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私に影響を与えたアーティストVol.7 (RCサクセション)
1973年の秋 生まれて初めてのデートで井之頭公園にいた。
『公園内にあるボートに乗ったカップルは必ずと言っていいほど破局する』という“都市伝説”も知らなかったので、彼女とボートに乗った。
♬ 2時間35分 ♬
公園内に“人だかり”があったので二人で近寄っていったら、ギターを弾きながら歌っている3人組がいた。
家に帰っても、♬ 2時間35分 ♬ このフレーズが耳から離れない。
これが忌野清志郎との最初の出会いだったのかもしれない。
(この3人組がRCサクセションだったのか?定かではないが、、、。)
♬ 帰れない二人 ♬
世の中は“フォーク”ブームでもあり、1973年12月に井上陽水の大ヒットアルバム『氷の世界』が発売された。
当時の私は、デビッド・ボウイとマーク・ボランが大好きな“ませた”小学生だったが、なぜか?そのアルバム収録曲
♬ 帰れない二人 ♬
がお気に入りの曲だった。
“都市伝説”どおり?(笑) 1974年小学校卒業とともに親の転勤で長崎に戻った。
♬ スローバラード ♬
長崎での中学・高校時代は「三度の飯より“ロック”」状態。
音楽雑誌・FMラジオで情報入手し馴染みのレコード店で店長と“ロック談義”。
そんな或る日、店長に教えてもらったのが
1980年1月21日発売シングル♬雨上がりの夜空に♬
この曲を初めて聴いた時の衝撃は今でも忘れない。
1980年6月5日発売アルバム ♬ RHAPSODY ♬
♬ ラプソディー ♬は、今でもヘビロテだ。
そして、このアルバムから、私の 忌野清志郎 “愛” が止まらなくなっていった。
1980年10月28日発売シングル♬トランジスタラジオ♬
予備校に通って大学受験に向けて”勉強”の日々。
この曲に”元気”をもらっていた。今でも、この曲を聴くと当時を思い出す。
1980年12月5日発売アルバム ♬ PLEASE ♬
♬いい事ばかりはありゃしない♬ に励まされ、何とか大学に入学することができた。
1981年大学入学後すぐに軽音楽サークルのドアを叩く。
「いつの日か、ステージで ♬ 雨上がりの夜空に ♬ を歌ってやる」!
1981年11月21日発売アルバム ♬ BLUE ♬
LPの帯コピーが大好きだった。
「退屈なこの国に、ニューアルバムが届く」。
1982年10月25日発売アルバム ♬ BEAT POP ♬
「夜のヒットスタジオ」出演は最高にカッコよかった。
しかし抗議電話が殺到したそうだ。
1983年7月5日発売アルバム ♬ OK ♬
「子供だましのモンキービジネス」というフレーズに象徴される痛烈な取り巻き批判、自己批判が後の事務所独立へと発展していく。
1984年11月23日発売アルバム ♬ FELL SO BAD ♬
RCサクセションが、所属事務所と揉めた時期でもあったからのなのか、私には「~らしさ」が感じられないアルバムだった。
1985年11月21日発売アルバム ♬ HEART ACE ♬
就職内定をもらって遊び惚けていた時期にピッタリの歌詞だった(笑)
1988年2月25日発売アルバム ♬ MARVY ♬
LPレコードは2枚組、CDは1枚というフォーマットで発売された。
1988年8月15日発売アルバム ♬ COVERS ♬
とにかく、よく聴いたアルバムのひとつ。
発売中止騒動や過激な内容の話題性から、シングル・アルバム通じてRC初のオリコンチャート1位を獲得し、RC唯一のオリコン1位獲得作品。
1998年12月16日発売アルバム ♬ コブラの悩み ♬
RCサクセションとしてのアナログ・レコード・アルバム発売が最終作。
1990年9月27日発売アルバム ♬ Baby a Go Go ♬
RCサクセションは、1990年12月25日、日本武道館でラストライブを開催し、翌年1月に無期限活動休止。
私にとって、RCサクセションは
日本の最高のロックンロールバンドだ。