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ロックの新しい息吹が聴こえてきた1970年~71年 50年後の2021年も新しい息吹が聴こえてくるのか?

1969年は “オルタモントの悲劇” と言われて語り継がれている、4人の死者(1件は殺人事件)を出すというロック史上最悪のローリング・ストーンズのフリーコンサートで幕を閉じた。


すべての終わりは、すべての始まり


1970年は新しい時代の始まりに相応しいタイトル曲

サイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋(Bridge over Troubled Water)』で幕を開けた。


4月10日、ポール・マッカートニーはイギリスの大衆紙『デイリー・ミラー』のインタビューで

「今後ビートルズのメンバーと創作活動をすることはない」

と発言し、これで実質的にビートルズは解散した。



4月20日 エルトン・ジョンのセカンド・アルバム『僕の歌は君の歌(Your Song)』をリリース



5月8日にアルバム『レット・イット・ビー』が発売され、5月20日に映画が公開された。
(アルバム収録曲と映画と同テイクは「ワン・アフター・909」のみ)




そんな或る日、1960年代との決別を意味する事件が立て続けに起こった。


9月18日 ジミー・ヘンドリックス 逝去


死因は睡眠中の嘔吐による窒息死とされているが、、、。

エリック・バートンの証言によれば

「9月16日 ジミーは自分のギターを持ってジャズクラブにやってきて、セカンド・ステージから加わった。序盤のジミーの出来は酷かったが徐々に調子を上げてバンドに溶け合っていった。」

この演奏がジミヘンの最後の演奏ということになる。(ギターソロは3分20秒あたりから)


10月4日 ジャニス・ジョプリン 逝去


2枚目のソロ・アルバム『パール』のレコーディングに逝去した。
(死因は、乱用したヘロインが致死量を越えたことが原因)

アルバム収録曲のうち、「ベンツが欲しい(Mercedes Benz) 」はアカペラの仮録音



「生きながらブルースに葬られ(Buried Alive In The Blues)」は、死の当日にボーカルの録音する予定だったためインストゥルメンタルとして収録


ヒッピー~サイケデリック・ロック~ ウッドストック・フェスティバル

1960年代の「自由」「愛」「平和」の象徴であった“ロック”は終わりを告げ、1970年代の巨大プロモーションを背景にしたビッグビジネスの“ロック”へと変わっていく。


その終わりの始まりの起点が 1970年



イギリス発祥 ハード・ロック、グラム・ロック、プログレッシブ・ロックのターニングポイントは1971年


1971年1月7日、サイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』を追い落として全英ナンバーワンになったブラック・サバス2枚目のアルバム『パラノイド (Paranoid)』がアメリカで発売された。

このアルバムは、レッド・ツェッペリン旋風によって盛り上がってきたハード・ロック ブームに拍車をかけた。


1971年1月17日デヴィッド・ボウイはシングル「ホリー・ホリー」をリリース

アメリカで11月4日先行発売されていたデヴィッド・ボウイのサード・アルバム『世界を売った男(The Man Who Sold the World)』が、4月にイギリスでジャケットを変更した形で発売された。


スクリーンショット (926)


このジャケットが物議を醸し出し、来るべきグラム・ロック時代への助走が始まった。



ジェスロ・タルの4作目のスタジオ・アルバム『アクアラング(Aqualung)』発売


エマーソン・レイク&パーマー(ELP)のセカンド・アルバム『タルカス (Tarkus)』発売


シド・バレット脱退後のピンク・フロイドのアルバム『おせっかい(Meddle)』発売


プログレッシブ・ロックは様々な方面に進化していった。



モータウン・サウンドを中心にした黒人アーティストの台頭が目立ったのも1971年


1971年1月20日、アルバムに先駆けてシングルとして発表されマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン(What's Going On)』



ビル・ウィザースの『エイント・ノー・サンシャイン(Ain't No Sunshine)』



テンプテーションズの『Just My Imagination (Running Away with Me)』



アレサ・フランクリンの3月5日~7日の3日間のライブ・アルバム『アレサ・ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト(Aretha Live at Fillmore West)』は彼女の代表作の一枚。

たまたま客席にいたレイ・チャールズをステージに上げてデュエットする「Spirit in the Dark」は必聴もの。



スライ&ザ・ファミリー・ストーンの5枚目のアルバム『『暴動 (There's a Riot Goin' On)』




大物アーティストが躍進したのも1971年


2月10日に発売されたキャロル・キングのセカンド・アルバム『つづれおり(Tapestry)』は、アメリカにおいて15週連続1位を獲得し、その後約6年(306週)に亘りチャート・イン。



ロッド・スチュワートが5月に発表したサード・アルバム『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー(Every Picture Tells a Story)』はイギリスとアメリカの両国でアルバム・チャート1位を獲得。

収録曲「マギー・メイ」も、英米両国のシングル・チャートで1位を獲得。



ローリング・ストーンズは『スティッキー・フィンガーズ (Sticky Fingers)』を発売し、全英、全米共に1位を記録。



1971年8月1日 ジョージ・ハリソンを中心にして世界初の大規模チャリティーコンサート『バングラデシュ難民救済コンサート』がマディソン・スクエア―・ガーデンで開催された。



9月9日 ジョン・レノンのアルバム『イマジン(Imagine)』が発売された。



そしてロックの歴史的名盤が2日続けて発売された。



11月8日『レッド・ツェッペリン IV』


11月9日 『いとしのレイラ( Layla and Other Assorted Love Songs)』



1971年には忘れていけない事件も起こっている。


1971年7月 オールマン・ブラザース・バンドは歴史的ライブ・アルバム『フィルモア・イースト・ライヴ(At Fillmore East)』を発売

喜びも束の間、10月29日、天才ギターリストと言われたデュアン・オールマンがオートバイでトラックに追突し24歳の若さでこの世を去った。



バンドは失意の想いの中、後任ギターリストを補充せず、レコーディング途中だったアルバム『Eat A Peach』を完成させた。

しかし、1972年11月11日、バンドのベーシストであったベリー・オークリーもオートバイ事故により亡くなってしまった。

なんと事故は、デュアン・オールマンの事故現場から僅か3ブロックしか離れていないところだった。



2021年も“ロック”の新しい息吹が聴こえてくるのか?


テクノロジーの進化と共に形を変えてきた“ロック”も、パンデミックによって大変革を余儀なくされたのが2020年だ。

英イングランド北部リバプールで2日間 規制措置終了後の開催の在り方を探る5,000人の観客が“マスクなし” “ソーシャル・ディスタンシングなし” のライブ・イベントが開催された。

日本は若干遅れている感は否めないが、欧米では着実に各種イベント再開に向けてのテストが行われている。



今から50年後の2071年に

「2021年は新しい“ロック”の息吹が聴こえてきた」

と誰かが語っているのかもしれない。




【追伸】この原稿を書き終えて、最終校正前の気分転換でFacebookを見て驚いた。


「1971年」をテーマにした音楽ドキュメンタリー番組『1971: The Year That Music Changed Everything(1971:音楽がすべてを変えた年)』が、海外のApple TV+で5月21日より配信開始される。

「激動の時代にあって、1971年は音楽の革新と再生の年となりました。当時の政治的・文化的激動に刺激されて、新鮮な才能がシーンに爆発的に広がり、スターが新たな高みに到達し、境界線がかつてないほど拡大しました」





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