きまくる10回目のメモリアルデーだ。



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