【元ネタ深掘り】第1部「ファントムブラッド」feat.Main Characters
第1部「ファントムブラッド」は、19世紀末のイギリスを舞台にして、貴族の息子であるジョナサン・ジョースターと、貧しい生まれながらも野心を持つディオ・ブランドーという二人の少年の運命的な出会いと対立が描かれます。
ジョナサン・ジョースター(Jonathan Joestar:JoJo)
元ネタは、The Beatlesの楽曲「Get Back」
歌詞の中に登場する“Jojo”は具体的な実在の人物を指しているわけではなく、ポール・マッカートニーが想像して作り上げたキャラクターだという説が一般的です。
”Jojo”は「孤独を好むけれど、どこか寂しさや孤独感を抱えた人物像」として描かれいて、過去を捨て、新しい人生を探しに旅立った人物として表現されています。
ここが、ジョナサン・ジョースターの物語と共鳴する部分があり、荒木飛呂彦先生がキャラクターの名付けにこの楽曲を参考にしたという説は、非常に説得力のあるものです。
Boz Scaggs - 「JoJo」
この歌詞の中に登場する”JoJo”は、魅力的で少し危険な雰囲気を漂わせつつも、都会での成功を求める人物として描かれています。
この「JoJo」が元ネタというのは、ちょっと無理があるでしょう。
荒木先生はザ・ビートルズの持つ時代を超えた普遍性を、ジョナサンのキャラクターに重ねることで、「原点への回帰」「未来への継承」というテーマを表現して、『ジョジョの奇妙な冒険』を「世代を超えた戦いと成長の物語」として描いていたのでしょう。
ディオ・ブランドー(Dio Brando)
DIOの元ネタについての考察はコチラ
ブランドー(Brando) もう一つ元ネタ
マーロン・ブランド(Marlon Brando)
ディオ・ブランドーは、その名前やカリスマ性、破壊と支配の象徴として、マーロン・ブランドが演じた役柄や実人生から大きく影響を受けていると考えられます。
『欲望という名の電車』(1951年)
同名舞台の映画化で、野性的で力強い演技は衝撃を与え、反英雄的キャラクター像を確立しました。(アカデミー賞主演男優賞にノミネート)
『波止場』(1954年)
港湾労働者を演じ、リアリズムと感情表現の融合を見せつけ、アカデミー賞主演男優賞を受賞。
『乱暴者(The Wild One)』(1953年)
革ジャン姿のバイカー役が、若者文化に多大な影響を与え、反逆児のアイコンとなりました。
劇中でマーロン・ブランドが着用しているリーバイスの501(年代的に47501?若しくは54501プロト?)は、シルエットが変更されてて、ダックテイルは削がれ、つまり腿の辺りもやや余裕程度で、膝下も幅が詰められています。
ライダースジャケットは『DURABLE CODE 33』
ブーツはチペワ製のエンジニア
バイク(トライアンフ6Tサンダーバード)はマーロン・ブランドの私物
イギリスではその過激さから1968年まで上映禁止映画だったそうです。
1960年代はマーロン・ブランドにとって、理想主義と現実の狭間で葛藤した低迷期でしたが、1972年の『ゴッドファーザー』でカムバックを果たし、再び評価されることになります。
ディオ・ブランドーは、名前にロニー・ジェイムス・ディオ(Dio)の「神々しいカリスマ性」と、マーロン・ブランド(Brando)の「威圧的で反逆的な存在感」という2つの要素を込めることで、究極の悪役として生み出されました。
荒木先生は、ブランドの演じる悪役たちの魅力を反映しながらも、ディオを単なる悪役ではなく、人間の欲望と力への渇望を象徴する存在として描くことで、物語に深みと普遍性を持たせたのではないでしょうか。
ウィル・アントニオ・ツェペリ
(Will Anthonio Zeppeli)
ジョナサンに吸血鬼への対抗策「波紋法」を教えた師匠
元ネタは
レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)
レッド・ツェッペリンは1968年末にアメリカツアーを開始しましたが、そのデビュー公演から話題をさらいました。
デビューアルバム『Led Zeppelin』を引っ提げたツアーで、まだ無名に近い存在だった彼らは、当時の人気のヴァニラ・ファッジ(Vanilla Fudge)の前座として参加していました。
1969年1月26日、サンフランシスコのフィルモア・ウェストでは、観客が前座のはずのツェッペリンの演奏終了後に席を立ち、メインアクトのヴァニラ・ファッジをほとんど無視する事態が発生したのです。
1970年5月、レッド・ツェッペリンの2rdアルバム『Led Zeppelin II』がビルボード200(アルバムチャート)で1位を獲得しました。
1970年、イギリスの音楽雑誌「Melody Maker」の人気グループ投票で、それまでは8年連続でビートルズが1位に君臨していたましたが、レッド・ツェッペリンが1位に選ばれました。
このエピソードは、単なる人気の入れ替わりではなく、ロックの歴史における「世代交代」の象徴であり、60年代から70年代という新しいロック時代に突入した証でした。
レッド・ツェッペリンの凄さは、単なる音楽的成功にとどまらず、革新性、カリスマ性、精神的影響力にあります。
彼らはライブパフォーマンス、楽曲構成、音楽哲学において、他の追随を許さない「ロックの神話」を築き上げました。
荒木飛呂彦先生がレッド・ツェッペリンの名前やエッセンスを取り入れたのも、彼らが象徴する革新と神秘的な力が、物語のキャラクターやテーマと見事に響き合っていたからではないでしょうか?
ロバート・E・O・スピードワゴン(Robert E. O. Speedwagon)
最初は敵対する立場としてジョナサン・ジョースターと出会いますが、ジョナサンの誠実さと正義感に触れたことで彼に惹かれ、その後は親友兼サポート役として行動を共にします。
元ネタは、アメリカのロックバンド
REOスピードワゴン(REO Speedwagon)
1967年にアメリカ・イリノイ州で結成されました。
バンド名は、アメリカの自動車メーカー「REO Motor Car Company」で1930年代に生産されたモデル「Speed-Wagon」に由来しています。
1971年にデビューアルバム『REO Speedwagon』をリリース直後、バンド内ではボーカルのテリー・ルトゥレル(Terry Luttrell)と他のメンバーとの間で音楽性や人間関係に関するトラブルが発生しました。
ルトゥレルの態度や行動がバンド内で問題視されるようになり、バンドは彼を解雇することを決断します。
ルトゥレルの解雇後、ケヴィン・クローニン(Kevin Cronin)をボーカリストとして迎え入れ、セカンド・アルバム『R.E.O./T.W.O.』をリリース。
1973年に3rdアルバム『Ridin' the Storm Out』(1973年)の制作中にトラブルが発生しました。
すでに完成間近だったアルバムジャケットからは、ケヴィンの姿が完全に消されるという異例の処置が施され、急遽3代目ボーカリストとしてマイク・マーフィー(Mike Murphy)を迎えることとなりました。
4枚目アルバム『Lost in a Dream』(1974年)、5枚目アルバム『This Time We Mean I(邦題:こんどはホンキだぜ)』(1975年)をリリース後、
マイク・マーフィーが脱退
1976年にケヴィン・クローニンが復帰
6枚目アルバム『R.E.O.』をリリース
転機が訪れたのは1980年の9枚目アルバム『Hi Infidelity』です。
シングル・カット「Keep on Loving You」が1981年3月21日付のビルボード・シングルチャートで全米1位を獲得。
アルバムも全米アルバムチャートで15週連続1位を記録し、最終的には1,000万枚を超えるセールスを達成しました。
REOスピードワゴンは、1970年代のデビュー当初はヒットに恵まれず、ボーカル交代や内部の混乱に見舞われるなど、決して順風満帆なスタートではありませんでした。
「クローニン(苦労人)だからね」と揶揄されることも多かったとか、、?
しかし、ケヴィン・クローニンが復帰したことで、バンドは黄金期を迎え、音楽シーンにおける「再生と再起」の象徴的な物語ともなりました。
荒木先生がスピードワゴンという名前を選んだのは、単なる語感の良さだけではないでしょう。
バンドが持つ「復活」「再生」「信頼」「支え合い」というテーマは、スピードワゴンのキャラクター設定にそのまま反映させたのでしょう。