見出し画像

⑥『ジョジョの奇妙な冒険』feat.Clint Eastwood

第3部「スターダストクルセイダース」における主人公。
高校3年生(17歳)の空条 承太郎

第2部「戦闘潮流」の主人公:ジョセフ・ジョースターの孫
第1部『ファントムブラッド』の主人公:ジョナサン・ジョースターの玄孫日本人ミュージシャン空条貞夫と英伊ハーフのアメリカ人空条ホリィとの間の一人息子

「やれやれだぜ」が口癖で、右手でビシッと相手を指差す不敵な姿が、有名な決めポーズ。

荒木飛呂彦先生は映画愛好家

「その遠くを見て荒野に黙って立っているイメージは、はっきりと空条承太郎に投影されました。承太郎もあまりアクションをしないし、言葉少なにスタープラチナを繰りだすのみ。イーストウッドのように立っているだけで絵になることを目指したキャラクターなんです」

と、空条承太郎のモデルがクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)であることを告白しています。


空条承太郎に反映されたイーストウッド的な特徴


空条承太郎のキャラクターは、クリント・イーストウッドが演じてきた「無口で冷静なヒーロー」の特徴を取り入れて、荒木飛呂彦先生が独自に昇華させたものです。

承太郎の「無口で冷静な性格」「圧倒的な存在感」「正義を貫く強さ」「無駄のない戦闘スタイル」そして「クールなファッション」まで、イーストウッド的な要素が随所に見られます。


「やれやれだぜ」というフレーズ


空条承太郎の口癖「やれやれだぜ」は、敵が目の前に現れても焦らず、一歩引いて冷静に対処する姿勢が表れた台詞です。

このフレーズには、彼の冷静で物事に動じない態度が表れており、彼のモデルであるクリント・イーストウッドの影響が感じられます。

イーストウッドが映画『ダーティハリー』や『荒野の用心棒』などで、少ない台詞で圧倒的な存在感を放つ「動じないヒーロー」の役柄を多く演じています。

荒木飛呂彦先生はイーストウッド的な「冷静さの中に秘めた強さ」を持ち合わせた無口なヒーロー像を承太郎に重ねています。


イーストウッドの映画『許されざる者(Unforgiven)』でも、彼は決して暴力を誇示するのではなく、必要なときにのみ無言で行動するスタイルを見せます。

そのスタイルは承太郎の「やれやれだぜ」に込められた「仕方ない、やるしかない」という静かな覚悟や諦観と共鳴し、観る者に「無言の強さ」を印象づけます。

「やれやれだぜ」とともに、承太郎が見せる右手で相手を指差すポーズは、ロックスターやヒーローが持つ強烈な個性を際立たせ、相手を圧倒するためのものです。

承太郎の指差しポーズも、イーストウッドが見せる無言の圧力と同様に、ただその場に立っているだけで圧倒的な存在感を示し、観る者を引きつける力があります。


クリント・イーストウッドはジャズファン


クリント・イーストウッドは俳優・監督としてだけでなく、ジャズへの深い愛情を持つ人物として知られています。

彼は若い頃にジャズピアノを演奏し、プロとして活動するほどの腕前を持っていました。監督としても、数多くの作品で音楽を担当し、特にジャズへの敬愛を示してきました。

イーストウッドは自らの作品の音楽制作も手がけることが多く、『目撃(1997)』『グラン・トリノ(2008)』『アメリカン・スナイパー(2014)』『ハドソン川の奇跡(2016)』などでは作曲を担当


『ミスティック・リバー(2003)』『ミリオンダラーベイビー(2004)』『チェンジリング(2008)』などでは音楽全般を担当

チャーリー・パーカーを半生を描いた映画『バード(1988)』では監督・制作


セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』の製作総指揮


2003年には、マーティン・スコセッシがプロデュースしたドキュメンタリー映画史リース『The Blues』の第7作目『ピアノ・ブルース』の監督を務めました。


『ジョジョの奇妙な冒険』には、ジャズミュージシャンを直接モデルにしたキャラクターは登場しませんが、承太郎の父親=空条貞夫は、日本のジャズミュージシャン、渡辺貞夫からインスパイアされたキャラクターです。

渡辺貞夫

渡辺貞夫は、ジャズのリズムと日本の伝統的なメロディーを融合させ、世界的に高い評価を受けてきた音楽家です。
彼の音楽は、異文化を結びつける象徴としても位置づけられ、日本のジャズシーンを発展させる上で重要な役割を果たしてきました。


渡辺貞夫をモデルにしたキャラクター空条貞夫の存在は、『ジョジョの奇妙な冒険』において荒木飛呂彦先生が、クリント・イーストウッドへの情熱とジャズへの敬意を表現した一つの形と考えられます。



余 談

クリント・イーストウッドは、幼いころに母親が自宅でファッツ・ウォーラー(Fats Waller)のレコードを聴いていたのが、ジャズとピアノを愛するようになったきっかけだったらしいです。

ファッツ・ウォーラーに関する仰天エピソードを紹介します。

Fats Waller

1926年1月17日 
ファッツ・ウォーラーは4人の男たちに取り囲まれ、脇に停めてある黒塗りのリムジンに押し込まれました。
(ファッツは生きた心地がしなかったでしょう)

ファッツが強引に連行された場所は、宴会場のステージ上のピアノの椅子

その日はアル・カポネの27才の誕生日だったのす。

カポネの部下が、ボスへのプレゼントとしてファッツ・ウォーら―の生演奏を贈ったのです。


ジャズを愛するカポネは、ファッツ・ウォーラーに
極上シャンパンや最高の食事を振舞って演奏を続けさせたそうです。


ポケットに入りきれなかったチップはなんと3,000ドルだったと、、、

禁酒法時代のシカゴにおいて、黒人ジャズメンは一流クラブで演奏しできても、お客と同じ席で食事もできず、正面玄関から出入りもできない

「人種差別」時代のことです。



次号へ続く



いいなと思ったら応援しよう!